コラム:メイキング・オブ・クラウドファンディング - 第7回
2016年8月2日更新
「ケンとカズ」小路監督と「イノセント15」甲斐監督。日本映画の次世代を担う2つの才能が描く、すぐそこに在る繊細なリアリティ
7月30日、渋谷ユーロスペースで公開がスタート。作品への評判が公開前からあちこちで話題になるなど、大きな注目を集めている第28回東京国際映画祭スプラッシュ部門作品賞受賞「ケンとカズ」、今年6月に行われた「田辺・弁慶映画祭セレクション2016」での特別上映で立見を連夜作り、年末にテアトル新宿でレイトショーも決定するなど大きな話題を呼んでいる「イノセント15」。
8月5日~7日に山梨で行われる「湖畔映画祭」で上映されるこの2作品は、MotionGaleryで制作費をクラウドファンディングしたことだけでなく、その作品の持つ社会への眼差しや力のあるキャスティング、作品の持つ繊細なリアリティなど、今年劇場公開される次世代の監督の中でも多くの共通項を持った作品です。そんな小路紘史監督と甲斐博和監督のお二方をお招きし、いま二人の目が捉えている映画の形についてお話を伺いました。
■本作で描きたかったもの
大高:まずお二人の「映画を撮ろう」と思ったきっかけを教えて下さい。
小路:ただ単に映画が好きだったからです。私は広島育ちで、娯楽といえば映画でした。何か映画の仕事につきたくて、東京フィルムセンター映画・俳優専門学校で監督コースを専攻して「ケンとカズ」を撮りました。実は、将来にすごい展望を抱いて…という訳ではありませんでした。
甲斐:その割には「ケンとカズ」は公開前にも関わらずセンセーショナルな広がり方だと感じています。「イノセント15」の前までは自分自身が先頭に立って集客活動をするような事は無かったという事もあるかもしれないですが、1作品を公開した所でそんなに(世間からの注目度が)わっと変わるイメージは無いので驚きです。映画の力強さなどが一つ抜けていると、世の中にひろがりやすいのかなと感じました。
大高:確かに「同じコンセプトや作風で3~4作を公開して初めて世間から認識される。地道な積み重ねがとても重要」とよく聞く事もあり、シンデラストーリーは期待しては行けないという印象が私にもあるので、劇場公開の長編1作目でのこの注目度は凄いです。一方で、甲斐監督が「映画を撮ろう」と思ったきっかけは何だったのですか?
甲斐:僕は、もともと大学時代から役者をやっていました。演じる方でしたが、だんだんと自分の喋るセリフを自分で書きたくなり、脚本を書き出したのがきっかけです。
卒業してからは10年くらい小さな劇団を率いて演劇をやってたけど、客は全然来ない(笑)。映画ならいろいろなところに出せるし、観てもらえる。そう思って「小津安二郎語録」だけを読み込んで「hanafusa」という処女作を撮影して、「ぴあフィルムフェスティバル」で審査員特別賞を頂きました。「面白いものだけ作ってればどうにかなる」とこの経験で思ってしまったのですが、その後に師匠筋となる緒方明監督のワークショップに参加したらめちゃ怒られて(笑)。何も知らないじゃないか、と改めて気付きました。
それでも演劇と映画を行ったり来たりしていて、2009年くらいで一区切りつけて、大阪CO2(シネアスト・オーガニゼーション)で「それはそれ、」を撮ったころから自分の中で映画の方向に進む気持ちが固まっていった感じです。僕は写真や建築、音楽、そしてもちろんお芝居など、表現全般がとても好きなんですが、で映画は総合芸術なので、それらの表現を全部行える。それがとても自分に合っていると感じています。
大高:なるほど。お話を伺った印象では、お二人とも、昨今のオーソドックスなインディペンデント映画の若手監督とは少し違った歩みをされて来ていて、それが作品にも出ている様にも思えて来ました。その時その時に存在する同時代の若手監督のトレンドみたいな所とは少し別の所に立脚している作品とでも言うのでしょうか。
それぞれ切り口は違いますが、両作品とも、非常に古典的なテーマをオーソドックスな語り口と圧倒的な映画的リアリティで描いている印象を受けました。特に、自分の日常から一歩足を踏み出せばそこに在る現実を突きつけられる様な感覚が共通していたのですが、それは、通底する部分に例えば家庭環境等の社会背景への意識がお二方に有ったのかなと感じたのですが、如何でしょうか?
小路:私は、実は社会状況を反映しようとか、社会問題をテーマにしようとか、そういった意図で作ったわけではないんです。それまでの人生で感じた興味深いテーマについて表現したくて、ただリアルな作品を撮りたかったので、後付けで背景を描いた感じです。
例えば「家庭」というテーマはたぶん普遍的で、あちこちで100万回くらい語られているような気がします。そういう意味では「ケンとカズ」のストーリー自体に新しさは全くありませんが、演出、役者、編集で映画は変わってくると思っています。映画に重要なのはストーリーの奇抜さでないと思っています。
描きたかったのは、「友情」か、「選択」ですね。そう、最後のケンの選択を描きたかったんだと思います。人のためになるような選択。人が生きていて一番大事な瞬間を描きたかったのかな。普遍的で誰が見ても共感できて……。
甲斐:なぜ重いテーマにしたか、というと、僕は静かな映画が好きなんです。ポップコーンを食べるのも忘れるような。そして虐待をテーマに扱ったのは、自分が児童福祉に携わっていて、ある種の子どもたちをとりまく現実を見てきているから、というのもあります。
僕らが日常、道端ですれ違っている子供達が、実はいろんな問題を抱えている。それを声高に伝えるのではなく、傍観者でしかいられない僕らが、気づく瞬間があるのでは、というか。…そんな作品を撮りたい、という気持ちが出ていると思います。社会問題を主軸に掲げている気持ちはないけど、僕らは社会に生きているし、世界のどこかでは戦争も起こっている。だからそれが作品に反映してしまうのかとは思います。
■映画的なリアリティは何処から来るのか。
大高:2作品の特徴として、とてもルックがきれいですよね。絵作りに非常なコダワリを感じました。もともと「イノセント15」の仮タイトルは「ビューティフルライツ」でしたが、その名の通りとも言うべき美しい映像の連続でした。
小路:甲斐さんの「イノセント15」は構図がすごく考えられているなと思いました。撮影も音もいいなと。アフレコ制作、自分の作品は半分くらいでしたけど、甲斐監督はどうでした?
甲斐:一切入れてないのでよく拾えたほうかなと思います。アフレコ制作入れればよかったかな(笑)。役者さんが事務所入ってる人が多かったので時間を拘束しにくい、という事情もありました。
大高:題材的には奇をてらったものでは無いですが、映画の説得力は半端ないですよね。方々で言われている話かもしれませんが、今回キャスティングの成功も大きいですよね。「ケンとカズ」の主演カトウシンスケさん、毎熊克哉さん、「イノセント15」の主演萩原利久さん、小川紗良さん。それぞれ、もうファーストショットの目だけで引き込まれる様な導入感、そこに居る感がすごかったです。実際、テアトル新宿での「イノセント15」上映後のトークショーで大崎章監督が「『イノセント15』は小川紗良のキャスティングで決まった」とベタぼめしていらっしゃいましたよね。
一方で、こういったノワール的なテーマって、多くの作り手がチャレンジしたいと思うものでもあると思うのですが、テーマが普遍的な事もあるのか、どうしても悪い意味のステレオタイプになりがちでもあり、あまり上手く行かない作品も少なくないと思います。そういう意味でむしろ、リアリティを持たせる難易度がとても高い映画でもあると思うのですが、失敗に陥らなかった要因は何だと思われますか?
小路:やはりリアルに描きたかったので、リサーチはかなりしました。まず覚せい剤。知り合い伝って警察の偉い人に話を聞いたり、売買していた、もしくは昔やってた(らしい)人に話を聞いたり。ま、本当にやっていたのかどうかは分かりませんが(笑)。
とはいえ本当にやってた(と思われる)人は巧妙に隠すので、リサーチして知り得た事実と全く同じ描写だと、普通の人にはわからないから、もう少し解像度を落として分かりやすい演技にしたり、とか。一般的な薬物使用者や売人の言動に少し脚色したような感じを、敢えて目指しました。
現実とバランスの虚構は、どちらもリサーチの上で決めました。舞台となった市川も偶然、自分が住んでるところ周辺なんですよ。あと浦安も、本当に昔は薬物の卸があったと聞いてますし、やくざも多い。場所自体も工場地帯でリアリティがあって、たまたまそこに住んでいたのは運がいいと思います。
大高:なるほど。確かにロケーションにも説得力がありましたね(笑)。あと、「ケンとカズ」の面白い点は、元々短編を制作されて、それを長編にリメイクした点も特筆すべきだと思うのですが、キャスティングは短編から決まっていたのでしょうか。
小路:毎熊は役者経験があって演技が定まっていた事もあり短編からの継続ですね。藤堂役の髙野春樹さんは毎熊の知り合いでキャスティングさせて頂いたりと、色々なご縁もあってキャスティングは決まっていきました。役者への演出については、役柄を一緒に作り込んで行くというスタイルではなくて、むしろ削ぎ落として行く、過剰さを排除していく方向で行いました。役者側が深く深く役柄について考えて現場に来ていたという事もあったので。
大高:なるほど、そうだったのですね。一方で、甲斐さんは役者を追い込むタイプとうかがっていますが?
甲斐:そうです。演出で追い込んでいって、役者としての殻みたいなものを捨てていく。演技論はもとより人としての姿勢の話で追い込んでいく。僕がやりたいのは、役者の中身を出すということ。人間として魅力的な役者が、役者としても魅力的だと思うんです。顔のルックは役柄に関係してくることもあるけど、中身は魅力的であればそれでいい。だからそのおもしろさがなかなか出てこないと、それを開ける作業も厳しくなっていくということですね。
こちらの美意識もありますから、「役者の技術として型はやって下さい」とも言いますが、同時に「あなたの本当で居て下さい」とも言います。難しいとは思いますが、僕はそれが見たいので。本当に良いのは、思いがけないことをやられて、それすごくいいですね!となることなんですけどね。テイクは10とか15になることも多くあります。
大高:舞台演出を思わせる演技指導ですね。確かにそれは怖いかもしれないですね、自分の全てを見透かされそうで(笑)。その点、主演の小川さんも追い込んであの演技に至ったのですか?
甲斐:小川さんの場合は、ちょっと誘導するだけに留めました。声が小さければこちらで拾う、好きな間で喋ればいい、全部好きにやっていいよ、という感じで。映画初出演の彼女が自分で、映画そのもののリズムや、役者との呼吸をつかんでいくのを待つ感じでした。技術を教えるとそっちに気が行っちゃうかなと最初思ったのもあったのですが、実際のところ、彼女は器用で何度でも同じことができる才能もありました。とにかく今回、彼女自身の魅力を出すことに力を注ぎました。それはダブル主演の利久君もそうです。利久くんもオーディションの時からすごく魅力的でしたし、小川さんは順番的にオーディションの最初の方に来たのですが、そこからずっと不動の1位でした。今回を機に、映画の方にもぜひ本格的に足を踏み入れてほしいと思えるような、映画的な女優さんです。最近は自分で監督もされていますしね。
大高:お互いの作品を観てどうでしたか?
小路:いや月並みですけどほんとおもしろかった。おもしろいものはおもしろい、もう最初でやられましたね。2人出てきてあの感じ……もう一番最初に「この人たちの話が観たい」と思わせたら勝ちなんですよ。イケメンだけどただのイケメンではない。最初の20分、お父さんがゲイだった、というところからもう目が離せないという。キム兄(次世代の注目監督に愛され続ける役者として『木村知貴映画祭』まで開催される役者・木村知貴さん)とか、すごくいい人なのに悪役できるんだ、とかね。木村君はかなり追い込んだんですか(笑)?
甲斐:前にオーディション来た時に落としたことがあります。その時は大分詰めて…でもやはり気にはなっていて、他の作品で使うようになって、信頼関係できて、今回、といった感じです。今は仲良しです。照明支えて貰ったり、車両部までお願いしました(笑)。
小路:そして「イノセント15」は視点にやさしさがあると思います。描いてるものに一貫性がある。でも深入りはしない。その映画との距離感がとても大切なんじゃないかな。
甲斐:はい、主人公2人に対しての視点もそうですね。大高さんに言われたように、「ビューティフルライツ」というタイトルが先にあって、主人公2人と世界とのコントラストを、光と影のコントラストに重ねて物語を表現しようとしていたんです。でも撮影していくうちに、これは2人のための映画だと気づいたんですよ。撮ってて寄りのシーンとかがだんだん増えていった。教会のシ-ンは僕が撮ってて、技術としてはもちろん下手なんだけど近づかずにはいられなくなっていました。ただ基本的には、僕は何に対しても俯瞰の姿勢を保っていると思っています。
小路:逆に僕はすごいウェットなんですよ、普段から。映画にも入り込んでいくタイプ。日常でも、例えば知り合いが死ぬとか考えるだけでうるうるしちゃう(笑)。
大高:小路監督は長回しされないですよね?
小路:あまりしないですね。引きで長く見せるのがあまり好きではないんです。
甲斐:それでも「ケンとカズ」はファーストシーンから目が雄弁、気迫というか元ヤンかな、という芯の強さが伝わってきました。ずっと肩に力入ってるのが伝わってくるというか。
小路:そもそも、毎熊は考えて考えて不器用なタイプです。そこを役柄とリンクさせていったのかもしれないですね。本当はカズはもっと違うキャラクターだったんだけど、彼が持ってるカズを出していかないと勝負できなかった。カズみたいに決まってたわけじゃないけど、カトウさんと2人、どういう演技で行くか、考えないと成立しないなと思った。いい意味で、目の対比がありました。ヤンキーの目と、死んだフナの目。それでも、2人が仲がいいのが何も言わなくても分かるという。
大高:ヤクザの舎弟役の江原さんもとても良い不気味さを放って居ましたね。自分の役割に徹するマシンとしての凄みというか。こんな人に目をつけられたらヤバいなと。。。
小路:本当はごりごりの舎弟をイメージしてたのですが、ごりごりすぎても演出できないので(笑)。本当にやばい人だと、演出できないんですよね。なので役を書き直しました。本当に役者もいい人がたくさん来てくれたと思います。
甲斐:「ケンとカズ」のリアルさというか、「これはかっこいい、でも一歩間違えたらこれはかっこわるい」というのをどう線引きすることによって、嘘くささが減っているのでしょうか。
小路:カメラの描き方というか、撮影の部分はすごく自信がありました。今回はカメラ、撮影完璧にやるから、足りないのは演出と役者だなと思っていて。たぶん役者の演じ方によってカメラのとらえ方を変える。撮影によってコントロールできたと思ってます。
甲斐:例えば覚せい剤のパックを作ってるところも引きで撮ったり、角度とか切り取り方でリアリティが増す場面がありましたね。
小路:リアルさの追求には、アイコン的なキャラクターが全面に出過ぎてしまうと危険ですね。なので場所でバランスをとる感じです。例えば敵対グループと取引をするシーンではロケーションを事務所ぽくしないで、あえて銭湯を背景にして「外す」とか。そういうバランス感覚がとても重要だと思っています。
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