コラム:若林ゆり 舞台.com - 第39回
2015年12月22日更新
第39回:小劇場界の異端児・劇団鹿殺しが15周年のバックステージもので熱く人生を応援!
劇団鹿殺しを初めて認識したのは10年近く前のこと。クイーンのフレディ・マーキュリーをコピーしたり、オリジナル曲を使った寸劇の路上パフォーマンスをあちこちでゲリラ的に行い、「鹿ハウス」という郊外の一軒家で共同生活を送りながら芝居づくりをしている、まさに青春まっただ中の劇団をテレビの深夜番組で特集していたのだ。その直後、某演劇雑誌の忘年会でパフォーマンスを披露した彼らに直接会って惹かれ、公演を見て衝撃を受けた。なんたるエネルギー! ロックでカオスで泥臭いのにカッコよく、見る者をブンブン揺さぶるそのパワーときたら!
この劇団名からエグい世界を想像し、二の足を踏んでしまっている人もいるかもしれない。しかし! 劇団鹿殺しはけっしてキワモノでもゲテモノでもない。音楽があって濃厚な世界観にはどこか郷愁を誘う愛らしさがあり、必死で生きているみっともない人間を応援するようなやさしさのある、実に真っ当なエンタテインメント集団なのだ。その劇団が順調に成長を続け、15周年を迎えるというのだから感慨深いのである。
もともとは関西の大学で活動していた演劇サークルの先輩・後輩だった丸尾丸一郎(劇作家・俳優)と菜月チョビ(演出家・俳優)が、つかこうへいの芝居をやりたくて旗揚げしたのが15年前。劇団名はそのころからのものだ。その強烈なインパクトは「善し悪しですね」と菜月は笑う。
菜月「劇団名だけは知っているという人も非常に多いんです。別にバイオレンスをやりますよとか、そういうつもりで付けたわけではなかったんですけど、思った以上にコワがられた(笑)。これは村野四郎さんという詩人の『鹿』という詩から取ったものなんです。鹿が崖っぷちにいて、猟師に銃で狙われているのを知りながらも夕陽をじっと見ている姿を描いた作品で。自分たちとしては、『生と死』というのがテーマとして出てくるし、自分たちの崖っぷち感だったり、命懸けだっていうことを表したつもりでいたんですよね」
オリジナルの作品で勝負しようと決めた鹿殺しは、10年ほど前に上京。彼らがすごいのは、共同生活をしながらバイトをせず、最初から表現活動だけでちゃんと経済的にも自立できていたという点だ。
菜月「最初から『お芝居をしてお金をもらうのだ』という考えで、それがしたくて始めたんです。お芝居に関わることだけでお金を稼ごうってみんなで言い合って。それができるためだったら何でも努力をしよう、お金を払ってもらえるようなお芝居を作ろう、2年間はとにかく文句を言わないで集中してやろうって約束していました。共同生活で辛いことなんかはなくて、奇跡のようにうまくいっていたんですよ」
丸尾「集まってくれた人に恵まれたと思います。僕らはバランスもよかったのかもしれない。予算立てとかお金の計算もできたし、経済的なことにも興味がないわけじゃないので。そこと表現活動を切り離しちゃうんじゃなくて、お金を稼ぐための表現活動、というのがちゃんとトータルで考えられたんです」
バランスのよさといえば、菜月・丸尾のふたりにも言えることだが、意外にも2人は演劇人としては「まったく違う」タイプだとか。
丸尾「もともと劇団を一緒に旗揚げしたのは、僕らが全然タイプが違うからというのもあったんですよ。チョビはすごく衝動的で、舞台にソウルはあるけどガチャガチャしてる。いまの鹿殺しに近いテイストが最初からあったんです。僕はシーンとした中で、スタイリッシュであることだけが命という感じが好きだった。違うからこそ相性はいいし、年を重ねるごとによくなってる気がしますね」
菜月「好きなことが違うし、やりたいことが根底から違うので、めっちゃケンカするんですよ、毎回。でもお互いが『違う』ということをわかって一緒にやっているから。そこでその違いを利用できるというところが1人の作・演出より強いところだな、と思うから毎回仲直りするんですけどね(笑)」
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka