コラム:ニューヨークEXPRESS - 第25回

2023年5月4日更新

ニューヨークEXPRESS

ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。


第25回:ジョン・レノンと18カ月に及ぶ愛人関係 メイ・パンが語る「失われた週末」で起こったこと

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昨年開催されたトライベッカ映画祭で、話題を集めた作品があった。ザ・ビートルズジョン・レノンオノ・ヨーコの個人秘書であり、プロダクション・アシスタントを務めていたメイ・パンの姿をとらえたドキュメンタリー映画「The Lost Weekend : A Love Story」だ。

同作は、メイ・パンジョン・レノンとの1年半に渡る愛人関係を自身の言葉でつづったドキュメンタリー作品。酒を断ったばかりのジョンと長年疎遠だった息子ジュリアンの再会、ポール・マッカートニーとロサンゼルスで再び結びつく様子など、ジョンの“自然な姿”が垣間見える作品に仕上がっていた。

今回は、メイ・パンへの単独インタビューが実現。世間では「失われた週末(The Lost Weekend)」と言われた頃について振り返ってもらった。最初に断っておきたいのは、ここで語られるのは、あくまで“メイ・パン自身の見解”だ。オノ・ヨーコ、その他のメンバーの視点では“別の解釈”もできるという点を前置きしておく。

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ニューヨークのスパニッシュ・ハーレムで暮らす中国系アメリカ人の家庭で育ったメイ。当時は“マイノリティの中のマイノリティ”だったという。

「一緒にいる人は誰もおらず、アウトサイダーとみなされ、私はいつも一人でした。住んでいる場所の人たちとなんとか友達になろうとしましたが、それはちょっと大変でした。街に出て、ダウンタウンのチャイナタウンに行かない限り、他の中国人の家族はいなかったくらいです。“一人”というのは、とても寂しいものでした。プエルトリコ人や黒人、イタリア人もたくさんいましたが、彼らは私の思いを理解していませんでした。私にとっては非常に難しい環境だったんです」

彼女の父親は息子が欲しかったそうだ。そのため、両親は新たに男児を養子に迎えた。そのことで「自分が見捨てられたような気になった」こともあったそうだ。 高校を卒業し、大学を中退したメイ。子どもの頃から歌手ティト・プエンテ、ジョー・キューバ、ジェームズ・ブランドなどの曲を聴いて育った。

ごく自然な形でロックにもハマり、そのなかでも“リバプールの4人組”に惹かれていった彼女は、アラン・クレインがマネジメントするアブコ・レコードの受付として勤務することになった(同社は、アップル・レコードと、ジョン・レノンジョージ・ハリスンリンゴ・スターが代表だった)。

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音楽に精通していたメイは、すぐにジョンとヨーコの個人秘書となり、彼らのもとで3年間勤めていた。当時の彼女は、夫婦のさまざまな出来事を把握していたため、ジョンには恋愛感情や興味を持っていなかったそう。

だが、ジョンとの関係がうまく行っていなかったヨーコから「ジョンとの交際」を促された。これが、のちに大きな波紋を呼ぶことになる。

「私はヨーコに『ジョンに関しては興味がない』と伝えると、彼女は『それはわかっているわ』と言ってきたんです。彼女は、私より17歳年上。男性には愛人や側室がいるような時代で育ったかもしれないけれど、私はアメリカ育ちで、そんなことへの理解はできていませんでした。もちろん、私は彼女にそう伝えたけれど、彼女は『(ジョンとの交際は)いいと思う』と言って部屋を出ていきました。私は、一体何が起きたのかわかりませんでした。突然、涙が出てきて、パニックになって、何が起きたか理解できずに、誰に相談したら良いのかもわからなかった」

ヨーコからメイとの交際を促されたジョンも戸惑っていたそう。しかし、最終的に、ジョンはメイを追いかけることになった。

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この関係性は、短期間の浮気や不倫とは異なり、18カ月以上の間続くことになった。これが「失われた週末」と呼ばれる期間だ。ヨーコは、ジョンが自分の元に帰ってくると信じていたのだろうか。

「それに関しては、とても複雑です。彼女は人々にこう言っていたそうです。『この交際が2週間も続くとは思わなかった』と。私は『これは性的なことで、すぐに終わり、彼(ジョン)はそれを間もなく忘れてしまうだろう』と彼女が考えていたと思います。ジョン自身にも、他にやりたいこと(=ザ・ビートルズ以外の活動)があったはず。これらが複雑な状況を生み出していて、人々に理解されないことでもありました。だから、ジョンが“家に戻らない方がハッピーである”とヨーコが知った時、彼女も少し動揺していたと思います。実際には映画で描かれている以上のことが起きていて、私とジョンは幸せで、新たに家を買うつもりでした。それにポールとリンダに会いに行く予定もありました」

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結局、ジョンとヨーコが離婚することはなかった。だが、1974年、ヨーコは、ジョンに離婚を切り出したことがあったそうだ。

ザ・ビートルズ時代のジョンは、常軌を逸した形で好奇の目にさらされていた。私生活を充実させることはできなかったのではないだろうか。時には息苦しい時もあったはずだ。ともに過ごした18カ月、メイはジョンのどのような魅力に気づいたのだろう。

「私とジョンのベースには、お互いが音楽を深く理解していたというものがありました。そこを通じて繋がっていたんだと思います。多くの人は知らないけれど、私はジョンに会う前からすでに音楽には関わっていたんです」

メイは、ソング・プラガーとして働いていた。ソング・プラガーとは、20世紀初頭に百貨店や楽譜店、音楽出版事業者などに雇われ、新譜の楽譜販売を促進するために、実演してみせていた歌手やピアニストなどのことを指している。

「だから、私は音楽を把握していたし、私たちにはそのことを通じて話すことがたくさんあったんです。『このレコードが好きだから、この人に会いたい』と言うと、ジョンは『へぇ、このレコードが好きなんだ』と。私がこれほど音楽に詳しいことに驚いていましたね。『我々アメリカが先に音楽を手に入れて、あなた方(=英国)は中古で手に入れてるのよ』。こんな風に言ってやったこともありました」

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メイは、ジョンと共にバスに乗り、彼にあえて歩かせたりしたそう。一時期はメイの狭かったアパートで一緒に暮らしていたこともあった。 そんな彼女は、ジョンの最初の妻シンシア、そして息子ジュリアンと親しい関係にある。彼らとはどのような会話を交わしてきたのだろうか。

「シンシアとの関係はとても珍しいものだと思います。彼女はとても素敵で、実直な女性でもありました。実際に体験をした人でなければ、同じ状況について話すことはできません。彼女は、レノンとの“同じような体験”について笑いながら話してくれたんです。『あぁ、わかる、わかる。他の人が理解できないことが、私にはとてもよくわかるわ』とね。彼女とは特別な絆で結ばれていましたし、お互いに気にかけてもいました。しばらく音沙汰がないと、彼女から『今、どこにいるの?』と連絡があったくらいです。最後に会ったのは、亡くなる1年前。英国に会いに行ったんです。その頃は、彼女のご主人が亡くなったばかり。『大丈夫ですか?』と問いかけると『あなたが来ると信じていた』と言われました。その状況は、何年も前から聞いていました。私は一度も飛行機に乗って彼女に会いに行ったことはありませんでした。ニューヨークで会うことはあっても、ロンドンで会うことはなかった。だから、彼女に会えてよかった。彼女は、ジュリアンに何かあった時、私が傍で面倒を見るということを察していたと思います。それほど信頼を寄せてくれていました。ジュリアンはだいぶ年をとりましたし、私の助けは必要ないでしょう。でも、いつも彼の傍にいるつもりです。彼もそのことを知っていると思います。なぜなら、ジュリアンが作ったアルバム『ジュード』のジャケットの絵は、私が撮った(子どもの頃の)ジュリアンの写真なんです。彼はその写真を使ってくれました」

ザ・ビートルズ解散後、ポールとジョンはロサンゼルスでジャムセッションを行ったこともあった。もしジョンが今でも生きていたら、一緒に音楽を作っていたのだろうか。

「私がジョンと築いた家庭は、シンシアやヨーコのものとは異なっていたと思っています。あくまで私の家で起きたことですが……1975年1月、ポールとリンダが我々に会うためにやってきました。彼らは『これからニューオーリンズに行き、新たなアルバムを作る』と言ってきたんです。そのアルバムは『Venus and Mars』。ジョンは「それは素晴らしい」と言っていました。この話は、ザ・ビートルズを正式に解散させる契約書にサインをした後のもの。ポールとリンダが帰った後、ジョンは私に『君に聞きたいことがあるんだ。もし僕が、ポールとまた一緒に作曲を始めたら、どう思う?』と言ってきました。私は『エクソシスト』のように首を傾げて『それは素晴らしいことだわ』と伝えましたが、彼は『なぜだい?』と聞き返してきました。だから私は『あなたとポールがソロで書いているソングは素晴らしいけれど、2人が一緒に作ると、それに勝るものはないし、マジカルだから』と伝えました。彼は『それは、そうだね』と言っていました。それが私とジョンが別れる前に交わした、最後の会話のひとつでした。その時の彼は『チケットを手に入れて、ニューオーリンズに一緒に行こう』と言っていました」

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では、ヨーコと和解するとしたら、それはどのような形になるのだろうか。

「ジョンが亡くなった時、彼女に連絡をとろうとしました。でも、彼女からは何の返事もきませんでした。それから、アイスランドのホテルで再会した時、彼女に手紙を書いたんです。『メイです。あなたがどんなことをしていても、成功することを願っています』とね。何も返事はなかったけど、翌朝、レストランにはマスコミを含む大勢の人々がいました。私の友人は、ヨーコから『何を食べているの?』と聞かれたと言ってきました。そこで私は、ヨーコに近づいて、彼女の名前を呼んだんです。ヘアピンの音が聞こえるほど、部屋が静まり返りました。私は『ただ、お元気ですかと言いたかったんです。あなたの幸運を祈っています」と告げました。彼女は『ありがとう!』と答えてくれました」

その後、ヨーコは手を振ってくれたそうだ。しかし、その行動がメイ本人に向けたものなのか、彼女への対応をマスコミに見せようとしたものなのか……メイは、その真相は「わからない」と語っていた。

筆者紹介

細木信宏のコラム

細木信宏(ほそき・のぶひろ)。アメリカで映画を学ぶことを決意し渡米。フィルムスクールを卒業した後、テレビ東京ニューヨーク支社の番組「モーニングサテライト」のアシスタントとして働く。だが映画への想いが諦めきれず、アメリカ国内のプレス枠で現地の人々と共に15年間取材をしながら、日本の映画サイトに記事を寄稿している。またアメリカの友人とともに、英語の映画サイト「Cinema Daily US」を立ち上げた。

Website:https://ameblo.jp/nobuhosoki/

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