コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第87回
2020年10月1日更新
ベネチア映画祭無事終了 コロナ対策が世界の映画祭に新しいアイディアをもたらす好機に
2020年10月1日更新
新型コロナウィルスの拡大以降に開催された、初のAランク国際映画祭となったベネチア映画祭が、9月12日に無事終了した。開催直前まで、本当にやる気なのか、やってもほとんどゲストが集まらないのではないか、といった声が囁かれていたが、蓋を明ければ審査員長のケイト・ブランシェットをはじめ、マット・ディロンやキャサリン・ウォーターストーン、ティルダ・スウィントンやペドロ・アルモドバルなど、ハリウッドやヨーロッパ各国からの映画人が集まり、それなりに華やかな装いとなった。
もちろん、「スパイの妻」の黒沢清監督組のように、遠方の地から訪れたくも叶わなかった関係者も少なくなかっただろう。だが、そんな彼らもオンラインによる記者会見に応じることで、熱意を伝えてくれた。実際今回のベネチアで一番感じたのは、映画祭を祝い、映画産業を支えようとする人々の映画愛だ。オープニングセレモニーでは、カンヌやベルリンなど6つの映画祭のディレクターが集合して、結束を誓い合う場面も見られた。現在の困難な状況のなかでみんなが同じ希望を抱き、同じ目的に向かって一致団結している、そんなこれまでにないムードが漂っていた。
地元の警察と提携した、主催者側のコロナ対策に対する気合いの入り方も見事だった。映画祭エリアにはゲートがもうけられ、毎回体温チェックがなされた。マスク着用も義務付けられ、上映中も係員が見回った。こうした体制のなかでもしかし、どこかのんびりと楽観的なムードが漂っていたのは、リド島という地の利かもしれない。海に囲まれ、空き地が多くビルもない、もともと人口密度の低い避暑地ゆえに、風通しも良く密閉感がないのだ。さらにレッドカーペットは見物人が集まるのを防ぐために壁で仕切られたため、セレブのサインを求めるファンが集うこともなかった。
ジャーナリストによるインタビューは、大テーブルを囲んでソーシャル・ディスタンスを取りながらマスク着用で行われた。ゲストの中には参加者の了解をとってマスクを外して応じる人もいたが、お互い初めての体験ゆえにマスクがジョークのネタになったりと、逆にリラックスしたムードで取材ができた印象がある。
一方、スタジオ側の配慮で、ゲストがベネチアに居ながらオンライン取材をおこなったチームもある。このあたりはチームごとの判断に従うのみだが、映画をプロモートしたいという熱意があることに変わりはない。
こうしたベネチアの成功は、今後の映画祭関係者を多いに勇気づけるものになったことは間違いないだろう。とはいえ難しいのは、すべての映画祭を同じ要領でやればいいというものでもないことだ。会場の立地条件や地元の環境によっても異なってくる。ベネチアに続いて開催されたサン・セバスチャン映画祭では、若干異なるプロトコルが敷かれた。たとえば各上映の合間に1時間から1時間半もの換気時間を設けるなど、風通しを考慮した会場整備の規定を厳しくする一方、入場者の体温チェックはせず、どの国のゲストにも事前のPCR検査は要請しなかった。こう聞くと緩そうだという印象があるが、200ページにわたるコロナ対策のガイドラインを作り、実施したという。
もっとも、ゲストのひとりだったフランス人監督ウジェーヌ・グリーンが、自作の上映中にマスクをきちんと着用せず、5回の注意を無視し続けたため退場させられ、映画祭ゲストの資格を剥奪させられるという事件も起きた。コロナの脅威の前では、当然のことながら誰もが平等で、規定に従わなければならないという見本になってしまった。
ヨーロッパでは秋から冬にかけて映画祭シーズンが続き、すでにフィジカルに開催を決めているところが少なくない。その一方、イギリス、スペイン、フランスなどは感染者が再び増えており、異国間の「キャランテーヌ」(※隔離期間を意味する。国によって異なるもののほぼ14日間)が設定されているところもある。そのせいで、ゲストが各映画祭を回る、という通常のやり方が難しくなっているのが現状だ。
ただ、見方を変えればこうした状況は、これまでライバル意識ばかり募らせていた各映画祭が横の繋がりを強め、新しいアイディアをもたらす好機とも言えるわけで、今後はより柔軟でポジティブな姿勢が求められていくことになるだろう。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato