【「パリのちいさなオーケストラ」評論】「ボレロ」に魅せられた少女の“ちいさな決意”が生み出した大きな波紋
2024年9月22日 13:00
「音楽はある瞬間に突然降りてくる。僕はその音を形にするだけだ」…これはジョン・レノンが残した言葉のひとつ。だが追い求める音は容易に現れるわけではない。輪郭の伴わないフレーズが体内に静かに湧き上がり、譜面に落とし込もうとするがそれは叶わない。その時、音楽家はどうするのか。鳥のさえずりで目覚め、機械が独特なリズムを刻む工場の音に身体が感応し、サテンの手袋の衣擦れに耳を澄ませ、時には家政婦と流行歌を歌ってみる。史実に基づいて名曲誕生の秘密に迫る「ボレロ 永遠の旋律」(2024)のアンヌ・フォンテーヌ監督は、天才作曲家ラヴェルの創作に苦悩し葛藤する日々をストイックに描いた。
「ボレロ 永遠の旋律」から数日後に「パリのちいさなオーケストラ」を観た。原題はイタリア語で「愉快にさせる」を意味する「Divertimento(ディヴェルティメント)」。18世紀にヨーロッパで生まれた器楽曲の総称であり、音楽を愛する双子の姉妹が作ったオーケストラの名前である。
このちいさな楽団は、パリの名門リセ・ラシーヌ音楽院に最終学年で編入し指揮者を目指した姉ザイア・ジウアニとチェロ奏者の妹フェットゥマが発起人となり、音楽院や他校の生徒、音楽教室のメンバーなど、それぞれの環境で音楽を愛する人々に呼びかけて1998年に誕生した。階級も出自も気にしない。まさに多様性の走りでもある。今も年に約40回の公演を続け、先に閉幕したパリオリンピック閉会式でザイアと仲間たちが演奏する姿を目にした方もいるだろう。
アルジェリア移民の娘である姉妹は、編入直後から出自をめぐる人種差別に晒され、経済的な蔑視や音楽界に蔓延る男性社会に直面する。不寛容で狭量、排他的な環境下で、それでもふたりは猛練習を続ける。そんなある日、孤高の指揮者セルジュ・チェリビダッケに認められたザイアは、小澤征爾ら日本人優勝者も数多く輩出しているブザンソン国際指揮者コンクールへの挑戦を決める。
「パリのちいさなオーケストラ」はラヴェルの「ボレロ」で始まり「ボレロ」で結ばれる。女性監督による「ボレロ 永遠の旋律」同様、自分だけの“音楽”を希求する描写で惹きつける作品だ。作曲家と指揮者が音楽と向き合う。ラヴェルは体内に湧き上がる音のつながりを見いだそうともがき、ザイアは複数の音をひとつにするために模索を続ける。列車が走る高架下で耳を澄ませ、街の灯りが眼下に広がる屋上で楽団員たちをイメージしながら指揮棒を振る。師チェリビダッケは、「団員たちとひとつになれるか」と問いかけ、誰もが持てるわけではない“姉妹の絆”を大事にしろと教える。
ピアニストで指揮者の父、ヴァイオリニストの祖母、クラシックに造詣の深い家系に生まれたマリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール監督は、「現実は想像よりもはるかに強い」と音楽家を演じられる俳優ではなく、ミュージシャンであることを最優先にキャスティングを進めた。フェットゥマを演じたリナ・エル・アラビは「監督はリハーサルを好まず、キャラクターについて話し合った後は、俳優たちに自由な演技を求めた」と即興性を追求するエモーショナルな現場だったと述懐する。脚本の開発に協力した実の姉妹は現場に寄り添い、主演のウーヤラ・アマムラとリナの視界の先で撮影を見守った。
幼き日、両親が見つめるテレビからラヴェルの「ボレロ」が流れてきた。父の膝に腰掛けて耳を傾けていた少女の手が音の波長に合わせて上下に揺れる。音楽に魅せられて成長したザイアの“ちいさな決意”が、やがて大きな波紋となって世界に広がっていく。若き日の情熱は尽きることなく現在に至る。音楽を愛し続ける姿が明日への希望をもたらす。
執筆者紹介
髙橋直樹 (たかはし・なおき)
1962年生まれ。大阪芸大卒。
映画.com編集顧問、ティー・ベーシック代表。
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