コラム:メイキング・オブ・クラウドファンディング - 第9回
2016年11月17日更新
音楽家・半野喜弘初監督作品「雨にゆれる女」に封じ込められた熱量とリアリティー
11月19日よりテアトル新宿を皮切りに全国で公開される映画「雨にゆれる女」。その制作資金を募ったMotionGalleryのプロジェクトは、クランクイン前にも関わらず、予告編さながらの映像とそのままポスターになりそうな撮影カットで構成される異例のクオリティーのプロジェクトページでスタートし大きな話題にもなりました。そして、その様な高いクオリティーの映画が生まれるきっかけは、ある俳優と音楽家の出会いと運命的な再会、そこから発生した熱量によるものでした。今回は音楽家であり映画初監督である半野喜弘さんと映画プロデューサーの松田広子さんへ、映画の誕生秘話や画面に映るリアリティーの追求、クラウドファンディングに必要なものについてお話を伺いました。
■パリでの出会いと運命的な再会
大高:映画「雨にゆれる女」の完成、そして東京国際映画祭でのワールド・プレミア、おめでとうございます! 本作は、ホウ・シャオシェンやジャ・ジャンクーなど、これまで数々の巨匠の作品の映画音楽を創作されてきた半野さんが監督した事でも注目が集まっていますが、制作に至るまでにも数々のドラマがあったと伺っています。まずは主演・青木崇高さんとの出会いについて教えて下さい。
半野:青木との出会いは、10数年前のパリのレストランでした。僕がある日友人とパリのレストランで食事をしていたら、背の高いバックパッカーらしき人が突然「僕もご一緒しても良いですか?」と話しかけてきて、それが青木崇高でした。その日は初対面ながらも打ち解けて、朝まで一緒に飲み明かしました。彼はその時映画のオーディションを受けてる最中で、俳優になりたいと言ってましたね。そして数年経ったある日、渋谷のレストランで食事をしていたらお店のシェフが、「実は今日、俳優の友人がきてるんで紹介しても良いですか?」と言われて、現れたのが青木崇高だったんです!
大高:すごい! もの凄く運命的なものを感じてしまいますね。
半野:その時は久しぶりの再会だったのでお互いの近況を話しつつ、何か一緒にやろう! とすごく盛り上がって。
大高:なるほど。しかし、パリといい東京といい、たまたまバーやレストランで顔をあわせた人がクリエイター同士で、しかもその関係が10年単位で続いて行くというような話は、そんなに良くある話でも無いですよね?
半野:ある程度、活動している人同士はあると思います。僕が青木と出会った当初、青木はまだ役者を始めたばかりで、逆に僕は音楽家として自立できている状況でした。なので仲良くはなったものの何かを一緒にやろう、という話までにはならなかった。でも渋谷で再会した時は、彼も大河ドラマに出演したりして力のある俳優になっていたんですね。そもそもそんな風に偶然再会することも珍しいことですが、一緒に映画を作ることになり、それが僕にとって初監督映画で彼にとって初主演映画になる、ということは稀だと思いますね。
大高:すごく運命的なことだと思います。そもそも音楽家である半野さんが映画を撮ろうと思ったきっかけは何だったんでしょう?
半野:一番最初のきっかけは、4〜5年前に俳優であり友人でもある西島秀俊君と話している時に、「2人で映画を撮ろう!」という話で盛り上がったことですね。二人で一緒に脚本を書いて撮影も一緒にしよう!と。でもその場にいた友人の映画監督から“一緒に作品を作る”なんて絶対に無理だと忠告されたんです。その言葉に反発する勢いで一緒に脚本を書き出してみたんですけど、意見がぶつかってばかりで本当にできなくて(笑)。すると西島君が「じゃあ僕は俳優に専念するから、半野さんは脚本と監督をすれば一緒にできるんじゃない?」と提案してくれて、そこから当てもなく脚本を書き出したんです。
大高:それは音楽家の仕事もしながらですか?
半野:そうです。脚本を書くことは仕事ではないので、空き時間があれば書く趣味のようなものでした。
大高:なるほど。そうして脚本を執筆していく中で、プロデューサーの松田さんと出会われて映画の話が具体的になったと思うのですが、松田さんと半野さんの出会いはどのようなものだったんでしょう?
松田:私は昔から半野さんの音楽は映画を通して聞いていました。そしてカサヴェテスに関するトークショーの場でお会いしたことが最初ですね。その時に半野さんが脚本を書いていることを教えて下ったので、読ませてもらったんです。すると、とても壮大なスケールの脚本を書かれていて、びっくりしました。
大高:どんな内容だったんですか?
松田:男らしくてサスペンス要素のある人間ドラマ、といった印象でした。そして、そんな壮大なスケールの脚本を、既に4〜5本書かれていたことにも驚きました。更に映像の習作も撮られているとのことだったので、半野さんが本気で映画を撮りたい熱意が伝わり、一緒に映画が作れたら嬉しいと思いました。
半野:多分僕に巻き込まれたという方が正しいかもしれません(笑)。
松田:気づけば後に引けない状況だったかも(笑)。今の時代、なかなかオリジナルの脚本で映画を撮ることは難しいですけど、半野さんの脚本にある熱量を感じたので是非作りたいと思いました。あとは半野さんと青木崇高さんの「お前がやるなら俺もやるよ!」という関わり方も作品の力になると思いました。
■仕事としてのバランスをとらずに追求したリアリティーが映し出す「生きる事の不公平さ」
大高:実際に映画を撮影されてみて、映画と音楽を作る時の違いはありましたか?
半野:そうですねぇ…クリエイターとしての根本的な発想や理念は変わらないです。ただ、僕の場合の映画と音楽の違いは“バランスをとるかとらないか”ということですね。僕にとって映画音楽は仕事として選んだことなので、それで生活するために次の仕事につながるバランスをとらないと生きていけないんですね。一方で映画監督は生活をするための糧ではない。ではそんな立場の僕が映画を作るってどういうことか? を考えた時に、バランスをとらないことだなと思ったんです。
大高:バランスをとらない?
半野:仕事としてのバランスをとらず、次のことなんて考えずにとことん作品を追求することです。なので今回も現場で僕が無茶な注文をするものだから、「そんなこと言ってると次に映画撮れないですよ」なんて言われてしまう場面もあったんですね。でもその時は「次撮れなくても問題ないです!」と答えて、自分でもその気持ちで撮影してました。
大高:かっこいいですねぇ。今作への並々ならぬ想いを感じてしまいますね。
半野:いやいや、かっこよくないですよ。これは映画音楽の仕事があるから言えることなんです。映画がもし本業だったらそんなこと言えないですよ。でも本業じゃない立場の僕が撮るなら、やれることはとことんやろうと思って臨みました。
大高:なるほど。確かに監督業を仕事にしないという決意があれば、ある種のルールや経験則に従わないという選択も自由に出来たり、またそれが作品に深みを与える事にもなりえますよね。強いですね(笑)。映画の全編から漂う熱量だったり質量みたいなモノの源泉がなんだかわかった気がします。今回の「雨にゆれる女」ではどんなことを描きたかったんでしょうか?
半野:物語という軸で考えると“生きるって不公平だ”ということが根底にある題材ではありますね。ですが今回こだわりたかったことは、主人公の健次と理美が本当にそこに生きているかのように伝わるかどうかです。映画はストーリーが面白いことももちろん大事だと思うんですが、この“人”が見たいと思って貰えるにはどうしたらいいんだろう? ということをずっと考えていました。つまり映画を観た人が「面白いストーリーだったね」ではなく「健次よかったね」や「理美が好きだった」と思う映画ということですね。
大高:なるほど。それにはリアリティーの追求が必要になってくると思うんですが、現場の美術や衣装などで工夫したところはありますか? あの世界観に一分の隙も与えない様な、ロケーションや映画美術、衣装にとても惹かれました。
半野:今回の現場はスタッフがそれぞれ奇跡を起こしてくれたから成り立ちました。例えば撮影現場の倉庫は、条件的に見つけることがかなり難しいものだったんです。大きくて2階建てで空撮もできるスペースがある、という理想を追求したら「そんな場所あるわけない!」と言われていたんですが、制作スタッフの方が撮影が始まるギリギリのタイミングで見つけてきてくれて。あの時は嬉しかったですね。
松田:あの倉庫は使われてない上に程よく物が置いてあったりして、撮影にぴったりな奇跡の物件でしたね。そこをスタッフみんなで掃除をして、どんな空間にするのか監督と相談しながら楽しんで設置して、映画製作の中でもすごく贅沢な時間でした。
半野:あの倉庫は本当に廃工場だったので、水も電気も自分達で通したんですよね。だからみんなでこの廃工場で生活するには何が必要か? を話し合って、「俺だったらこの置物をベッドにすると思う」「殺風景で寂しいからこの布を壁にかけたりするんじゃない?」なんて意見を出しながら、実際にそこで生活することを想像して作り込みました。
大高:それが映画の中での説得力を作り出してたんですね。映画の作り方も分業でやる効率的な形ではなく、みんなで色々なパートに関わりながら作り上げていく事で、本質的に映画に迫っていく様な作り方をされたのですね。
松田:そうですね。今回は勢いよく映画を作りたい、という思いもあったので少ない人数で意思疎通もスムーズにできて、スタッフの方には感謝の気持ちでいっぱいです。