コラム:二村ヒトシ 映画と恋とセックスと - 第24回
2024年5月17日更新
作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回はビートルズのジョン・レノンと妻オノ・ヨーコが別居していたプライベートな日々の真相を追ったドキュメンタリー「ジョン・レノン 失われた週末」。ジョンが1973年秋から75年初頭にかけての18カ月間共に過ごしたのは、夫妻の個人秘書を務めていた中国系アメリカ人メイ・パン。“失われた週末”という呼び名とは裏腹に、ビートルズ解散以降のソロキャリアのなかで最も多作で商業的にも成功した時期を過ごしたジョンの恋愛を二村さん独自の視点で分析します。
※今回のコラムは本作のネタバレとなる記述があります。
恋愛においてはよくいるタイプのダメ男だったジョン・レノン 母親の代わりを求める未成熟な男の矛盾
▼偉大なジョン・レノン、恋愛においてはよくいるタイプのダメ男だった
僕はビートルズマニアでもジョン・レノンマニアでもないんです。ジョンという人が詩人として、作曲家として、人前で楽器をかなでて歌を歌う人としてとんでもなく偉大だった(ほんと『イマジン』は今こそ聴かれるべき、歌われるべき歌だと思います)のは知ってますけど、彼のことを神格化してはいないので、この映画「ジョン・レノン 失われた週末」を観てショック受けたってことはないし、もしかしたらオノ・ヨーコさんのことを嫌いなビートルズファンだったら「メイちゃん、よくぞ言ってくれた!」みたいな感動があるのかもしれないけど、それもなかった。じゃあ何を思ったかというと「なるほどね、まあ想定内だけどレノンさんって恋愛においては、よくいるタイプのダメ男だったんですね」という感想ですね。
あと、これはこの映画を作った人々にとってあんまり具合のよい感想ではないかもしれないんだけど、この映画を観てて「失われた週末とよばれる1年と半年のあいだだけ、いかにジョン・レノンが私と愛しあっていたか」を一方的に語るメイ・パンさんにだんだん腹が立ってきちゃった。恋愛関係がでてくるドキュメンタリー映画で、当事者に〈饒舌に語らせる〉っていうの、むずかしいことですね。彼女の話をとおして(あくまでも僕の感想にすぎず、メイさん本人はそういうふうには内省してませんから大きなお世話なのですが)ジョン&メイの関係が、ひどい共依存だったように感じられたのです。
▼この映画はまさにメイ・パンに存分に語ってもらうために作られた映画
しかし、この映画はまさにメイさんに存分に語ってもらうために作られた映画なのだし、一方的だと感じたのは僕がジョン・レノンについての知識が浅くてメイさんの存在を知らなかったからでしょう。こんな映画が作られたってことはメイさんは今までずっと立場的にワリをくってきた人なんだろうなと想像はつくし、このままなんとなく彼女に腹を立てたままではいくらなんでもこの映画を紹介するコラムとしてまずいので感情を中和しようと思って配信で「イマジン ジョン・レノン」というジョン ・レノンの幼少期から死までを駆け足で描いた昔のドキュメンタリー映画(メイさんもちょっとだけ出てきました)も観ました。
そしたら今度は逆に、それまでそれほど悪い印象があったわけじゃないオノ・ヨーコさんにもだんだん腹が立ってきちゃって(笑)、そんな女性2人にはさまれてジョンかわいそうって思ったかというと、そうではなくて、やっぱり「ああ、3人の中でジョンがいちばんダメな奴だ…」って思いましたね。
くりかえしますけどジョン・レノンは(いまさら僕が言うまでもないですけど)世界中の多くの人の魂を揺らした不世出のミュージシャンで、そして、その反戦思想・平和主義も本当にすばらしいものだと思います。たった今は命を奪われようとしてるわけではなく平和に暮らせている我々こそ、戦争をしたがる権力を利するような変な現実主義におちいらず、愛にみちた世界をせめて空想(イマジン)すべきだ。そうしないとマジで世界はどんどんヤバくなってくと僕も思います。
▼彼の弱さが、共依存の関係を結べてしまうような相手を引き寄せる
思いますけれど、しかしそういう美しくて大切なことを我々に伝えてくれるジョン・レノンのようなリベラルな人が、男性で、才能があって魅力があると、どうしてこう恋愛では〈ダメな未成熟な男〉になるんでしょうね。いや逆か。依存体質で心が弱い未成熟な男が、たまたま才能と魅力があってモテてると、余裕があるもんだから社会的にはリベラルなことを言うようになるのかな。
そしてプライベートの恋愛では彼の弱さこそが、共依存の関係を結べてしまうような相手を引き寄せる。共依存に引きつけられる人は、そもそも過去に身近な誰かの醜い強さと権力性に傷つけられてきた人であることも多く(メイさんは映画の冒頭で「私は少女のころ父親に見捨てられていた」と語ります)、そういう人は、リベラルでありつつ自分にだけは弱さを見せてくれるような気がする男の子に魅力を感じてしまうことがある。
オノ・ヨーコさんてビートルズ時代前期のジョン・レノンを愛する人たちからは評判が悪いんですよね? けれどジョンは、ヨーコに魔術で洗脳されて変わってしまったわけではない(ヨーコが先妻からジョンを奪ったのは事実ですが…。いや、それも関係ない者が簡単に「奪った」とか言っちゃいけないな)と僕は思います。ビートルズのジョン・レノンとして活動するハードな日々がつらくなったジョンは、自分を優しくコントロールしてくれる女性を、つまり母親の代わりを求めていたのかもしれないじゃないですか。(少年期のジョン・レノンが実のお母さんと、複雑でつらい別れかたをしたことは映画「イマジン ジョン・レノン」でも語られていました)
▼母親の代わりを求め、同時に、母親の代わりをしてくれる女性から遠ざかろうとする矛盾
でも、いざヨーコという支配してくれる女性と結ばれると、こんどはそれに逆らいたくなる。最初から愛着に問題をかかえていたジョンは、わざとヨーコさんにバレるような浮気をくりかえす。さすがのヨーコもイラついて一時的にジョンと距離をとりたくなる。でも完全に別れる気もなかったのでしょう。
だから自分がジョンと離れているあいだ、彼がおかしな女と無闇にセックスしないよう、ヨーコはメイさんを選んで、ジョンにあてがった。すごいですねオノ・ヨーコ。ヨーコと離れて〈自由に〉なれたように感じて創作意欲を取り戻したジョンは売れる楽曲も盛んに作れるようになり、喜んでメイと飲み歩いていましたが、ひどい酔っぱらいかたをするようにもなる。
母親の代わりを求める未成熟な男は、母親に呑みこまれることを欲しながら同時に、母親の代わりをしてくれる女性から遠ざかろう、逃げようともがきます。そして自分をコントロールしようとしてこない若い女を求め、しかしそういう女の愛をえると、今度は彼女がお母さんになってくれないという理由で憎みはじめる。そういう男にとって恋愛とはすなわち矛盾です。
▼自分を殴ったジョンのことを、それでもまだ大好きだったメイさん
メイさんは「ジョンは私を殴っていた」と語ります。この映画がジョン・レノンを告発する意図で作られたのなら、まだいいのです。僕がやりきれない気持ちになったのは、メイさんが、自分を殴ったジョンのことを、それでもまだ大好きだったからです。それはジョン・レノンさんが早く死んでしまった人だからというのもあるんでしょうけど。
以上が、新しいドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」と古いドキュメンタリー映画「イマジン ジョン・レノン」を両方観たことで、ジョン・レノンの熱烈なファンってわけではない僕の頭のなかで勝手にうまれた見解です。きっと別の人は、ちがう見方もするでしょう。
人を愛することも、(相手もそれを望むのなら)一日中セックスばかりしていることも(ジョン・レノンくらいになっちゃって、もう働かなくていいなら)いいことだと思います。ラブ&ピース。健全な恋愛というものがこの世にほんとに存在するのかどうか僕にはわかりません。人間には健全ではないことを(犯罪でなければ)する権利も、しない自由もあります。ただ、愛してくれる人を殴るのはよくない。ラブ&ピース。それにしてもビートルズの4人が作った曲もジョンが1人で作った曲もどれも本当にいい曲だな。
筆者紹介
二村ヒトシ(にむらひとし)。1964年生。痴女・レズビアン・ふたなり・女装美少年といったジェンダーを越境するジャンルで様々な演出の技法を創出、確立したアダルトビデオ監督。
著書『あなたの恋が出てくる映画』 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 共著 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』 『欲望会議 性とポリコレの哲学』ほか多数。
Twitter:@nimurahitoshi