コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第42回
2016年9月28日更新
第42回:TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)
いま豊洲への移転問題で揺れている築地市場。世界最大の水産物の卸売市場である。料理評論家の山本益博氏は「築地は世界一の魚市場ではない。世界唯一の魚市場」と言い切っているが、この圧倒的なオンリーワンを、素晴らしい視点で描いたのが本作だ。
築地市場というと、敷地の広大さや水産物の取扱量など、やたらと「巨大である」ということばかりが強調される。それはたしかに凄いのだが、しかしこの映画の見どころは規模ではない。最高の見どころは、出てくる人間たちのカッコよさ、渋さ、面白さだ。おまけにみな、心の底から仕事を楽しんでいるように見える。日々変わる状況を刺激として楽しんでいる。だから本作には、笑顔がとても多い。
築地の中心は、「卸売(おろしうり)」と「仲卸(なかおろし)」の2つの業者。前者が日本国内だけでなく、世界中からも水産物を仕入れてきて、築地で売る。セリの場合もあれば、「相対(あいたい)」と呼ばれる直接取引もある。この卸売から魚を買って、小分けして築地市場の中の店頭で売るのが、仲卸。有名すし店や割烹、高級レストランはたいてい仲卸の常連になっていて、すし職人や料理人は午前中に営業している仲卸にやってきて、魚を仕入れていく。そういうしくみになっている。
600店舗ある仲卸の人たちが、本作の中心的な登場人物だ。「ああ、江戸時代の江戸っ子ってこんな人たちだったのかなあ」と感じさせる風貌。気っ風が良くて気さくで、でも芯が強そうで頑固で、まさに職人肌の人たちが次々と登場し、カメラに向かって喋る。
アナゴの若い仲卸。「自分ももうアナゴしか知らないから。この仕事してなきゃ自分は生きてってないんじゃないかな」。人形町の名店・㐂寿司にアナゴの超一級品を提供している。選び方について、こう話す。「小さきゃいいってわけじゃない。重さでもない。持ったときの、この感じ」。こういう超絶的な感覚が、彼の仕事を支えている。
マグロの仲卸。「この鮮度感だと、1週間後にはこんな味になるんじゃないかなあという勝手なストーリーを頭の中に描く。もう妄想すごい。築地の人間なんて、妄想族ばかりの妄想の中で生きてるからね」
別のマグロ仲卸。「マグロは見た目よりも、柔らかさだ。そして脂のきめの細かさ。融点が低いマグロ。脂にざらつきがないっていうかなあ。ちょっと触っただけで、ほわっとするようなマグロ。そんなマグロを切って『あ、これ鮨で握ったら旨いだろうなあ』と思ったときに、すごく喜びを感じるね」
そして仲卸に出入りする、さまざまな店の料理人、職人たち。四谷・すし匠の中澤圭二さんは言う。「築地は人間を売ってるんだよ。魚を売る前に。その人間に惚れて買いに行くのね」。銀座のフレンチ「エスキス」のリオネル・ベカさん「仲卸の人たちは全員、お店に食べにきてくれた。理解するためにわざわざ来たのだ」
このような関係が、築地を支えている。ハーバード大教授で築地の研究者、テオドル・C・ベスターさんは語る。
「リサーチをはじめたとき、市場をフィジカル(物理的)なものととらえていた。魚が運び込まれ、それが売られる場所であると。しかし調査を続けるうちに、魚よりももっと重要なものがあることに気づいた。それはジョーホー(情報)だ」
信頼をもとにした人間関係があり、その人間関係の上を、猛烈なスピードで情報がかけめぐる。会話が交わされ、情報が交換され、仲卸が料理人に魚を売るときに、その魚の付随する情報も一緒に届けられる。その情報が魚の価値をさらに高めていく。こういう信頼と情報のシステムが、日本の誇る食文化の大いなる基盤となっているのだ。
■「TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)」
2016年/日本
監督:遠藤尚太郎
10月1日から東劇ほかにて全国公開
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao