コラム:韓国の人がぶっちゃける、made in KOREA - 第2回
2011年2月28日更新
あなたの彼氏をタコに変化させる魔法の韓国映画「アジョシ」
「何気なく隣にいる彼氏を見たところ、そこにはタコが座っていた」。映画「アジョシ」を見た女性の感想をひと言で代弁した名言ではないでしょうか。2010年夏、韓国女子の心の中で静かに巻き起こった社会現象は、それはそれは恐ろしい魔法のようでした。
「アジョシ」が公開された瞬間、ウォンビンの喜びは国全体の喜びとなり、ウォンビンの悲しみは国全体の悲しみとなりました。ウォンビンの生まれた大韓民国は地球の中心となり、育ったカンウォンドは韓国国民の心の故郷となりました。また、「太陽は東に沈むのだ」と主張するのならば、その日から太陽は西に沈むべきではありません。ウォンビンを批判するという事は、民主主義のプライドが許さぬ大失態であり、ウォンビンが作品中に使用したバリカンは、前世に国を救った英雄の生まれ変わりであったに違いありません。ウォンビンにパソコンを買ってもらい、授賞式では手をつないで現れた共演の子役の女の子は一体何者でしょうか。宇宙の英雄か、はたまた神でしょうか。ちょっとした息抜きに、地上へウォンビンと手をつなぎに来たのかもしれません。
04年に大ブームを巻き起こした「狼の誘惑」での美男子カン・ドンウォンの登場以来、映画館のスクリーンに向かって女性が歓声を上げるという現象は、まさに6年ぶりの怪現象でした。私は見たのです。ウォンビンがバリカンで髪をそった瞬間、実際には誰もいないはずのスクリーンに、まるで生身のウォンビンがいるかのごとく歓喜の叫び声を上げる女性たちの姿を。その光景は、小さいころにテレビの画面の中でドラえもんが生きていると思い込んでいた、自称・かわいらしい過去を思い起こさせるものでした。しかし、そこにドラえもんがいなかったように、スクリーン画面の中にウォンビンはいないのです。なぜなら、私たちの心の中にいるのですから。
美しい目は、銀河の瞬き。美しい鼻は、3次元において最も理想的な比率。美しい口は、人間版バーミューダ・トライアングル。そして、口から放たれるバリトンの声は、宇宙のかなたから奏でられる天上のメロディでありましょう。その存在感だけで、私は神の存在を一瞬でも認めざるを得ないのです。
「さてはおぬし。映画について書くことが無いから、『ウォンビンはカッコイイ』で済む一文をこれだけ広げたな?」なんて鋭いことは言わないでください(ギクッとします)。しかし、少なくとも私は、実際に映画を見てこのように感じたのです(同じように感じた人もいるでしょう)。本作は、ウォンビンに始まり、ウォンビンに終わる、ウォンビンの、ウォンビンによる、ウォンビンのための映画でした。事前に熱心な宣伝が打たれていたワケでもなく、いつ公開開始したのかもわからないほどひっそりと始まったにもかかわらず、女性たちの口コミだけで、300万もの観客を動員してしまったのは、まさにウォンビンの威力といえましょう。
しかも、同じく韓国映画のスターである8頭身の美男子カン・ドンウォンと親友ときたもんだ! この話は余談すぎでしょうか? 「他に友達があまりいなく、いつも2人きりでゲームをして遊ぶ」と語るウォンビン。これは余談どころの話ではないでしょう。前回のコラムでも触れましたが、韓国……いや、世界中の映画業界は、この二人を主演とした映画を製作するべきです。イイ男とイイ男が出会ったときの凄まじいシナジー効果は、前回書いたとおりです。いいですか、「二人きり」で遊ぶのだそうですよ。わかりますよね? 「何が?」じゃありませんよ。野暮なことは言わずに製作お願いします、本気で。ちなみに、信じてもらえないかもしれませんが……実は私、ウォンビンをよく知る者であります。嘘のようですが、事実なのです。
私の知る限り、ウォンビンは顔だけの俳優ではなく、謙虚で素朴な性格で業界でも評判を受けています。映画で見せるカリスマ的な姿に対し、ふだんのちょっと抜けた口調と穏やかな性格による「ギャップ」が魅力的なのです。宇宙的な姿だけでも十分なのに、おっとりした性格まで兼ね添えたウォンビン。ちょっと凄くありませんか。ウォンビンをよく知る人間としても、これからも彼が映画界で活躍してくれることを願ってやみません。
そう、私はウォンビンをよく知る者です。……なぜ、ウォンビンが私の存在をまったく知らないのか不思議なほどに。