コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第100回
2021年12月16日更新
第100回:東洋の魔女
なんだーこの映画!というのが、観ている最中の正直な感想だった。ものすごく、良い意味で。これはびっくりの現代アート的傑作である。
タイトルの「東洋の魔女」は、1964年の東京オリンピックで優勝した日本の女子バレーボールを指している。長くつらい戦争が終わってまだ20年も経っていなかった時に、圧倒的な体格をほこる強豪ソ連チームを追い詰め、ついには倒した彼女たちの雄姿に、日本人は歓喜し熱狂した。
「東洋の魔女」を率いたのは大松博文という監督で、のちに参議院議員にもなった。大正生まれの戦中派である大松は陸軍に召集され、南方を転戦。死屍累々の悲惨な戦場となったことで知られるインパール作戦からの数少ない生き残りの一人である。戦後、ニチボウ貝塚工場の女子バレーボール部監督に就任し、ものすごい特訓で強靭なチームに仕立て上げ、世界を制するまでになった。
とはいえ、現代的な視点で見れば「鬼の大松」はパワハラそのものであり、大松監督の特訓は日本ではこれまで何度となく批判されてきた。彼は軍隊体験をもとに女子部員たちを指導し、「自己を犠牲にしてやり抜く精神が人間修行の最良の道であり、進んで人の犠牲になる精神が、土性っ骨、土根性をつくる基になる」(大松の著書「おれについてこい!」1963年より)といった精神論を盛んに述べている。
これが今にいたるまでの日本の体育教育や部活動の問題の根源になっている、ということもくり返し批判されてきた。21世紀になってもいまだに指導者や教師の軍隊的なしごきで、子どもが死にいたってしまうような事件はなくならない。
だから「東洋の魔女」は日本の輝かしい戦後日本の象徴でもあったのと同時に、21世紀的正しさにおいては「手放しで褒めてはならない、ちょっとヤバイ過去」みたいな扱いにもなっていたのだ。
本作の話に戻ろう。この映画を撮ったのは、フランス人である。監督・脚本を描けたジュリアン・ファロで、1978年生まれ。戦後の日本の復興とも、日本の軍隊教育の闇ともなんら関係のないアウトサイダーである。
そしてフランスの国立スポーツ体育研究所の映像部門で働いているといい、過去に1952年ヘルシンキオリンピックやテニスのジョン・マッケンローを描いた作品を撮ってきた。そういう人が「東洋の魔女」をテーマにするのだから、おもしろい視点が期待できないはずがない。
その期待通り、きわめて斬新な切り口の映像が怒濤のように押し寄せてくる作品になっている。
物語そのものは、いまや80代になってきている東洋の魔女たちのインタビュー(これが皆さんものすごく元気でハキハキされていて、非常に驚かされる。さすが元世界的アスリートたち)と、古い映像を交互に見せることで進む。古い映像はデジタル修正されているのか、非常に鮮やかでまるで目の前で当時の彼女たちが動いているようだ。
これに市川崑の著名なドキュメンタリー作品「東京オリンピック」や、東洋の魔女が引き起こしたバレーボールブームの延長線で1960年代末に放送された人気アニメ「アタックNo.1」の映像が混ざり合い、渾然一体となって「映像マジック」としか言いようがない魔力をもたらしている。ソ連戦の実況中継で本物のアナウンサーが喋る声を、「アタックNo.1」の漫画のアナウンサーの映像に重ね合わせているところなど、思わず笑ってしまった。
泥臭いはずの大松監督の特訓は、フランス人監督のオリエンタルな視点からはマジックでリアルなものとして描写され、現代的な音楽ともあいまって虚実のはざまに追いやられていく。そこに古くさいアニメの動画が混じりあうところは、古い日本のシティポップとアニメの動画を重ね合わせてユーチューブで評判になったヴェイパーウェイヴのようである。
日本の戦後のノスタルジーとしてただ懐かしく観ることも可能であり、現代アートとして驚くことも可能であり、たいへん奥の深く面白い作品である。少なくとも、100分間を途中で飽きることはまったくないというのは保証できるオススメのドキュメンタリーだ。
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■「東洋の魔女」2021年/フランス
監督:ジュリアン・ファロ
2021年12月11日から、ユーロスペースほかで全国順次公開
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao