コラム:二村ヒトシ 映画と恋とセックスと - 第13回
2023年6月23日更新
作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、不倫をテーマにした傑作映画「花様年華」「ブロークバック・マウンテン」「あちらにいる鬼」と、昨今の報道についてのお話です。
▼不倫で人間の感情を揺さぶるのは、報道の役目か、映画の役目か?
有名な人が不倫しているという報道がすごくて、映画を観ているひまもありません。
週刊誌だけでなくテレビでもインターネットでもみんないろいろ言うものだから見たくもないのにそれが目に入ってしまい、つい自分ごとにかさねて不倫行為への憎しみやさみしさを刺激されてしまう、まじめな人がたくさんいます。自分の配偶者の不倫、自分の両親どちらかの不倫で傷つけられてきた人は男性にも女性にも、たくさんいます。
そもそもこれって報道するべきことなのか、世の中にはもっと報道しなきゃいけないのにされてないことがあるだろうと言ってマスコミへの怒りをつのらせる別の意味でまじめな人もたくさんいます。
本音では不倫がそんなに悪いことだは思えないし、なんなら自分もやってるし、だけど世の中の多くの人がなんだかんだ言ってその報道を見たがるんだから仕方ないじゃない、報道というのは人が見たがるものを人に伝えるエンタメなんだよとひらきなおってるマスコミの人もたくさんいるんでしょう。
そういえば不倫をしたと世の中から責められているあの有名な人のことをわたしは若いころほんとうに好きだったなあ、あの人がそんな、わたしが見たことも聞いたこともないような(想像することはできるけど)みだらなセックスや、やってはいけない恋愛を、わたしがよく知らない人を相手にわたしが知らないうちにしまくっていたのかと、うっすら傷ついている人もたくさんいるでしょう。
人を怒らせたり興奮させたり感傷にひたらせたり、たくさんの人に伝えてお金を儲けたりするのは報道の役目なのか、映画の役目なのか。
報道というのは、まったく客観的なものではなく、むしろ「これが正しいこと、これがやってはいけないこと」と決めて「こらしめるべき悪いやつらはあいつら」と多くの人を洗脳する仕事が報道なのだという考えかたもあるでしょう。報道される側の人間が一枚上手で、報道を自分に有利に使いこなしてしまう場合もある。
わかったこと(ほんとに?)だけを報道するのが報道で、わかることができない個々の当事者の事情やこまかい感情まで報道はできません。それを描くのが映画だとすれば(たとえドキュメンタリー映画であったとしても)なにが「正しいこと」なのか、なにが「やってはいけないこと」なのか、観るとかえってわからなくなってしまうようなものこそが映画なのだという気もする。
などと理屈っぽいことを考えてるひまがあったら、おもしろい不倫の映画を1本でも多く観たほうがいいような気もする。
▼パートナーと感情を共有できなくなってしまったさみしさが恋に駆り立てる「花様年華」
不倫の映画といえば「花様年華」です。2000年の製作ですが、そのスタイリッシュさ、陰影や衣装の色彩の美しさは古くなってません。むしろ公開されて何年かはこのスタイリッシュさをまねた映像がたくさんありすぎたから、いま観てこそみずみずしい映画かもしれない。
偶然によって出会ってしまった(ということは物語の中では「これはもう出会うしかなかった」ということです。現実には、偶然にそんな意味はないんですけど)それぞれ既婚者である男と女が、じっくり恋におちていく。二人はセックスはしません。だから人によっては「これは不倫映画じゃないじゃないか」と思うかもしれません。しかし、しないからといって映画がエロくないわけではない。ウォン・カーウァイは、そんな道徳的な監督ではありません。
ごみごみした生活感あふれる街の中で、せまくるしい間借りの住まいや旧式のオフィスで、美しいチャイナドレスを着こなすマギー・チャンの肢体、エロすぎませんか? チャイナドレスが日本や西洋の女性の伝統衣装とちがって、脱いでないときがもっともエロい、女性のエロさというものを服の中にかくす気がない、着ているときのほうがむしろ裸である、そういう服であることがこの映画でよく理解できます。
セックスしない不倫の話にしようと思いついてチャイナドレスに凝ることにしたのか、マギー・チャンにチャイナドレスを着せるとエロすぎるからセックスさせないでもお腹いっぱいだと監督も思ったのか(そんなこたぁないか)、とにかく映画とは衣装までふくめた総合芸術だというのはこういうことかと思いました。
恋がはげしくなっていくのに、はげしい雨も降ってくるのにセックスは我慢する美しい男(トニー・レオン)。彼には、なにも我慢しない欲望まみれの友人がいます。美しい主人公の影のような、分身のようなこの友人は、みにくい顔をしています(この演出を現在の映画でやると時代遅れな感じがしてしまうルッキズム!)。友人は欲望に忠実に動いているからなのか、やることもみにくいのに、そして孤独っぽいのに、さみしくはなさそうです(ただし多少いらいらしているようには見える。モテないからでしょうか)。そして意外といいやつです。
セックスしないで恋だけがある不倫というのは、欲望を我慢する(なのに継続してしまう)恋というのは、どういうことなんでしょう。
風俗だったらバレないよう行ってくれれば、そして病気さえ持って帰ってこなければ我慢する、もしくは許可するという妻も夫も(風俗店を利用するのは男性ばかりとは限りません)いるのでしょう(ただし現在、風俗にも素人にも性病は蔓延しています)。
行為だけよりも感情のほうが許せない、よっぽどひどいと感じる夫も妻もいるでしょう。
この映画で美しい男と美しい女を恋に駆りたてていくのは、妻や夫と感情を共有できなくなってしまったさみしさです。生きているのに不在の人間とは何も共有できない。そもそも夫も妻も映画の中に登場すらしません。もしかしたら夫や妻は不倫の相手とよく似た顔の、よく似た人物なのかもしれません。
トニー・レオン演ずる男には、やりたいことがありました。登場しない妻とちがって、恋の相手であるマギー・チャンは、彼のやりたいことに寄りそってくれるわけです(もちろん、そのように感じてしまっているのは単にトニー・レオンの勘違いであるという可能性もあります)。
この映画は妻を登場させないことで「妻が寄りそってくれれば、彼は女に惹かれないで済んだんじゃないか」「いや、そもそも男のほうは妻と話をする努力はしたのか」「不倫された側が怒るのは、嫉妬というより、自分が侮辱されていると感じるからじゃないのか」といった議論を生まないよう、巧妙に設定された寓話だと思いました。
▼美しくて、みにくくて、いたたまれない恋を描く「ブロークバック・マウンテン」「あちらにいる鬼」
あと2本、不倫映画の傑作をあげさせてください。
1本は2005年の「ブロークバック・マウンテン」です。不倫関係で結ばれる主人公カップルは二人とも男性です。二人は青春の日に、さみしさと肉欲からおたがいをむさぼり、 やがてそれぞれ女性と結婚(いろいろ事情があったのです)したのち再会して、もう一度こっそり男同士の愛をはぐくんでしまいます。
この映画が僕は大好きで、拙著「あなたの恋がでてくる映画」でも一章たっぷり書いたので機会があったらぜひそちらもお読みいただきたいのですが、ここで「花様年華」と対比させて書くなら、「ブロークバック・マウンテン」には不倫されてしまう側である主人公たちの妻たちがそれぞれ登場し、なにを考えていたかもわかります。だからこそ主人公たちの混乱した感情もくっきりとわかる。とにかく四人とも名演です。
ヒース・レジャー演じるイニスは、わかりやすい愛着障害者です。そしてその孤独な感じが非常に可愛らしいのです。さらにまずいことに中年になっても、なお可愛らしい。妻(ミシェル・ウィリアムズ)からは強烈に憎まれることになります。
ジェイク・ギレンホール演じるジャックは、ゲイとしての自分を受け入れながら、妻(アン・ハサウェイ)のこともうまく愛そうとします。じっさい愛しているのです。しかしジャックの欲望は、いくつになっても男に向いてしまう。
欲望も恋も憎しみも、どうしても手に入らないものに向けられてしまう。この映画はとても普遍的な物語だと思うのです。世の中の不倫をする男も女も、みんなイニスとジャックのあいだのどこかにいる存在です。少々ネタバレ気味に書きますが、心の苦しみがあふれだしてさまざまなことがうまくいかない人生と、いわゆる「墓場まで持っていく」器用な人生の対比も劇的に皮肉に描かれます。
もう1本、「あちらにいる鬼」(2022)という映画も、ぜひ観ていただきたいです。こちらも公開時に映画.comのコラ厶 (https://eiga.com/extra/nimurahitoshi/6/)で書きましたので今回は多くは語りませんが、広末涼子さんが出ています。不倫される側の妻の役です。すばらしい演技でした。
「ブロークバック・マウンテン」も「あちらにいる鬼」も、「花様年華」に負けないくらい美しい映画ですが、みにくくて、いたたまれない部分があります。「あちらにいる鬼」は実話をもとにしていますし「ブロークバック・マウンテン」のような結婚と不倫は(同性愛でなくても)この世にたくさんある。
報道と映画のちがいは、多くの報道は基本みにくいことだけを伝えるもので(そういうのが「おもしろい報道」で)、そこに美しさを見出したものが映画なのかな。
つまらない映画というのは見出された美しさが予定調和の嘘っぽい美しさで、ほんとうっぽい美しさを見つけ出せると感動する映画になるのかな。でも、ほんとうっぽい美しさって何なんでしょうね。
筆者紹介
二村ヒトシ(にむらひとし)。1964年生。痴女・レズビアン・ふたなり・女装美少年といったジェンダーを越境するジャンルで様々な演出の技法を創出、確立したアダルトビデオ監督。
著書『あなたの恋が出てくる映画』 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 共著 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』 『欲望会議 性とポリコレの哲学』ほか多数。
Twitter:@nimurahitoshi