コラム:韓国の人がぶっちゃける、made in KOREA - 第9回
2011年9月29日更新
希望と絶望は、いつも仲良く手をつないでやって来る
不遇の身分から、一国の妃と格上げされた「シンデレラ」。一般女性がどれだけ彼女の人生にあこがれるかは、“シンデレラストーリー”という言葉が、羨望を代弁する表現として使われることからもわかります。しかし「王子様と結婚して、幸せに暮らしました。おしまい、おしまい」という文章で締めくくられるシンデレラが、実際にどう暮らしていったかは定かではありません。
「よくも我が高貴な家族の敷地をまたいでくれたわ」という蔑視され続けたかもしれない。名前を決して呼んでもらえず、イニシャルの頭文字ひとつで呼ばれ続けたかもしれない、夫が突然の事故で死んでも、葬式で泣くことも許されず、追い出されたかもしれない。その際、たったひとりの子どもまで奪い取られ、抵抗する力もなく追放されたかもしれない。
そのすべての可能性を見事に再現したのが、「ロイヤルファミリー」。日本のミステリー小説「人間の証明」を原作に、「大富豪の家庭に嫁ぎ、仲間はずれにされた女性の復讐劇」というドラマチックな要素を組み入れ、より視聴者の興味とカタルシスを高潮させたこの作品。台本、役者の演技、キャラクター、演出、すべてがほぼ完璧なまでの完成度を見せた、ここ数年で稀に見る「名品ドラマ」と言ってよいでしょう。
今までにもコラムで何度か言及した韓国特有の“マクチャン”ドラマといえば、視聴率を何とか上げるためだけに、視聴者を刺激するストーリーを入れたり、ドラマの主な視聴層である中年女子の好みに合わせた、刺激的ながらもゆっくりとした速度の展開が特徴です。しかし「ロイヤルファミリー」は、ドラマのクオリティーを維持するため、スピードを落とすことはおろか、台本、速度ともに独自のリズムを貫き、「視聴率よりも完成度を優先させた」まさに勇気ある名作。
ただ、マクチャンドラマに慣れすぎた韓国の視聴者たちが、「シンデレラストーリー」よりも原作「人間の証明」に重点が置かれた中盤から物語とスピードについて行けず、賛美一色にもかかわらず結局、視聴率には大きくつながらなかったというこの現実。
「韓国ドラマだって、その気になればこういう名品ドラマを作れるんだ!」 という希望とともに、「今はまだ視聴者が望んでいるのは“マクチャン”ドラマなんだ」という絶望を垣間見た気持ちです。また、玉の輿(たまのこし)にあこがれる女性たちの夢を壊すと同時に、「無理してシンデレラになっても先が思いやられるからやめようよ」という教訓を与えてくれたのです。