人間の境界のレビュー・感想・評価
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幼い子どもを連れたシリアからの難民の家族。 飛行機で向かう先はベラ...
幼い子どもを連れたシリアからの難民の家族。
飛行機で向かう先はベラルーシ。
国境を越えてポーランドを経由して北欧に向かう計画なのだ。
北欧には家族のひとりが居、彼らを出迎える予定。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
国境を越えてポーランドへ入ったすぐのことろで、武装したポーランド国境警備隊に発見される。
彼らは、その後、ベラルーシとの国境を何度も行き来する羽目になる・・・
といったところからはじまる物語で、全編モノクロ。
時期的には、コロナ禍がはじまった頃のことで、難民の多くはマスクを着けている。
飛行機内で、シリア人家族にアフガニスタンン難民の女性も加わり、難民側の様子は、主に彼らを通じて描かれます。
映画は、ポーランドの国境警備隊の若い兵士の視点で描かれ、彼には臨月の妻がいる。
新居を構えようとして、リフォーム中。
兵士は、国境を越えて来た難民たちを一時、集合所のようなところに集めるが、すぐにベラルーシ側へ強制的に送り出す。
難民たちが何かを訴えようが、どうしようが。
背後にロシアを抱えるベラルーシは「難民救済」を謳って受け入れるそぶりをみせるが、その実、不法にポーランド側(EU側)に越境させている。
EU経済の混乱、兵力の分散を狙ってのことだ。
当然、ポーランドも同じ手段に出る。
両国にとって難民は招かれざる客であり、相手国を困らせる兵器のようなものだ。
迫害を受ける難民もそうだが、国境警備隊の兵士のストレスも凄い。
酒を飲んでも収まらい。
難民たちに暴力をふるっても収まらない。
暴力の結果、難民が死んでしまうと、政治的な問題に発展してしまうからだ。
どうにもこうにもやりきれない。
さて、第三の視点と難民支援者の活動が描かれる。
彼らにも、出来ることと出来ないことがある。
難民に救助を約束できないし、立ち入り禁止区域に入ることでもできない。
やりたい・してあげたいのは心情的にはわかるが、法律的な問題があり、立ち入り禁止区域への侵入は不法行為、その後の活動に影響が出てしまうからだ。
その支援グループに、コロナ禍で都市部から国境近くの村に越してきた精神科女医が加わり、これが第四の視点となる。
かくして、映画は四つの視点で描かれることで、事態の深刻さが深く描かれることになる。
国境沿いでの難民の押し付け合い描写が繰り返し繰り返し描かれ、観ている間のストレスは相当なもの。
また、これを撮ったアグニエシュカ・ホランド監督をはじめとする製作陣の覚悟は相当なもの。
映画は、エピローグとしてウクライナ戦争勃発後の様子が描かれる。
それまでほとんど難民を受け入れてこなかったポーランドが数十万単位でウクライナからの難民を受け入れた旨が字幕で示される。
ベラルーシと押し付け合いをしていた難民たちは中東からの難民。
ウクライナからの難民受け入れはポーランドのエクスキューズのようにも見え(というか同朋意識が強いのだと思うが)、人種差別の根深さも感じさせます。
映画は、現在進行形の映画というに相応しい作品です。
人為的に引かれた線も、自然的に引かれた線も線も、越えるのは命懸けになっている
2025.5.21 字幕 京都シネマ
2023年のポーランド&フランス&チェコ&ベルギー合作の映画(152分、G)
実在する国境「Green Border」で起きていることを再現した社会問題提起映画
監督はアグニエシュカ・ホランド
脚本はマチェイ・ビスク&ガブリエラ・ワザルキェヴチ&アグニエシュカ・ホランド
原題は『Zielona Granica』、英題は『Green Border』で「ポーランド・ベラルーシ間にある森林地帯」にある国境線のこと
物語は4章+エピローグによって構成されている
第1章は「THE FAMILY(家族)」として、シリア人の難民一家がミンスク空港に降り立ち、アフガニスタン女性のレイラ(ベヒ・ジャナティ)と行動を共にする様子が描かれる
第2章は「THE BORDER GUARD(国境警備隊)」として、ベラルーシとポーランドの国境警備隊を描き、配属になったばかりのヤネク(トマシュ・ブウォソク)の日常が描かれる
第3章は「THE ACTIVISTS(活動家たち)」として、非政府活動家のマルタ(モニカ・フラジェツク)たちの活動が描かれていく
第4章は「JULIA(ユリア)」として、精神科医のユリア(マヤ・オスタシェフスカ)が患者ボグダン(Maciej Stuhr)との診察の様子と、その裏で森を抜けた人を助け、マルタの活動に感化されていく様子が紡がれる
そして、エピローグとして、2022年時点の「ポーランド・ウクライナ間の国境線の現状」を描いていく流れになっていた
前半で登場するバシール(ジャラル・アルタウィル)たちは、ベラルーシからポーランドに入ったものの追い返されてしまい、最終的には目的地に近づくところで終わりを告げ、その渦中にて、マルタ、ヤネク、ユリアたちと出会っていく流れになっている
そこまでに犠牲はたくさんあって、バシールの父(アル・ラッシ・モハメッド)は抵抗して殺され、息子ヌール(Taim Ajjan)が泥沼にハマって死んでしまう
これらの過酷すぎる過程が赤裸々に紡がれていく
人権活動家のリアル、その運動に参加しようとする一般人、任務に嫌気を差して不法入国を見逃す警備隊も登場する
ラスト付近でバシールを見逃したヤネクが、最後の国境にて「あの時もこれぐらい優しければ」と言われるのも皮肉が効いているように思えた
映画はかなり疲れる内容で、人物も多く、再登場の時に把握するのが難しい
主要人物は数人なのだが、視点が切り替わりまくるので、色で識別できないのは辛いところかもしれません
いずれにせよ、公開後に色々と問題になった作品で、ほぼドキュメンタリーに見えるフィクションなので誤解を招く部分もあるのかもしれない
それでも、もっと過激なことも行われていても、映像にするのは無理というラインはあると思うので、どちらかと言えばソフトに描かれていたのではないだろうか
国境を超えてくる人間を兵器とまで言ってしまうのは無茶だと思うが、この仕事に従事し、国を守るという自身の任務を肯定するためのバランスのように思える
それでも適性のない人間は徹することができず、この言葉に感化され、自身の行動を正当化できた時に、人間としてのボーダーラインを超えてしまうのかな、と感じた
「人間の境界」とそれぞれの対応
最初にトルコ航空機内での乗客同士の会話が進められるが、当然ながら、使っている言葉も違って通じ合えないところもあったり、家族の情況も違い、その後の境遇で抱える困難も異なっていた。運良く車に同乗でき、レイラは比較的ヨーロッパ事情にも詳しそうだったが、警備隊に軽くあしらわれてしまった。警備兵たちは、すでに「人間の境界」を逸脱していたようにみえた。濡れた服の着替えや傷の手当ては、自分でも日常生活で気にする細かい現実的なことである。トラックで移送された後、一つだけスーツケースが残されていたが、誰か気にしているふうではなかった。手慣れたような活動家も、警備隊からの制約を受け、時には違反行為をしなければならないこともあった。ユリヤの夜間の単独行動は無謀にみえたが、手慣れた活動家たちから見直してもらえる結果となった。友人に協力を断られたりもしていた。当初の家族たちは、命を失ったり、逃げ惑い続けていたが、別の人々を自分の伝手で安全で安心な家庭環境に匿うことができていたり、警備兵にも目溢しをする者もいて、「人間の境界」を守れていて、観ている側も安堵した。エピローグのウクライナ避難民の受入れとの違いは、本当に皮肉にみえた。
人間を兵器にしたのは誰か
本作の監督は言います。ヨーロッパは人権を尊重する素晴らしい場所であると、と同時にその歴史上ナチスによるユダヤ人迫害など非人道的な行為が行われてきた場所でもあると。
そしてこのヨーロッパの二面性、その後者である負の部分が時代を超えて繰り返されるのではないかと危惧されていました。
そしてそれは起きてしまいます。1938年に起きたナチスによるユダヤ人国外追放、そしてそのユダヤ人たちをポーランドが締め出したことで多くのユダヤ人たちは行き場を失いました。
今回のベラルーシとポーランドの国境で起きた難民の悲劇はまさにあの時と同じでした。そしてそのあとに第二次大戦が勃発します。
2015年の難民危機でEUは揺れ動きました。多くの難民が押し寄せたことでEU諸国の間では亀裂が生じました。難民受け入れに積極的な国とそうでない国、そして積極的な国の内部でも賛成派と反対派で分断が生じました。EUにとって移民問題はギリシャ危機以上の脅威でした。それを敵も十分熟知していました。
ロシアが裏で手をまわし、ベラルーシが難民を集めて一気に西側諸国へ難民を送り込みました。フィンランドがNATOに加盟した時にもロシアは同じことをしました。
彼らは難民を人間兵器として相手国に送り込み、その混乱を狙ったのです。ポーランド政府はまんまとその罠にはまりました。
国境付近に非常事態宣言をして、人権団体や報道機関を締め出し、このロシアによる攻撃に真っ向から対抗したのです。難民を兵器として認識したのです。
難民を人間ではなく兵器とすることは彼らにとっても都合がよかった。移民問題に頭を悩ませていた彼らにとってはこれを相手国からの攻撃とすることで、あらゆる非人道的行為も許されると考えたのです。EUもロシアからのハイブリッド攻撃であるとしてポーランドの行為に目をつむりました。
そしてベラルーシの誘いにのせられてEU諸国に亡命できると希望を抱いて渡ってきた人々は絶望のどん底に落とされます。
ポーランド政府からはすぐにベラルーシに戻され、そしてベラルーシから再度ポーランドへ送り返されます。これが延々と繰り返され、ひどい人は30回も繰り返されたという。寒い森に放置された人々の中には凍死する人も多くいました。
ベラルーシのような独裁国家ならいざ知らず、ポーランドのような民主国家で起きた非人道的行為。かつてナチスによる侵攻を受け、虐殺まで経験した国でありながらこの国の国境警備隊や警察はさながらゲシュタポのよう。
ユリアを尋問する警察がまさにそれでした。彼らは彼女を一糸まとわぬ姿にして屈辱を与えて屈服させようとしました。独裁者の常とう手段です。
でもユリアは負けなかった。自分が住む国境付近で繰り広げられる難民への非人道的行為を目の当たりにして彼女は奮起します。彼女は自己評価を上げたいだけのリベラルではなかったのです。
後半の活動家たちの活躍は溜飲が下がる思いでした。おとりとなって警察車両をおびき出してそのすきにレッカー車の事故車に乗せた難民を救出。暗くてつらい本作の中ではとても良かったシーンです。それと、国の無慈悲なやり方に嫌気がさしていた若き国境警備隊員が難民家族を見逃してあげるシーン。救いのないような現実の中で唯一希望が持てるシーンでした。
ロシアが行ったハイブリッド攻撃は難民の人々を利用した卑劣極まりないものでした。確かに移民問題は世界にとっては深刻な問題。それは国を分断させ、しいては国を内部から崩壊せしめるほどに。
ある意味では核兵器よりも強力なのかもしれません。でもこの兵器は核と違い無力化できるのです。
そもそも難民の人たちは兵器でも何でもない。温かいスープと暖かいぬくもりを求めて、ただヨーロッパに命がけでたどり着いたにすぎません。それをロシアは兵器として利用しましたが、受け取る側が人間として接すればいいだけのことでした。彼ら一人一人は決して危険な存在ではない。難民を受け入れることで様々な弊害が生じるかもしれない。でも同時に国が潤うほどの効果も期待できる。
ドイツは多くの移民を受け入れながらも経済は順調。国民の平均年齢も若さを維持。逆に移民に消極的なハンガリーなどは高齢化が進んでいる。この辺は日本も同じかもしれない。
ポーランド政府は墓穴を掘りました。たとえ危険なワグネル兵が混じってる可能性があったとしても殺到した難民たちに根気よく人道的に対応すべきでした。それがあのような強硬手段に出たために自国を貶める結果になったのです。
この映画の撮影自体が政府から目をつけられて大変だったようです。まさに本作の活動家たちのように。政府からの圧力のために撮影はすべて私有地の森の中で撮影して24日ぐらいで全てを撮り上げたようです。そして映画公開にあたっても政府からの妨害があったそうですが逆にそれが宣伝効果となり国内で大ヒットを記録したという。この映画のおかげかわかりませんがその極右政権は退陣したとのこと。
ロシアのウクライナ侵攻後にポーランドは多くのウクライナ人を難民として受け入れていたにもかかわらず、裏ではこのような行為が行われていたことに驚きました。難民も白人が優先されるということなのでしょうか。本作撮影時にウクライナへの侵攻が起きて、あのエピローグは急遽追加撮影したそうです。まさにポーランドのダブルスタンダードを皮肉るために。あの活動家の女性が若き国境警備隊員に思いきり皮肉を言ってましたよね。
EUは2015年の難民危機を乗り越えました。これからも加盟国同士で協力してうまく乗り越えていくと信じたい。そうすればロシアが行う人間兵器は無力化されるのです。
映画はかなりショッキングな内容でモノクロということもあり「シンドラーのリスト」を見た時の衝撃を思い出しました。まさに難民はユダヤ人そのもの。そして難民を迫害するのはナチスではなく移民問題に対して見て見ぬふりをしようとする人々の無関心なのかもしれません。
私も募金するくらいしかできない、ただの自己評価を上げたいだけのリベラルを卒業できないでいます。劇中、ユリアの協力を拒否した友人の姿が自分自身の姿とかぶってしまいました。
本当に素晴らしい映画でした。上映規模が少なすぎるのが残念です。けして楽しい映画ではないけれど「マリウポリの20日間」同様今見るべき映画でしょう。
GREEN BORDER 緑の国境
難民を送り込まれる側の立場も理解できる。
それを見越して送り込むとは。
エピローグ ウクライナからの難民。
その対応の違い、観るのがとてもつらい。
中東やアフリカからの難民 人種・見た目ばかりでなく異教徒というのも大きいんだろう。
国を捨てて逃れてきた人たち。
国を追われて逃れてきた人たち。
何十年も前の話でなく今現実に起こっていること。
救いは若い人たちと、体勢側にも力になってくれる人がいるということ。
GREEN BORDER良いタイトルだと思うけど。
《 人間兵器 》にされるなんて、全く想像して無かっただろう。 【ポ...
《 人間兵器 》にされるなんて、全く想像して無かっただろう。
【ポーランドとベラルーシの国境】
ポーランドと東の隣国ベラルーシの境界は、野原・森などの中に人為的に引かれたまっすぐな線(人為国境)と川の流れに沿って蛇行する線(自然国境)から成る。映画『人間の境界』の舞台は、ポーランド・ベラルーシ間の森林に隠れた国境線とそのポーランド側周辺地帯である(第1章冒頭とエピローグを除く)。
2021年の移民危機以後、自動車での国境越えは大幅に制限されている(物流・旅客各1地点)。いずれにせよ、『人間の境界』に描かれているのは、そうした正規の通関手続きを経ての国境越えではなく、ベラルーシ国境警備隊が意図的に開けた抜け道を通っての非合法な越境とポーランド国境警備隊による押し戻し(プッシュパック) である。
映画は俯瞰で緑の森林を写したカラー映像で始まり、原題の『Green Border』(緑の国境〔地帯〕)が白色のフォントで現れる。すぐに色彩が反転して、森林 はモノクロに、タイトルは緑色に変わる。表題は、森林 の中に人為的に引かれた直線の国境を指している。
『人間の境界』の難民たちは、(国境検査が不要な)「緑の国境」がある世界を目指して、ベラルーシ政府が意図的に設けたポーランドとの(国境検査を無化した)「緑の国境」を越える……。
↑HPから一部引用
いかに自分が何もわかってなかったか…
シリアからベラルーシ経由でポーランド?地図で確認してしまいました。
家族はスウェーデンに逃れたいだけ
別にベラルーシでもポーランドでもない、そのどちらの国にも難民申請するつもりはなくて、通して欲しいだけでもダメなのか。
戦禍を逃れたら安全どころではない、あんな氷点下の雨風凌ぐ屋根すらない中で何日もとどまらせられる。
彼らの足の裏は硬くひび割れしている、その画だけでも置かれた状況の悲惨さがわかる。
国境警備隊って、軍人って戦争以外にもあのように人を痛めつけるのか。
もちろん何万人もの他国からの難民が来たら、と思うとハイどうぞ、どうぞとは行かないのかも知れない。でも、スウェーデンに待つ叔父の家にも行けないのか、何故あんなひどい扱いをされなければならないのか。
現実が恐ろしすぎた。
そして活動家と勇気と行動力はすごいと思った。
ようやく国境を越え、道端で車を待つ家族に温かいパンを渡す一般市民…何かしたい、でもそんな程度のことしかしないのはきっと私も同じかも…
安全で快適なところから、UNHCRに寄付をするくらいしかできないのだ。
【今作は、2021年シリア、アフガニスタン難民等に行われたベラルーシ政府による赦しがたい非人道的な政策に依り、ポーランドとベラルーシの国境で起きた出来事を描いた作品である。】
- フライヤーにある通り、2021年、ベラルーシ政府がEUを混乱されるために、多数の難民を受け入れる振りをして、ポーランド国境へ移送する。だが、ポーランド政府は受け入れを拒否し、彼らを強制的に送り返す。結果、国境で立ち往生する事になった難民の苦難をポーランドのアグニエシェカ監督が、迫真のタッチで描き出した作品。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・何の罪もないのに、ベラルーシの企みの犠牲になったシリア人の六人家族の姿が観ていてキツイ。
- ベラルーシの空港に着いた彼らは手配された車で親族のいる北欧を目指す。しかし、ベラルーシでは兵士に、ポーランドでは国境警備隊に捕まり、両国を強制的に言ったり来たりするうちに、バラバラになって行くのである。-
- 1番可哀想なのは、男の子が底なし沼で溺死するシーンである。-
・一方、彼らを支援するために立ち上がった活動家たちの姿も交えて描かれる所も、見所である。活動家たちも一枚岩ではない所にリアリティーを感じるのである。が、命掛けである事には違いない。特に精神科医でもある女性の行為には、敬服する。-
・ポーランド国境警備隊員への、洗脳的な教育シーンも恐ろしい。
・ポーランド国境警備隊員が、死体をベラルーシ側に放り投げるシーン等は"難民の人間性をどう考えているのだ!"と脳内に怒りがわくが、一方では人間性のある男が懊悩する姿も描かれる。彼は難民の入国を見て見ぬ振りをして、難民をポーランドに入れるシーン等。-
<半年後、ポーランドに来たウクライナ難民をポーランド国境警備隊(懊悩していた男に対し、女性隊員が言う言葉が印象的である。)が温かく迎えるラストシーンに、アグニエシュカ監督の意図が垣間見得る作品である。
それにしても、ベラルーシ政府が行った"人間兵器"としての意図的な難民受け入れは、赦しがたい所業である。>
(オンライン試写会は関係なくネタバレ扱い/関連知識含)この映画の背景となる知識には鑑賞前に目を通したほうが良い
今年159本目(合計1,251本目/今月(2024年4月度)33本目)。
(前の作品 「ヘレディタリー 継承」→この作品「人間の境界」→次の作品「マリウポリの20日間」)
初夏を思わせるこの時期にオンライン試写会に招いてくださったfansvoiceさまに感謝を。ありがとうございます。
さて、この映画は分野的には「映画」であるし、toho系での放映の予定のようですが、その中でも「あえてどれにいれるか」なら、実際にはドキュメンタリー形式ではないものの「ドキュメンタリー映画」ということになろうと思います。
日本では、ロシアのウクライナ侵攻にかくれてこの「ポーランドとベラルーシの国境問題」が報道されることがきわめて少なく、このことを理解するにはかなりの知識量が必要です。幸いにも「クルド人」という語からある程度「ひもといて」見ることができるのは、ひごろから外国人問題に興味関心をよせる一人の行政書士の資格持ちという「地の利」なのだろういうところです。
ドキュメンタリー映画なので「映画という映画」のストーリーがあまり存在せず、「各自で考えてね」という作りになっています。また、当該国ほかでは日本の戦中戦前のように「検閲」が残る国もあり、さすがに「これじゃ放映できない」ということでやり直しを命じられ、この映画で放映されるほどソフトに「作り変えて」放映できているというのが、この問題の根深さといったところです。
かなりの知識を要する問題ですので、説明も入れました。
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(減点0.2/見るためにかなりの知識を要する)
おそらく、高校世界史あたりでは無理で、日本で外国人問題といえば行政書士の取次がありますが、実際にポーランド・ベラルーシのこの問題を扱うわけではなく(そんな場所に事務所を構えるわけではなく)、かなりの知識を要する映画です。換言すれば「NHKなりニュースなりにいくらアンテナをはっているか」の勝負になっている部分がどうしてもあります。
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(減点なし/参考/この映画の背景)
▼ ベラルーシについて
ベラルーシは外国人(移民)受け入れが一時期盛んでした。この中には、いわゆるクルド人も含まれます。一方で、ベラルーシは「欧州最後の独裁国家」と称されるように大統領がいて、その大統領の考え方一つで次々に政策が変わっていき、「移民を利用して事実上の領土を広げよう」という考え方をもっていました。また移民(特にクルド人)も「真の自由が欲しかった」(ベラルーシは受け入れだけは盛んだったものの、国として成立するのか怪しいくらいに経済力が貧しい)事情があり、ポーランドを目指すことになります。これがこの映画の「ポーランド」の意味ですが、ポーランドを経てドイツ(ドイツは移民に対してはきわめて寛容な国として知られる)を経るという構想が一般的でした(ドイツはポーランドを国境で接しているため、ポーランド経由でないといけない)
▼ ロシアとベラルーシの関係
ロシアを西洋の国扱いとするかは難しいですが、地理上、北側に存在するロシアにとっては、ヨーロッパに近い国にロシアの「親ロ(=ロシア)国」を作っておくことはロシアにとっても好ましいことで、また独裁で知られるベラルーシはヨーロッパから経済制裁を受けてもロシアという大国から多かれ少なかれ援助が得られるという事情もあり、この2国は基本的に「仲良し」です。これが、この問題で起きた事情にロシアなどの大国が介入していない「もう一つの」理由です(もちろん、ロシア・ウクライナ戦争が勃発していた中では、ロシアはそれどころではなかった、というのも理由)。
▼ ポーランドの考え方とベラルーシの考え方
ポーランドも、真に困っている難民までも排除するという立場に立っていません。実際、ポーランドも第二次世界大戦以降、いろいろな紆余曲折を経た国だからです。しかし、ベラルーシが難民を「募って」(ここでは、クルド人等を指す)一気にポーランドに「攻め入る」(=国境を超えるような行為をする)のは、もはや領土侵犯でもあり、それには強く対抗したという事情もあります。これが映画で描かれている事情です。
一方、それなら最初に招いたベラルーシが責任を取ればよいのではということになりましょうが、決して豊かな国でもないベラルーシで、そもそも「不純な目的をもって」募って「ポーランドの国境を破ってやろう」などと考えていたわけですから、失敗したら救助しますよということにならず、映画のように「どちらの国からも見放される」という悲劇が起きてしまったのです。
日本ではクルド人問題といえは一部の地域に多く住まれており、中には過激な行為を取る方もいらっしゃいますが、それは「クルド人全体が危ない存在だ」ということを意味「しません」(このことは「クルド人」を「何人(じん)」に置き換えても成り立つ)。日本から見たときには2つの国の領土問題争いとして描かれているこの映画ですが、日本にも適法に在住している方も少なくないクルド人問題を描いた作品ということで、この点にアンテナを張っている方にはおすすめです。
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