コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第53回
2004年5月7日更新
サンフランシスコのホテルに到着したとき、ぼくはリムジンを飛び出した。預けておいた荷物をピックアップしたあと、空港に直行することになっていたのだが、そこから空港までの30~40分間、リムジンに乗り続けることなどとうてい不可能だった。薄暗くて息苦しい空間に加えて、ドライバーの場当たり的な運転が、ぼくのナイーブな三半規管に強烈なダメージを与えていたのである。
ホテルのロビーでしばらくソファーにもたれても、体調はまるで良くならなかった。激しい吐き気と、時差ぼけからくる頭痛を抱え、許されるのなら、ホテルのベッドで横になっていたかった。でも、翌朝ロサンゼルスで取材があるから、今日中に飛行機に乗らなくてはいけない。オークランド空港まではタクシーで行くしかないのに、いまのボロボロの体ではベイブリッジまでも持ちこたえられそうにない。しかも、フライト時間は刻々と迫りつつあった――。
ふと、あることを思いついた。他人が運転する車に乗るから車酔いするのである。自分で運転すれば、空港まで持ちこたえられるじゃないか、と。幸運にも、ホテルのすぐ隣がレンタカー屋さんだった。しかも、たまたま1台残っているというではないか。赤のフォード・マスタングに乗り込んでハンドルを握りしめると、ぼくは悦に入った。レンタカー代のほうがタクシー代よりも安く、なにより、快適に目的地に着くことができる。われながら、なんという名案だろう。
このとき、大事なことを2点見過ごしていた。サンフランシスコ近辺に土地勘がないこと、そして、自分の体力が限界に近いこと、を。
ホテルを颯爽と出発するも、すぐに大渋滞にはまってしまう。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯で、しかも、オークランド側に出るためにはベイブリッジを利用するしかないために、橋へ通じる道はどれも完全にブロックされた状態になっていた。サンフランシスコの道路事情に詳しければ、抜け道や近道などを通ることもできただろうが、観光客であるぼくはまっとうなルートを取るしかない。空いているときならベイブリッジを渡りきるまでに十分もかからないのに、結局、1時間以上もロスしてしまった。すでにフライトのチェックインが始まっていた。
そこからフリーウェイを飛ばしたのだが、どこまで走ってもオークランド空港出口が出てこない。小1時間走ってから地図を確認すると、とっくに通りすぎていたことに気づく。疲れていたために、看板を見過ごしてしまったのだ。そこからUターンして、20分ほど飛ばすと今度は空港出口の看板を見つけた。が、今後はレンタカーの返却場所がわからない。空港周辺は立体交差や一方通行などがあって、地図の通りには進めないのだ。そうやくレンタカー屋を見つけたときには、すでに自分の便はとっくにロサンゼルスに着いていた。なんとか9時の最終フライトに乗り込むことが出来たものの、帰宅したときには深夜を回っていた。
もう、2度と出張などしないと心に誓って、ベッドに倒れ込んだ。その数時間後に は、時差ぼけで起きてしまったのだけれど。
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筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi