コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第84回
2006年12月6日更新
アメリカ入国の際、審査官に訊かれた。
「『ボーラット』は観たかい?」
「Borat: Cultural Learnings of America for make benefit Glorious Nation of Kazakhstan(ボーラット/偉大なる国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習)」という、やたらと長い副題のついた映画がアメリカで大ヒットを飛ばしていることは知っていたが、日本に一時帰国していたため、見逃していた。
「俺の立場からすると、お勧めできない要素も多分に含まれてるんだが」入国書類に勢いよくスタンプを押しながら、審査官は言った。「観ておいて損はないと思うぞ」
あいにくエドワード・ズウィック監督の大作「ブラッド・ダイアモンド」と、ロマンティック・コメディ「ホリデイ」の取材が立て込んでいたので、「ボーラット」鑑賞は後回しとなった。が、「ホリデイ」の取材の席でも、その話題から逃れることができなかった。主演のキャメロン・ディアスが、「ボーラット」を「今年最高の映画!」と絶賛したからだ。
「あまりに笑い転げてしまったせいで、映画が終わったときには、自分がどこにいるのか分からなかったくらいよ!」
お堅い入国審査官からキャメロンまでを虜にする「ボーラット」とは、いかなる映画か? 取材を終えるやいなや、ぼくは近くの映画館まで車を飛ばした。
ボーラットとは、イギリス人コメディアン、サシャ・バロン・コーエンが作り上げた架空のキャラクターだ。カザフスタンの人気TVレポーターである彼が、アメリカ各地でさまざまな騒動を巻き起こす、というのが一応のあらすじなのだが、それではこの映画の魅力はなにも伝わらないと思う。「ボーラット」の最大の特徴は、ドキュメンタリー映画の体裁を取って撮影されていることだ。カザフスタンTVの取材のフリをして、無知な差別主義者ボーラットになりきったコーエンが、アメリカの一般人に対してどっきりを仕掛けていく。フォーマルな夕食会に汚物を持ち込んだり、フェミニストの集会に参加して女性の脳の小ささを論議したり、保守派が集まるロデオ大会で愛国的なスピーチを求められて、「ブッシュ大統領が、子供から大人まですべてのイラク人民の血を飲み干すことを!」と威勢が良すぎる(?)ことを言って、会場をしんとさせてみたり。この映画が下品で、政治的に正しくないのは確かだが、アメリカに存在するあらゆる集団の不寛容な人々を平等に侮辱し、しかも、その欺瞞を描いていくさまは痛快だ。たとえば、ボーラットに扮したコーエンが銃販売店に行くシーンがある。「ユダヤ人からの護身用にはどんな銃がいいか?」と訊くと、店員は表情も変えずに答える。「45口径か9ミリがお勧めだ」
ヤラセではないリアルな反応に、ぼくは背筋が凍る思いをしたのだが、周囲の観客たちは声を出して笑っていた。自分たちの醜態を笑い飛ばせることが――すでに全米で1億ドルを超える大ヒットを記録している――アメリカ人の器量の大きさ物語っているのかもしれない。日本で「ボーラット」がヒットするかどうかはわからないけれど、アメリカ文化の研究素材として重宝することだけは保証できる。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi