コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第101回
2021年11月25日更新
「燃ゆる女の肖像」アデル・エネル、「#MeToo」告発本で過去の被害、ポランスキーへの批判を語る
フランスで#MeTooムーブメントが広がるきっかけとなった、「燃ゆる女の肖像」のアデル・エネルによる、クリストフ・ルッジア監督に対する告発(エネルのデビュー作『クロエの棲む夢』の製作当時、ルッジアが未成年の彼女に、3年にわたり性的行為を働いていたというもの)から2年、エネルを含む複数の件をまとめた本「Faute de Preuves(証拠不十分)」(Seuil社)が出版され、再び注目を集めている。
本書には、現内務大臣のジェラルド・ダルマナンに性行為を強要されたというケースや、役所、警察機構内の被害など、さまざまな例が紹介されているが、映画界ではエネルの他に、ロマン・ポランスキーに13歳のときにスイスの別荘で襲われたという女性(時効のため訴訟はしていない)と、リュック・ベッソンから数年にわたり被害を受けたという女優、サンド・バン・ロイの体験が紹介されている。ロイの場合は警察の取り調べ、裁判のプロセスまでを冷静に追っている。この綿密な調査を手掛けたのは、エネルが最初に告白した媒体「メディアパール」のジャーナリスト、マリーヌ・トゥルシ。ほぼ3年の歳月を掛け、マスコミでは往々にして省略されがちな詳細に触れることで、状況をより鮮明に伝える。
全体を通して浮かびあがるのは、多くの場合、告訴された側が権力的に優勢であり、訴える側が最初から偏見を被りやすいことだ。ここに登場する複数の人々が、司法に幻滅したと語っている通り、明らかに平等とは言い難い状況に彼女たち(または彼ら)が置かれることが共通していることに、まず驚かされる。さらに裁判自体が、訴える側にとって、金銭面や精神的なストレスなど、大きなハードルとなる。本書の統計によれば、性的暴力の被害届けのなかから、実際に裁判に持ち込まれるのは30パーセントにも満たないという。さらに裁判で被害者が勝訴するのは、10から15パーセントとか。これでは被害者が泣き寝入りするのも致し方ないというものだ。
本書に収録された最新のインタビューでエネルは、2020年3月のセザール賞授賞式で「J’accuse」のロマン・ポランスキーが監督賞を受賞した際、「恥を知れ」と叫んで即座に会場を去ったことを振り返り、「(業界で)彼と共存することはできない。現状に甘んじるということは何もしないこと、運動が自然に消滅するのを待っているようなもので、許容できない。ムーブメントはまだ持ち上がったばかりで、これから議論し続けることが重要なのに、映画界にはどこか、早くこの傷を癒して封印したいという風潮がある」と語っている。
彼女の言葉通り、世間的には#MeTooという言葉も使い古され、「またか」という反応が一般人のなかにもあるのではないだろうか。裁判は何年も時間がかかるものだが、映画はどんどん量産され、その間に役者たちの人気は移り変わり、チャンスを逃してしまうリスクもある。だが彼女は、「自分の人生でもっとも重要なことに対して、お金もキャリアも投げうってすべてを費やすことに、悔いはないどころか大きな充足感がある」と語る。
折しも11月、ルッジア監督は彼の弁護士の訴えが認められ、身柄拘束を解除されたばかり。否定を続ける監督の裁判は、依然続いている。また複数の女性から過去に被害に遭ったという声があがっているポランスキーも、相変わらず精力的に次回作を準備中だ。
その一方で、エネルの元には今日も、同じような被害に遭った女性たちからの激奨や、勇気を讃える手紙が届いているという。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato