52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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【杉咲花映画】
予告編で十分泣けるインパクト。杉咲花の爆発する演技力を堪能するのはもちろん、脚本の改稿から参加し、本作の姿勢を中からも外からも本気で考える彼女の思いがひしひしと伝わってくる一本。
◆概要
【原作】
町田そのこ「52ヘルツのクジラたち」(2021年本屋大賞受賞、累計発行部数85万部)
【脚本】
「ロストケア」龍居由佳里
【監督】
「八日目の蝉」成島出
【出演】
杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨、桑名桃李、金子大地、西野七瀬、真飛聖、池谷のぶえ、余貴美子、倍賞美津子
【主題歌】
Saucy Dog「この長い旅の中で」
【公開】2024年3月1日
【上映時間】135分
◆ストーリー
自分の人生を家族に搾取されて生きてきた女性・三島貴瑚。ある痛みを抱えて東京から海辺の街の一軒家へ引っ越してきた彼女は、そこで母親から「ムシ」と呼ばれて虐待される、声を発することのできない少年と出会う。貴瑚は少年との交流を通し、かつて自分の声なきSOSに気づいて救い出してくれたアンさんとの日々を思い起こしていく。
◆
◆以下ネタバレ
◆
◆杉咲花
予告の数シーンだけで毎度涙をそそられ、見ない選択肢のなかった本作。母からの暴言を嗚咽しながら吐露し、“生きたい”と涙をこぼすシーンにやはり泣かされたし、杉咲花の演技力の改めて素晴らしいこと。個人的には、母から絞首された時の恐怖に見開いた目、愛(いとし)に家族になろうと伝える優しい目、彼女の目の演技に見入った。そしてもう一つ本作を語る上で欠かせないのは、彼女が初めて脚本の改稿作業にも参加したこと。本作に参加する条件を、本作を現実社会に生きる自分たち自身のこととして、あるいは課題として描く事としたという彼女。まさに全身全霊で本作に望んだ彼女の気概に身震いする思いで、ヤングケアラーというまだ耳馴染みのない存在の、その苛烈さも感じ取れた。「やりきったと手放しで喜んでいません。きっと議論が起こると想像していますし、皆さまの声を真摯に受け止めたいという気持ちを持っています」と話す彼女にやはりその本気度が伺える。
◆アン
トランスジェンダーとして、やはり52ヘルツのクジラでもあった安吾。終始貴瑚を見守る、原作の言葉を借りるならまさに“アンパンマン”だった彼は、常に静の状態。それが唯一、動と化したのが母親にその姿を明かされ、身体的卑語を浴びせられたあのシーン。激しく泣き叫ぶ志尊淳の演技が際立っていて、本作の中でも最も心が痛んだ。振り返れば結局自害にまで追い詰められたのは母の“障害”という言葉だったわけで、心身ともに限界だった貴瑚を“家族”から切り離すほど俯瞰から見れていた彼も、自らに対してはその選択肢も見えぬほど逆に“家族”に追い詰められた比喩も虚しかった。そして本作の外野で気になる事が一つ、安吾がトランスジェンダーである事が公式サイトで明かされている事。壮大なネタバレで、伏せてあれば貴瑚がそれを知るのと同時に観客もミスリードに気づく事になる重要な要素のはず。ではなぜその選択肢を製作陣が選んだか。杉咲花は「物語の展開をドラマティックにするために性的マイノリティの方を登場させてきた歴史があると思っています。」と語る。前項のような参加度ならその思いが影響しているのは確実で、ドラマ性よりも、本作が映画として世のマイノリティに寄り添う事をチームとして重視したと踏む。そんな本作と、彼女の姿勢に改めて感銘を受ける。
◆いとし
体中アザだらけの激しい虐待を受けても、貴瑚に傘をさす優しさを持ついとし。声も出ない、髪も長すぎる、その“何かある感”満載の素性は、祖母のご近所から全て明かされ、合点がいく。“52ヘルツのクジラ”の音で、あのイヤホンのように心でも繋がり共鳴していく貴瑚との関係性(そもそもそれは安吾が繋いだバトンでもある)に心がほだされる。家族を一度捨てた貴瑚がついにいとしと家族を作る覚悟を決めた時、彼が初めて“キナコ”と名を呼ぶ事で呼応する。いとしの声が出た、つまり彼の心の深すぎる傷が少しだけ救われたシーンなわけで、思わず落涙する本作の山場だった。ラストで海をバックに入るタイトルは、どこかにいる52ヘルツのクジラたち、つまり世のマイノリティたちをあたたかく照らすよう。エンドロールで手を繋ぎ海を眺める貴瑚といとしの姿は、まさにその後お互いが幸せを与え合うだろう“魂のつがい”そのものだった。
◆関連作品
○「八日目の蝉」('11)
成島監督の代表作。第35回日本アカデミー賞で最優秀賞など10冠獲得。本当の親子愛について考えさせられます。Netflix配信中。
○「湯を沸かすほどの熱い愛」('16)
杉咲花の代表作で、第40回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。ボロボロに泣けます。Netflix配信中。
◆評価(2024年3月1日時点)
Filmarks:★×4.1
Yahoo!検索:★×3.8
映画.com:★×4.3
『市子』の続編ではないのに…
キナコは強い。
たぶん、この映画の鑑賞直後の感想としては、えっ、どういうこと?みたいな感じだと思いますが、以下、その理由について。
・キナコの身体的感性が第二の人生で覚醒
キナコの強さは身体的感性の素直さにある。
安吾が終わらせてくれた第一の人生の中では、心身ともひたすら耐えるのみであったが、第二の人生では、ビールの味、焼肉の味、セックスの味というように身体的快楽を通じて〝生〟を実感していった。
なんだか『哀れなるものたち』のベラと似てないか?
・甘ったれのクズ専務の暴力表現について
結婚生活と愛人関係が両立できると考えてる時点で、その幼稚さは明白。また、酒に溺れたり、キレると暴力的になるステレオタイプなダメ男ぶりをわざわざ描いていたが、興信所の調査結果を使っての卑劣な所業や遺書を燃やしてしまう短絡的な思考だけで、キナコが専務を見限るのに十分な理由となる。暴力が殊更に目立ってしまうとキナコの感性の繊細さ、つまり、本人の心の傷や安吾への寄り添いと後悔よりも顔に残された表面的な痣のほうが印象づけられてしまう。
だが、キナコの心はクズ野郎の暴力などでは折れない。
クズ専務がやっていること(男の支配欲で女を従わせる)は、実は『哀れなるものたち』の男どもの所業と本質的に同じではないか?
・性同一性障害に関する安吾の葛藤について
性同一性障害の方にとって肉体的な壁がどれだけ恋愛関係を構築する上での妨げになるのか。
生まれついての肉体は男だが心は女という人の場合、子宮がないことで、恋愛は諦めるのか。
性が肉体と心で一致している男女であっても、なんらかの理由で性的な関係が結べないことはある。
もちろん、性同一性障害の人だって、それぞれ別の人間なのでひとくくりにパターン化することなどできない。
人間の感情は決して合理的に割り切れるものではないからこそ、「愛することをやめた」安吾の心の複雑さと変遷をもう少し丁寧に描いて欲しかった。
自殺の直接的な原因(キッカケ)は、母親からもそれを〝障害〟と言われたことだったが、橋の上でキナコから拒絶された時、肉体上の快楽を与えられない自分について、あらためて思い至ったことも無関係ではない。
従来の男どもに染みついているさまざまな〝哀れさ〟まで、一緒に纏う必要はないのに、恋をしてしまった時、そして哀れさの象徴である新名に出会ってしまった時、ピュアで優しくて繊細な感性が、哀れさに耐えきれず壊れてしまった。
安吾の死は、とても悲しくてやりきれないことだが、同時に弱くもある。
身体的強さとは、セックスで快楽を与えることだけではない。ハグしたり、一緒に食事を楽しんだり。
52ヘルツの鯨たちの声を聞いてあげられることは、とても強いこと。
それを〝身体的な強さ〟のひとつとして(本人にそんな自覚はなくても)、イトシを守ろうとするキナコはやはり強いと思う。
切ないけど前を向いて生きる
杉咲花の熱演に圧倒される。それに引っ張られるかのように、男性陣がやや過剰演技になってはいたが、それに対してベテランの倍賞美津子や余貴美子が深みを加えてくれていた。
あまり詳しく中身を書くより観て欲しい映画だ。
一人一人が本当に一生懸命生きて、優しさと切なさを持っているのだ。クジラの声を聞くだけでも泣けてきた。
安吾の母が骨壷を抱えて貴湖に語る言葉がとても心に沁みた。どうしてそのままのあなたでいいと言ってあげなかったんだろうと。それ、あるよねとグッときた。
最後にこの土地に根ざして生きていくことに希望が見えて温かい気持ちになれたのも良かった。
涙と鼻水は花粉のせい?!
今日は朝早くから強風にあおられ花粉が大量に飛散してるのか、まだ始まってまもなく少年(桑名桃李くん)が貴瑚(杉咲花さん)にボロビニール傘を差しかけた時点で鼻水と涙が出てきました。なにせヒロインは杉咲花さんですものね!スギ花粉いっぱい飛びそうです。(失礼!)
本屋大賞の原作、くらいの下情報だけでなんの先入観もなしに鑑賞しましたがやはり初回上映回のまばらな観客中で嗚咽する音を聞かれないよう最大限の努力をしながらの鑑賞。時折メガネをあげて眼を擦る姿、近くのご夫婦には気づかれたんでしょうね!
杉咲花さん『青くて痛くて脆い』で不思議な違和感(魅力?)を感じた女優さんだなぁって思ってました。それまでは一緒に回鍋肉を食べてる友達に「なくなるよ!」って忠告したり、食パンを美味しそうに食べる女の子のイメージだけでしたが今回改めて素敵なそしてすごい女優さんだって実感しました。
その美しい顔立ちと、もうずいぶん前になりますがNHKドラマ『女子的生活』でまさにトランスジェンダーの役を演じられて「キレイなお兄さん(お姉さん?)だなぁ」って思ってた志尊淳さん、なかなか主役での活躍は少なかったですが今回のアンさんはよかったです。ネタバレになりますがこの映画の中ではとても残念な結末でした。
『島唄』のお父さんを持つ宮沢氷魚さん、今回は珍しく悪役でしたね。結構好きだった黒島結菜さんとの(これから生まれてくる)お子さんには優しくしてあげてください。(だから役柄ですって!)でも本物かって思わせる悪人ぶりは若干オーバー演技気味ではありますが憎たらしかったので合格です。西野七瀬のクズぶりも圧巻です。
あといつもながら脇を締める倍賞美津子さん、余貴美子さん、安定の域ですね。
先週の『夜明けのすべて』に続き様々な社会問題をこれでもかって散りばめたストーリーは途中とめどなく落ち込む内容にはまりがちでしたが、エンディングはなんとなく光が見える形でホッとしました。桑名桃李くんの笑顔に救われました。
花粉症を抜きにしても今年一番泣いたかも。色々考えさせていただきましたがやはりたくさんの皆さんに観て考えていただきたいと思う作品でした。よかったです。
52ヘルツを聞く者もいる、或いは聞こえなくとも伝わり届く。
トランスジェンダーであることのアンの苦悩、そして第3者からキナコと母親に明かされてしまった悲しみと絶望が伝わってきた。
最後にタイトル『~クジラたち』と出て、 「ああ、複数形なんだ」と思った。
キノコ、アン、イトシ、3人の聞こえない叫びは互いに聞こえていたと思った。
(追記 アンの52ヘルツはキナコに聞こえなかったと思われる)
貴瑚と愛が隠れて暮らせば愛は無国籍になってしまう。くしくも無国籍者の市子を演じた杉咲選手が、愛がそうならないよう尽力するのもオモシロイ
52Hzの声は他のクジラも聞き取れる...だからこそもっとキツイ
杉咲花を愛でる映画としては見処満載。御曹司の本性やアンさんの苦しみに気づけず、毒母から救ってくれた恩人の自死を防げない展開は切ない。
ただ、どうしても指摘したい点が2つあり、以下に詳細を記す。
1. 悪役が典型的過ぎ問題
2. 52Hzの声は他のクジラも聞こえる問題
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1. 悪役が典型的過ぎ問題
ヒロインは、21歳頃までは毒母、就職後に独りよがりな御曹司、大分移住後は少年をネグレクトする毒母に遭遇。悪役の頻出でヒロインの人生は起伏に富む。ただ悪役の描写が、MCUのヴィラン並みに典型的過ぎないか? 一方で味方は、アンさんも幼馴染もヒロインに一途に尽くす。ヒロイン自身も被害者としてのみ描かれ、彼女や味方については邪悪さは描かれない。アンさんに拠る実家へのタレコミはやり過ぎにも感じるが、御曹司のヒロインに対する暴力で、アンさんの先見性が際立たされる。
善良なヒロインが巷の悪人に苦しめられる噺は、勧善懲悪の時代劇的で分かり易い。ただ自身を含め、どんな人間も多かれ少なかれ、清さと邪悪さが混在している。毒母自身も幼少期にネグレクトを経験しているとか、元アイドルも夫に筆舌に尽くし難い仕打ちを受けた等の描写があった方が、人間描写に深みを感じたかもしれない。
🐳
2. 52Hzの声は他のクジラも聞こえる問題
本作の主題は52Hzで鳴くクジラ。シロナガスクジラ(blue whale)は一般的に10-39Hz鳴くので、52Hzはかなり高めの声であり、鳴き声の主は「52 blue」と呼称される。視認こそされてはいないが、音声の追跡から他の個体とは独立に行動していると類推され、最も孤独な個体とも呼ばれる。ただその原因が、他のクジラに「52 blue」の声が聞こえていないというのは、科学的には考えにくい。クジラの可聴範囲は様々な方法で推定されているが、シロナガスクジラは200Hzまで普通に聞こえると考えられる。
そもそも、発声器官(喉など)と聴覚器官(耳など)は別物なので、出せるから聞こえるとか、聞こえないから出せない訳じゃない。無論、種内コミニュケーション(会話など)に用いる声は、出せるし聞こえないと役に立たない。ただ、天敵が発する音を聞き取れれば、捕食を避けられる。実際、一部の蛾は会話には用いないので超音波を発生できないが、捕食を防ぐ為にコウモリの超音波は聞き取れる。天敵以外も、餌生物が出す音が聞こえれば採餌に役立つし、天変地異の音が聞こえれば防災に役立つ。なので、52Hzで歌わないクジラが、52Hzの歌を聞き取れても何の不思議もない。MISAのホイッスルボイスを真似できない人間が大半だが、彼女のホイッスルボイスは問題なく聞き取れるのと同じである。
なので「52 blue」が実際に孤独な個体ならば、それは他の個体に声が聞こえないからではなく、聞き取った上で無視されているからかもしれない。正直、聞こえないよりも無視しハブられている方がキツイ。
孤独との闘いの行方ですが・・・。
この映画の主役は、私は安吾さん”あんさん”です。原作を読んだ時から安さんです。
もちろん、キコ、キナコも素晴らしいですが、志尊淳さんが演じた安さん、安吾さんが
最高でした。久々に号泣しました。愛する人と出会った時、自分はどの路を選ぶのか?
安さん・・・その道だけは選んで欲しく無かったです。でもあなたの優しさが、皆に伝道しています。52メガヘルツの悲しい声が伝道しているのですよ。安さん♪
そこかしこの微妙さ
小説既読。
小野花梨は大好きだけど、才能あるけど、今作の役には“うるさい”と感じた。
愛情余ってのこととは分かる。可愛さ余って憎さ百倍という言葉もある。だが。
あんなになるまで追い詰められた過去のある元被虐待児に対して痛くない程度とはいえ手を上げるのは、本当の追いやりある友情と言えるのか?
そういう細かい引っ掛かりをずーっと感じながらの視聴が辛かった。
そこをマイナスした点数です。
胸が痛くなったがいい映画だったとは思う
予告編の印象では主題歌の希望ある感じの曲調もあるため、きなこが安さんに出会い、救われて成長する希望の物語と感じていた。実際、一部それはそうではあったのだが本編の大半は胸が痛むような暗く重いシーンが多く続きます。
きなこの現在から始まり愛との出会い、そこからの過去の回想、安さんとの出会い、新しい人生を始め、歩んでいく中でまた悲しい出来事が起きてしまう。そこからたどり着いた今の生活で愛とまた新たな人生を始めていく物語です。
ここからは各役者の個人的な演技の印象を。
昨年の「法廷遊戯」でテレビドラマでは見たことがない役柄での演技に衝撃を受けた杉咲花さんは今回も回想シーンから現在に至るまでのさまざまな、その時代のきなこをしっかり演じてきっていてやっぱりすごいなーと思いました。
きなこが自死しようとするシーンは法廷遊戯の北村匠海との杉咲花の終盤のシーンと被りましたw
志尊くんもさわやかイケメンの印象が今までありましたが優しく温かい安さんの演技がすごくよかった。自分の勝手な思いになりますが安さんにはやっぱり生きていてほしかった。安さんのお母さんと同じ思いです。安さんときなこが性別や体がどうであれ共に生きていってほしかったなとすごく思ってしまいました。
宮沢氷魚さんは初めて見る方でしたが、最初からの胡散臭さと嫉妬DV男の演技が見ていて本当に憎たらしくなるほどで、かなりハマり役だったと思います。
同様に西野七瀬さんの虐待シングルマザー役もだいぶハマり役でしたね。1月公開だった「ある閉ざされた山荘」でも感じましたが彼女は昔に比べると演技がだいぶ上手くなったように思います。
真飛聖さんの虐待母役は現在放送中の某ドラマでも似たような役柄でしたが先週見た「マッチング」ではクールな女刑事を演じてたり、幅広く演じていてその演技力も特に今回の冒頭の診察室での狂いっぷりは凄かったですね。
小野花梨さんはとにかく可愛いくて明るくてよかった!大好きです!こんな彼女がほしいw
余貴美子さんや倍賞美津子さんは存在がさすがの大女優って感じで安定の演技力でした。
最後に内容として気になった点を。
作中には度々あからさまにサントリー商品が出まくるのが気になりました。
私もまんまとそれにハマり帰りにプレモルを買ってしまいましたw
あとはきなこのお母さんと義父についてはどうなったのか、あのシーンだけで絶縁したということなのだろうか。自分が福祉職をやってるため義父の介護はどのように繋いだのか気になっちゃいました。
ま、そんなこんなでいろいろ書きましたが本当に2時間ちょっとあっという間で「え、もう終わっちゃうの?もっと見たい!」って感じで見終えたので自分としてはなかなかいい映画だったかと思います。
まったく感情移入出来ません。
導入と話の作りが雑すぎます…。
話の初めに水商売の話をするデリカシーのなさ、いきなり出てくる死んだ彼氏、雨に打たれて大人と子供の傷跡を見せるシーン、なんの背景もなく流れる52ヘルツの鯨の鳴き声、ちょっと出て来てすぐ死ぬ父親、人となりもわからぬままキレる母親、運命的な出会いの彼氏さん…。
話の背景に深みが全然なく、登場人物をアイコン的に配置しているだけのように感じました。
比べてはいけないのかもしれませんが、やはり『市子』と比べると演技も見劣りしてしまっています。
綺麗な背景と主演女優の杉咲さんで2点です。
聴こえる人だけに届く心の叫び
原作は読みました。とても良かったです。
作品の中に没入する体験をしました。
原作にとても忠実な映画化だと思いました。
テーマは現代の現実にある問題点。
《毒親、ヤングケアラー、児童虐待、DV、トランスジェンダーなど、》
【あらすじ】
主人公の貴湖(きこ=杉咲花)は、傷ついた心と身体を休めるために、
東京から北九州の海辺の町に移り住んだ。
そしてすぐに虐待されて声を出せず話せないムシと呼ばれる
少年と知り合う。
そして3年前の過去へとストーリーは戻ります。
母親が再婚した義理の父親は3年前から寝たきりになり、
貴湖(杉咲花)が介護を担っている。
母親は働き手で家計の面倒を見てくれるので、貴湖は
ヤングケアラーの現実を受け入れている。
しかし父親が誤嚥して入院した時、母親は激怒して、
「お前が死ねばよかった」と、暴言を吐き暴力を振るった。
心と身体に限界が来て、街で車に飛び込みそうになったの時、
岡田安吾(志尊淳)が助けてくれる。
安吾は「52ヘルツの鳴き声を出すクジラの話」をしてくれる。
52ヘルツの鳴き声を出すクジラは、
どんなに泣いても仲間にも誰にも
気付いてもらえない。
アンさんの聴かせてくれたクジラの声は貴湖の悲しみに寄り添うような
響きだった。
アンさんには貴湖の声なき叫びが届いたのだと思う。
病気の父親を介護士や行政に任せる手続きをアンさんが手伝ってくれて、
貴湖は配送センターの仕事に就く。
そして専務の息子の新名主税(宮沢氷魚)と知り合い、愛されて
同居するようになり、幸せを実感する。
しかし主税が父親の意思で取引先の娘との結婚を決められる。
主税は貴湖を愛人として近くに置きたいと言う。
しかし思いも寄らない事件が起きる。
安吾(アンさん)が主税の父親に貴湖という恋人がいる事を
手紙で告げたのだ。
その結果、主税の結婚は破談になり主税は専務を辞めさせられる。
荒れ狂う主税は貴湖に暴力を振るう。
安吾の身辺調査をして、アンさんがトランスジェンダーで
生まれた時の性別は女性だと突き止める。
主税に激しい言葉で責められたアンさんは
浴室で自殺してしまう。
そしてアンさんの主税当て遺書を読みもせずにガスの火で燃やす主税。
それを見た貴湖は自らの腹部に包丁を突き刺す。
そして最初に戻り
現在。
貴湖の親友の美晴(小野花梨)も海辺の家に長期滞在してくれている。
少年(ムシ)の親戚探しもうまくいかず、実母(西野七瀬)は、
我が子を見捨てて町を出て行く。
貴湖は福祉制度を勉強して愛(いとし=ムシの本名)の行き場を
探し始める。
貴湖は苦労して養子縁組をして愛を引き取る。
52ヘルツの音を聴き分ける者たち。
人の痛みに耳を傾ける者たちが身体を寄せ合って生きる。
原作で感動したのですが、映画は丁寧だけれど、
そんなには迫ってきませんでした。
アン役の志尊淳。
健闘しましたが難しい役どころ。
残念だけどもう少しトランスジェンダーに見える何かがあれば、
本物のトランスジェンダーに見えたかと思いました。
そして初の悪役でしょうか?
宮沢氷魚の迫力ある演技には驚きました。
暴力でか弱い杉咲花が吹っ飛ぶシーンは真に迫り、
男の暴力の凄まじさに心底怖かった。
演技力に自然さがあり、そして育ちが良さげなので、役にぴったり
ハマりました。
貴湖はこれから仕事に就き、自活して行くのだろう。
苦しみを一人で抱え込まない事。
そして助けてくれる人の存在が大事だと思いました。
現代の現実にある病巣や闇に斬り込んだ佳作でした。
全部乗せ、化調(セリフ)たっぷりラーメン
現代日本の社会問題と不幸を全部乗せました、こういうので泣くのお好きでしょう、さあ召し上がれって感じの映画でした。ラーメンじゃないんだから全部乗せればいいってもんじゃない。
雑な脚本の割にそこそこ食えるモンになってたのは役者たちの頑張りでしょうか。杉咲花はいつもの逆境に生きる幸薄い女を上手く演じてます、既視感のある芝居ではありますが。
あと内面描写をセリフで喋る、喋る。子供相手に、ユーレイ?相手に、遺言状読ませて、等々。ラジオドラマじゃあるまいし映画なんだからもっと映像に語らせてよ。
それから最後の出来の悪いCGのクジラのシーン、あれ要るかなあ。これもそのあとオバハンにセリフで補足説明させてたし。
杉咲花とアンサンブル、バランス
広い空と海に向かって突き出したバルコニー。こんな家に住みたいと思った。
原作未読。物語は小説向きなのか、2時間の映画には盛りだくさんな印象。それとたとえば名前を52というのは字面ではありだけど口に出すとおかしいと思うのが普通の感覚では。最近の小説映画化作品で時々思うことでした。
ワンカット長回しの中で自然に変化する杉咲花の表情の凄さにまたも感動する。物語とは別の感情カモ。一方で志尊淳や小野花梨や西野七瀬や宮沢氷魚のごく普通の演技・セリフ回しが見劣りしてしまう弊害も。それと説明的文語的すぎるセリフが演技を邪魔している。そこまで長セリフ言わなくても伝わってるってば...。てなことを感じてしまいました。宮沢氷魚、初めて見た嫌なやつも良かったな。
それにしても、言いにくいけどLGBTQテーマが世界中で渋滞中。少数派だからドラマチックになるということか。
キナコにも、アンさんにも、共感することができない
はじめは、児童虐待をテーマにした物語なのかと思っていたが、トランスジェンダーであることに苦しむアンさんの生き様が、むしろ強く心に残った。
ただ、彼が、キナコの52ヘルツのSOSを聞くことができたのは、彼自身に、家族のことを「呪い」と感じ、逃げ出した過去があったからだろうと想像したのだが、母親との再会のシーンで、そうしたことが明確に示されなかったのは、やや物足りなかった。
それに、いくらキナコのことを思っての行為だとしても、彼が、キナコの恋人にした仕打ちは、単なる「告げ口」でしかなく、あまり同情することができない。
さらに、彼の最期にしても、いくら想いを寄せる人と結ばれないということに悲嘆したのだとしても、あるいは「告げ口」をしてしまった自分自身を許せなかったのだとしても、自死という選択には、どうしても同意することができなかった。
主人公のキナコにも、なかなか感情移入することが難しい。
キナコは、アンさんのことを好きなはずだったのに、いくら一度振られたからと言っても、そのアンさんから「不幸になるから恋人と別れろ」と言われて、逆ギレするとはどういうことだろう?
社長の御曹司である恋人には、あれほど「嫌な奴」フラグが立っていたのに、それでも「私は彼と幸せになる」と言い切ってしまうキナコには、まったく男を見る目がないと言わざるを得ず、セレブな生活に目が眩んでいるとさえ思えてしまう。
案の定、恋人が暴力を振るい始めても、キナコの自業自得にしか思えないし、ラストで、キナコが、「真実を知っても、アンさんへの気持ちは変わらなかったのに•••」と呟いても、「何を今さら」と、白々しさしか伝わってこない。
愛(いとし)を救い出そうとするキナコの行動にしても、同じように親から虐待されていた自分と彼とを重ね合わせる気持ちは理解できるものの、児童相談所にも相談せず、どうして自分だけで問題を解決しようとするのだろうか?
この手の物語にはよくあることなのだが、社会には(決して十分とは言えないかもしれないが)それなりのセーフティ・ネットが整備されているのに、それを知らなかったり、信用していなかったりで、個人的に突っ走る主人公の姿には、やはり違和感を覚えざるを得ないし、場合によっては観客をミスリードする恐れさえあると思えるのである。
監督さんとの相性が悪かった
原作も俳優の演技もよかったはずなのに、杉咲花演じるきなこと少年の話しになかなか感情が動かなかった。一方で志尊淳演じるアンさんのエピソードに涙が抑えられなかった。
大事に思うからこそずっと隠して来た本当の自分を母親に知られたとき、想像し得る最悪の反応をナチュラルに悪気なく親にされ、1人で生きるために張り詰めていた糸が切れる気持ちが、状況は違えど完璧に自分の経験とリンクして本当につらかった。
このエピソードで泣きはしたが、監督が撮る映像と肌が合わず、評価はイマイチ。男性陣のセリフがクサすぎて鼻で笑ってしまったし、ワンシーンのカットが異様に長いことに不満がつのった。また不必要に思えるシーンにイライラを感じてしまい、特にクジラのシーンは全て不必要だと感じた。
魂のつがい
杉咲花さん主演。前回の市子から、またハードな役をこなす。
52ヘルツのクジラは鳴き声が高くて特徴があるが、他の仲間のクジラには聞き取れない声。
生涯孤独で独りで彷徨うらしい。
かつて孤独感を経験した岡田安吾は直ぐ様、貴瑚が出す周波数を感じ取った。
多分自分を幾度も傷つけ死にたいと思ってた
時期があるんだろう。腕のリストカットが
物語ってる。安吾の違和感がある髭は
そういう役だったんだのね。
貴瑚の人生は激しい。愛も同様。
あのような毒親は虐待はするが後で抱きしめて
優しくする。いわゆる洗脳。恐怖心と優しさを
植えつける。『家族が呪いになる時もある』と言う言葉は正しくそう思うし、逃げたくても逃げられない現実もあるのは実態。
産まれてきた時は皆同じ。純粋なつぶらな目をしている。だが、住む環境や育てる人によって違ってくる。
同じ周波数が分かる仲間が助けてくれて
良かったと思う。本当はもっと一緒に
いれたかもしれないのに。
貴瑚が愛を預り生活するのは行政も
簡単には許可しないだろう。
でも、一度は死んで再生した二人。
やっと周りの人々も助けてくれそう。
人に寄り添う心って難しいけど大切。
安吾の分も生きて欲しいと願う。
泣ける映画?
原作を読んだ時は「重すぎて読むのが辛かった」という感想だった。
児童虐待、DV、性別違和に苦しむ人達の物語。
映画になると聞いても『観た後に辛い気持ちが残りそう』と思い、観るつもりはなかったのだが、TVCMなどで『泣けた』 『号泣した』という宣伝をしていた。
『どうやって、あの原作を泣けるように仕上げたのだろう?』という興味が湧いて観に行ってみた。
ほぼ、原作に忠実なストーリー。
母親に『虫』と呼ばれ、児童虐待により喋れなくなったアザだらけの愛。
彼氏に殴られるとわかっていても同棲している部屋に帰ることしか出来ないキナコ。
性別違和に苦しみ自殺する杏。
ひたすら重い…
ラストで愛がちょっとだけ救われるが、実際問題、愛とキナコが一緒に住み続けることは不可能に近く、愛の施設入りは避けられないし、万が一、気の変わった母親が愛を取り戻しに来たらキナコたちには何も出来ない。
結局、誰も救われていないんだよね。
この内容で『泣ける映画』と宣伝するのはいくらなんでもあり得ないと思う。
映画自体は丁寧に作られていて、2時間超えでも中弛みはなく、役者たちも頑張っている。
倍賞美津子はさすが大女優の存在感。
ただ、重い話が大丈夫な人なら良いが、宣伝を見ただけで『あの花が咲く丘』みたいな泣ける映画を期待して観に行くと後悔することになるかもしれない。
【"二つの魂の番い。”今作は児童虐待やトランスジェンダーの悩みと言う重いテーマを絡めながら、その中で孤独な心を持ちながら必死に生きようとする人達や、彼らを支える人を描いた作品である。】
ー 序盤から中盤にかけては、観ていて可なりキツイ作品である。-
■キコ(杉咲花)は、母(真飛聖)から義理の祖父の介護を命じられ、毎朝4時に起きて3年間も面倒を見ている。だが、祖父は誤嚥性肺炎を起こし、キコは、母親から酷く殴られ、”アンタが代わりに死ねば良かったのよ!”と罵声を浴び、フラフラと歩く中、安吾(志尊淳)に助けられる。脇には高校時代からの親友ミハル(小野花梨)もいる。
二人は、キコから事情を聴き、余りの過酷な状況に絶句する。
そして、ある日安吾から”52ヘルツのクジラ”の鳴き声が録音されたテープをプレゼントされる。
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何とか立ち直ったキコが働く会社で、キコはある切っ掛けでその会社のボンボン専務、チカラ(宮沢氷魚)と恋仲になり、一緒に高級マンションで住み始めるが、安吾はキコに”あの男といては駄目だ。アイツは君を不幸にする。”と説得するが、キコは且つて自分が愛していた安吾にその思いを伝えていたのに、”君の幸せを祈っている。”と言われた事で関係を続けるが、チカラは安吾が言っていたように、DV男の本性を表す。
そして、自ら命を絶った安吾がチカラに読ませるために残した遺書を読みもしないで、コンロで燃やす姿を見た時に、キコは包丁で自らの腹部を刺す。
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キコは、一人で海辺の近くの家に住み始める。
そんな中、雨の中、腹部の傷のために倒れ込んでいたキコに傘を差し出してくれた少年。彼は身体中に、且つての自分の様に痣がある。そして、彼の母親コトミ(西野七瀬)は、彼の事を”ムシ”と呼び、男と街を去る。
◆感想
・今作で”52ヘルツのクジラ”であるのは、キコと安吾と“ムシ”と母に呼ばれた”愛”である事は観れば分かる。
そして、”キコと安吾”、”キコと愛”こそが”魂の番い”で結ばれた人たちなのである。
・安吾が実はトランスジェンダーであると分かるホルモン剤を打つシーンが、前半一瞬映されるが、あのシーンから安吾がキコを深く思いながら、キコの想いに対し、”君の幸せを・・。”と言うシーンは、彼の辛さを語っている。
・キコの高校時代の友人ミハルの存在は、観ていて心が潤う。彼女は突如消えたキコを職を辞してまでして、探しに来るのである。
・キコとミハルが少年の”家族”を探しに、長崎に行った時に明らかになった少年の名前”愛”。彼を愛していた祖母が既に亡くなっていたが、はす向かいの家のオバサン(池谷のぶえ)の家で分かった事実。そして、渡された笑顔で祖母と観覧車の前で映された写真。
<家に戻り、キコとミハルと愛が川の字で寝ていた時に、キコは愛が居ない事に気付き、写真に書かれた”サヨナラ”の言葉を見て、心当たりのある少年がキコに傘を差し出してくれた桟橋に駆けて行く。
少年は、海に飛び込もうとしていたのだろうか。ぼんやりと早暁の中に立つ少年に向かいキコは”死んでは駄目!”と言って少年を抱きしめる。
そして、二人の未来の幸せを願うかのように、離れクジラが海の名から現れ、大ジャンプをするのである。
今作は、児童虐待やトランスジェンダーの悩みと言う思いテーマを絡めながら、その中で孤独な心を持ちながら必死に生きようとする人達や、彼らを支える人を描いた作品なのである。>
聴こえない癒しと幸せの声。
東京から大分の海が見える高台に越した三島貴瑚の現在と過去の話。
雨の中、古傷が痛み道で倒れる貴瑚、そこへ傘をさしてくれた言葉を話さない髪の長い少年…濡れた為、自宅にてシャワーを浴び様とその少年の着ていた服を脱がすと虐待の傷跡が、自分の子供の頃とリンクした貴瑚はその少年を放っておけなくなる…。
原作未読
序盤の脱衣場で少年の身体の傷跡から涙が出てしまって。作品とはいえ子供が親の事情でこんな思いをするのは悲しい、子供の頃の貴瑚も親から虐待、懸命に義父の介護と…、疲れきった彼女の心の声に気づき手を差しのべてくれた安吾と学生時代のともだち美晴との出会いと再会。
「52ヘルツ…」という文字から自分の名を52とした少年、52の世話になった場所を訪れて愛と書いて「いとし」という本名が分かる。
過酷な現在と過去の描写が流れるなか時折流れる安吾と美晴と過ごす癒しの雰囲気と優しい時間、何で安吾は露骨に分かるアゴ髭?何て思ってたけど彼、いや彼女の苦悩と気持ちが分かった時には涙。
自分から安吾にキナコと呼んでと言っておいて安吾に「私は貴瑚」と訂正したのは悲しかった。
察して出ていった愛の「キ・ナ・コ」と呼ぶ声と、髪を切ってもらってる時の愛の笑顔には泣けた。ちょっと悲しい話ではあったけど悲しさの中に優しさもありで楽しめました。
2時間半には収まらない
俳優陣の演技が素晴らしかった。
杉咲花ちゃん目当てに行ったけど、専務、宮沢氷魚君のモラハラの見え隠れする「アーン」のシーンとか絶妙に気持ち悪かった。志尊淳君の諦めた瞬間の光を失った目の演技。もちろん花ちゃんの絶望とか自分を取り戻していく感じも素晴らしい表情だった。先述のアーンや杏吾の似合わない髭も良い演出だと思う。
気になったのは2点。
CM見てる時から思ってたけど、テーマの割りに主題歌明るすぎないかな?終わり方見たら希望を持って終わるからあれで良いのか。微妙にしっくりきてない。
あと詰め込みすぎ。誰にも聞こえない心の叫びがテーマだし、気付くのは同じような痛みを抱えているから。だから、それぞれに背景がある。ありすぎて表面をサラッとと言うか、駆け足で通りすぎた感じが勿体ない。
きなこの母とぶつかりながらも完全に決別までで映画1本。
立ち直って恋心を感じる余裕も出来たのに失恋でクズ男につかまってから決別までで1本。
再出発して自分と似た境遇の子を救うで1本。
一つ一つ丁寧に3本の映画、もしくは1クールのドラマとしてじっくり見たいくらいぎゅーっと詰め込まれた映画。
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