コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第2回
2013年4月5日更新
第2回:「ガレキとラジオ」
なぜラジオを描いた物語は、これほどまでに人の心を打つのだろうか。
「ガレキとラジオ」は、宮城県南三陸町で震災後にスタートした期間限定の災害ラジオ局「FMみなさん」を舞台にしたドキュメンタリだ。スタッフに放送のプロはひとりもおらず、元ダンプ運転手や会社員、高校を卒業したばかりの女の子など素人ばかり。
イズミさん。中年で元ダンプ運転手の和泉さんは、人柄の良さがにじみ出てるような坊主頭だ。シングルファーザーで、思春期の息子三人を扱いに困りながら育てている。しかし言うことを聞かない息子は、親父が漁港にインタビュー取材に出かけているところをこっそり偵察に来て、ちょっと照れ笑いしながらこうつぶやく。「ダンプのころはカッコいいと思ったけど、人の話を聞く仕事なんて向いてねえなあ」
高校を卒業したばかりの女の子、ムラマツちゃんは、津波で姉を亡くした。姉との思い出の写真が残ってるはずの携帯電話を求めて、自宅跡のガレキを何度も何度も探し続ける彼女。彼女は泣きながら語る。「姉は障害者で、嫌いで嫌いでしかたなかった。ケンカばっかりしてた。でも今になって……」
こういう心やさしい人たちが作る、素人のラジオ。でもこのラジオは、地元の人たちの心に届いている。本作ではスタッフの側だけで鳴く、ラジオを聴いている人の姿も描かれる。娘と孫娘が津波で行方不明になり、たったひとり仮設住宅で暮らしている幸子さん。きれいに片付いてモノのほとんどない小さな部屋が、逆に彼女のさみしさを浮き彫りにしてつらい。彼女は毎日「FMみなさん」を聴いている。ラジオのスタッフたちがつくる世界、さまざまなコミュニケーションが、電波を通じて幸子さんの心の空白へと流れ込んでいくのが、観ているとよく分かる。
本作ととても似た設定を持ったテレビドラマが、3月にNHKで放送された。そのものずばり『ラジオ』と題されたそのドラマは、宮城県女川町の実在の災害ラジオ局「おながわ災害FM」を舞台にしている。心に傷を負う高校生の少女と、心やさしいラジオのスタッフたち。そしてもうひとりの主人公として、津波で家族を失った中年の薬剤師をリリー・フランキーが好演している。彼は上京し、東京の薬局で働きながら、がらんとしたアパートでひとり暮らしている。彼の数すくない楽しみは女川のラジオを聴くことで、ときにリクエストのはがきを送り、それは主人公の高校生に読み上げられ、2人の心は遠い距離を超えて響き合う。
ドキュメンタリとドラマと描き方は異なるけれども、この2つの作品はとても近いモチーフを持っている。そして両作品とも同じように、観ている私たちの心を激しく揺さぶる。
両作品が描いているのは、メディアの原始の姿としてのラジオというありかただ。
新聞・テレビ・雑誌・ラジオという4つのメディアは「4マス(よんます)」という言い方をされる。4つのマスメディアという意味だ。19世紀ごろから普及してきたマスメディアは、大量の情報を多くの人に一斉に送信し、世論を動かし、さらには第4権力とまで言われるようなパワーをもつようになった。でもメディアはもともと、もっと土俗的で伝承的なものだった。世界が村ごとに閉ざされていた時代に、情報のない村に異国の話を届ける旅人のような存在が、メディアの原型だったのだ。
情報を発信し、それを受信することは、単なる伝達ではなかった。それは同時に発信者と受信者とのあいだのコミュニケーションであり、心の共鳴であり、そして互いがつながり新たなコミュニティをうみだすことでもあった。とても動的なものだったのだ。伽藍のような巨大構造物としてのマスメディアは、進化のなれの果てでしかない。
その伽藍の屋根と装飾が剥ぎ取られたときに、メディアの原始のありようが姿を現してくる。震災後の被災地というとても極限的な状況の中で、それは生まれてきた。
だから私たちは、そのかよわくはかなげで、でもとても親しみやすい「民族伝承」のようなラジオの物語に強く惹きつけられるのだ。
巨大装置を通じてではなく、メディアを介在してだれかとつながりたいという本能的欲求が揺さぶられるのだ。
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao