コラム:21世紀的亜細亜電影事情 - 第13回
2014年9月24日更新
第13回:台北の美術館にツァイ・ミンリャン作品を観に行った
台湾映画界の巨匠、ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督が、現在日本で公開中のカンヌ国際映画祭審査員大賞受賞作「郊遊 ピクニック」を最後に、長編映画製作からの引退を発表した。今は短編を撮影しており、今後は作品を美術館で見せていくという。台北で開催されている同作の展示会「蔡明亮大展 來美術館郊遊」(11月9日まで)に行ってみた。
台北市中心部の台北教育大学美術館。会場の美術館は、バス通りに面したモダンな建物だ。こぢんまりした3階建ての壁面には、巨大な「郊遊 ピクニック」の写真が掲げられている。すぐ脇の大学正門にも大きなポスターが下げられ、道行く人の目に止まるようになっている。大学のキャンパスは緑豊か。中庭では学生たちが談笑し、家族連れが休日の午後をのんびり過ごしている。
美術館の正面玄関を入ると、展示会の受付担当の女性が小さな机に座っていた。説明を受ける。上映会のメーン会場は3階。入場料は一般が200台湾ドル(約720円)、学生が100元(約360円)。映画館のチケット(台北では250~300台湾ドル=900~1100円ほど)より安く設定されている。上映は1日7回。8月末に始まった展示会だが、好評を受けて最近上映回数が増やされた。監督は日本公開前の来日時、インタビューで話していた。
「新しい観客に来てほしい。もっと若い人にも観てもらいたい。チケットを安くすれば、気に入った人は繰り返し来てくれるだろう。学生なら先生や親たちと来てもいい。美術館でリラックスして、自由に観てほしいんだ」
確かに中に入ると、静けさもあって心が安らぐ。内壁は白で統一され、シンプルで飾り気がない。2階の一角には枯れた草木がオブジェのようにあしらわれ、そばを通ると森の中にいるような錯覚に陥る。街中の大型シネマコンプレックスとは違う雰囲気だ。館内の白い壁には映像が映せるようになっており、上映時間外も「郊遊 ピクニック」の一部が流されている。たまたま美術館に来た人も、作品の断片に触れられる。
ふと気づいた。ここは時間の流れる速度が違う。空気も違う。恐らく観客の心理状態も違うだろう。それはせりふや音楽を極限まで排した「郊遊 ピクニック」にも通じるのではないか。単純明快で人を引き付けるハリウッド大作と違い、いわば「不親切で分かりにくい」作品と向き合い、かみ砕くには最適の場所かもしれない。
引退を表明した監督は今、短編撮影と舞台に力を注いでいる。これまですべての長編全作に主演してきたリー・カンション(李康生)が、ただ「歩く」姿をフィルムに収めているのだ。世界各地で撮影した短編は、もう6本になった。8月にはリー主演の無言劇「玄奘」も上演した。
「映画を撮る時、私はいつもあせっていた。うまく撮れないのではないか。誰も見てくれないのではないか。配給が難しいのではないか。つらい思いをしてきたが、短編を撮ることで、それらを捨て去る学習をしている。仮にピカソのような画家が、ある場所で絵を描こうとする。イーゼルを立てた時、彼はあせるだろうか? 落ち着いて、描きたいものを描くだろう。私はあせりを捨てたいんだ」
館内に設けられた大スクリーンに、「郊遊 ピクニック」の映像が映し出されていた。学生らしい若い男性が一人、ひざを抱えて床に座り、じっと画面を見ている。階段脇の壁には、作品を観た人たちによる手書きのメッセージが張られていた。ある中学生の感想が目に止まった。
「美術館に『ピクニック』に来ました。観た後、考えて、また考えて、映画を思い、自分について考えるでしょう。5分間、1週間、もしかしたら一生。監督に出会えてよかった」
ツァイ・ミンリャン監督の願いは、確実に受け手に届き始めている。
筆者紹介
遠海安(とおみ・あん)。全国紙記者を経てフリー。インドネシア(ジャカルタ)2年、マレーシア(クアラルンプール)2年、中国広州・香港・台湾で計3年在住。中国語・インドネシア(マレー)語・スワヒリ語・英語使い。「映画の森」主宰。