コラム:ニューヨークEXPRESS - 第46回
2025年3月1日更新
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ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
刑務所の中で名監督と交流、“フェイクの脚本”も用意 「聖なるイチジクの種」監督が過ごした苦闘の日々
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今回の題材は、第77回カンヌ国際映画祭の審査員特別賞を受賞し、第97回アカデミー賞国際長編映画賞へのノミネートを果たした「聖なるイチジクの種」(日本公開中)。まずは、この衝撃作を手掛けたモハマド・ラスロフ監督の経歴を紹介しよう。
イランの首都テヘランにあるスーレ大学で映画編集を学んだラスロフ監督は、2001年に映画監督デビューを果たしている。「グッドバイ」で第64回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の監督賞を受賞、その後は「ぶれない男」で同部門の最高賞を手中に収めたものの、その題材をイラン政府が問題視し、パスポートを没収されてしまう。第70回ベルリン国際映画祭では、最高賞の金熊賞を授与されるはずだったのだが、同映画祭に参加できなかった。それは何故か? 「イランの体制に対するプロパガンダ」とみなされた3本の映画を製作したことで懲役1年。さらに2年間の映画製作禁止の判決を受けて拘束されたのだ。
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では、ここから「聖なるイチジクの種」の背景について。2022年「マフサ・アミニの死」(=ヘジャブの着け方を理由に道徳警察に拘束されたイラン国籍のクルド人女性マフサ・アミニが拘束から3日後の16日に死亡した事件)によって、イラン各地での大規模な抗議デモが起きる。そんな不安定なイラン情勢を背景に、本作のストーリーは展開していく。
テヘランに住むイマンは念願の予審判事への昇進を喜ぶものの、仕事の内容の実態は反政府デモの逮捕者を不当に処罰するのが主な業務だった。ある日、護身用に国から支給された銃が家の中で消え、当初はイマンによる紛失だと思われたが、妻のナジメ、長女のレズワン、二女のサナに疑惑が生じ始めていく……というストーリーが描かれる。
このほどラスロフ監督が単独インタビューに応じてくれたので、本稿にて紹介していきたい。
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――今作を鑑賞してみて、イランにおける長年の検閲と制限を受けたあなただからできた映画に思えました。そんな制作のきっかけになったことは何だったのでしょうか?
2022年「Woman, Life, Freedom Movement」(「女性・命・自由」をスローガンにした抗議運動。マフサ・アミニの死後にイラン各地で起きた抗議デモのことを総称して呼ぶ)が始まる数カ月前、私は過去に撮った映画のせいで、刑務所に入らなければなりませんでした。何年も何年も、検閲や治安組織、そしてこうした人たちと向き合い、彼らがどのように考え、なぜそのように行動するのか。そしてなぜ私たちは互いに理解し合えないのかをわかろうとした結果、この物語にたどり着きました。ですから、この物語は、私が過去15年間に経験した、政府の役人たちとの出会いにおける個人的な体験を抽出したものでであり、さらに混ぜ合わせたものでもあるんです。
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――2022年、イランを代表するジャファル・パナヒ監督(「白い風船」「オフサイド・ガールズ」)と刑務所内で話したそうですが、どのような交流があったのでしょうか? 彼はイランで起こっていることを主張するために命がけでハンガーストライキを行っていたそうですね。
最初の35日間は独房で過ごしたので、パナヒ氏が逮捕されたというニュースはまったく知りませんでした。逮捕を知ったのは、刑務所の一般区画に移ってからです。ただその頃には、彼のハンガーストライキは終わっていました。
そこで私は刑務官に“私が病気である”と訴えかけ、彼のいる診療所に入れてもらいました。かなり離れたところから挨拶をして、お互いに手を振り合うことしかできませんでした。数日後、彼は一般のセクションに移され、私たちは刑務所で約半年間一緒に過ごすことができました。
社会、芸術、政治、その他の大きな問題について議論し、獄中での時間を最高のものにしようとしていましたが、それから約1カ月後「Woman, Life, Freedom Movement」が始まりました。私たちは、何が起こっているのかを理解しようと必死でした。そしてある夜、私たちがいた刑務所に、(抗議のための)火が放たれたんです。
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――今作のキャスティングは「Woman, Life, Freedom Movement」を起こした女性たちを支持する女優を雇うことを意識したそうですね。キャスティングの経緯を教えてください。
あなたが言ったように、多くの映画俳優、特に女優たちが「Woman, Life, Freedom Movement」という生き方(=選択)を支持して、検閲に準拠し、強制的なドレスコードに従わなければならないイラン政府の公式なプロジェクトには“もう出演しない”と表明しました。これは私にとっての刺激となり、私の映画に出演してくれそうな人に声をかけ始めるきっかけも与えてくれました。
しかし、もっと重要なのは、主要な女優たちが皆、この映画のテーマにとても近い体験をしていたということです。例えば、娘の母親で妻ナジメ役のソヘイラ・ゴレスターニは、運動に参加したために逮捕されています。長女レズワンを演じたマフサ・スタミは、ある抗議活動中に警棒で殴られたこともありました。次女サナ役のセターレ・マレキも、この運動に積極的に参加していました。このことによって自分たちの役柄を理解し、彼らをより“作品”に近づけることにもなりました。
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――本作は、イラン政府を批判する内容であることを理解して撮影に臨んでいたため、現場では事前にイランの政府の役人に検閲されても問題ない“フェイクの脚本”を用意。極力目立たないように少人数での撮影を試みたそうですね。現場ではどのようなアプローチをしたのでしょうか?
私にとっての“現実的な限界”は、脚本を書き始めた瞬間から始まっていました。私はいつも「これは実際に撮影できるのか? 撮れるのだろうか?」と常に考えています。だから、映画を作ること自体がすでに“演出されている”とも言えるでしょう。(脚本執筆時から)監督業はすでに始まっているんです。
例えば、屋外撮影をしている際は、俳優陣も私たちが撮影しているのは“フェイク”の脚本であることは理解していました。劇中の家族は政権と密接に結びつき、厳格なヒジャブを着用するという外見上はある種の宗教的信条も持っている設定でした。そのため撮影時には反政府の人々や反政府の映画を描いていると“注目”を集めることが少なかったのです。
そしてキャスト、クルーの安全を守るために決めた取り決めのひとつに、私がほとんどの時間をセットから一定の距離を置き、遠隔で監督としての指示を出すということもありました。もちろん多くの下準備を行い、撮影に臨む際には、常に2人のアシスタントを現場に配置。1人は撮影監督との関係やより技術的な面を担当し、もう1人は俳優やより芸術的な面を担当することにしていました。
私が不在の間は、キャストもクルーも良い解決策を考え出していました。課題に対応できるよう、非常にクリエイティブな協力者を得ることが重要でした。
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――ポストプロダクションも大変だったそうですが、どんなことが起こったのでしょうか?
撮影後、1週間ほどでポストプロダクションが始まりました。今作に関わった海外のチームは、私たちが送った編集前の映像素材を保存するのが大変でだったそうです(=映像を没収されないように気をつけていたそう)。(ドイツに亡命していたため)私はあまりコミュニケーションが取れなかったので、ポストプロダクションのスタッフにはとても詳細な脚本が事前に必要でした。
筆者紹介
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細木信宏(ほそき・のぶひろ)。アメリカで映画を学ぶことを決意し渡米。フィルムスクールを卒業した後、テレビ東京ニューヨーク支社の番組「モーニングサテライト」のアシスタントとして働く。だが映画への想いが諦めきれず、アメリカ国内のプレス枠で現地の人々と共に15年間取材をしながら、日本の映画サイトに記事を寄稿している。またアメリカの友人とともに、英語の映画サイト「Cinema Daily US」を立ち上げた。
Website:https://ameblo.jp/nobuhosoki/