悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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税金に頼る事業の胡散臭さ
ここの解説を読んだが、逆説的と書いてて笑った。逆説ではない。作中鹿の話が出てくる。追いやられた鹿は何処へ行く?都会の人間は「どこかへ行く」と無責任だ。ここが本質なんだと思う。彼は悪人ではないが、それを悪い事とも思ってない。鹿は比喩であって何にでも当てはまるだろう。日本人をないがしろにした移民問題や、自民党の裏金だってそうだ。
補助金目当てのグランピングにしたって、去年から問題になっている東京都のいわゆるColabo問題と一緒で当事者(映画では村人、Colabo問題では貧困女性自身)は関係なく税金目当ての事業にすぎない。電気代の再エネ賦課金の値段を上げるためのメガソーラーにしたって自然破壊をしているだけだ。でもそこに悪があるわけではない。ただの利己主義だ。個人の価値観、多様性なんて言ってる人で、そのことに疑問を挟むと反発する人達が一番やっかいなのだ。
物語りきる撮り手の責任。
広げた風呂敷を畳む責任が撮り手にはある。
畳まず寧ろ尚広げて幕、なんて。
序盤から読めない展開で、
遂に意外なキャラに焦点が当たり、これは!と乗った。
中盤の薪のシーンのアレで突如幕なら傑作だったろう。
以後全部不要。
繰り返す。
注目の監督よ、物語りきる責任の再考を。
面白いけど分からない
東京近郊の山間部にある町が舞台。
始まって暫くは美しい自然の中の生活が淡々と描かれる。ちょっと退屈になってきた頃に、山にキャンプ場を作る計画を企業が持ってきて話が動き始める。
計画通りにキャンプ場を作りたい企業と、不安にかられる町の住人、間に立たされる担当の社員2人。
ここからの展開が面白い。特に会話が秀悦だ。また、少し間延びした感じの編集が不安感や不信感を増していく。
展開や人物像が多層的になって、惹きつけられていく。
しかし、訪れるラストシーン。その意味が僕には分からなかった。良い悪い訳ではなく、自分の理解できる範疇を超えてしまった。意味が知りたい。興味が尽きない。
それも含めて、かなり面白かった一本。
森に見られてるって事か…?
#悪は存在しない
とても、哲学的な映画で、この映画を観た人と話してみたくなる。
ミニシアターで鑑賞、珍しく20代、30代の若い人が多くて、場内いつになく活気を感じました。
「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹さん原作にしてはとても分かりやすい、観やすい映画でした。
この映画も、不穏なものを感じながらも、出だしから流れに乗って、没入できました。
で、ラスト。
日本映画での置いてきぼりは、なかなかなかったので、おー、私は、巧さんのこと何もわかっていなかったのね、と衝撃を受けました。
いやいや、でも、巧さん。
父親として見た時、たいがいにせーよと思うこと、花ちゃんにめちゃめちゃしてますよ。
自然の使者のような顔して、他者を断罪していいのか?レベルの。
もし、これがSF映画で、実は巧さん、アンドロイドでしたーというオチがあった方が、私は救われた気がします。
どんな大義名分があっても、話し合いもなく問答無用で、異なる価値観の人を排除する人間が増えていくなら、私は自分を表現することが怖くなります。
けれど、同時に、その中でも、自分らしく生きていきたいなと強く思いました。
この映画を観た後、ロビーで15分ほど、隣席の大学生と感想を共有しました。
私のザワザワした気持ちも落ち着きました。
濱口監督の作品をいくつか勧められたので、それらを今度観ようと思います。
悪は存在しない
ラストシーンが意味不明。どう解釈したらいいのか? 映画みてしばらくたっても、心に残るというのか? 忘れられないというのか? こんな映画はあまりない。何だったー そしてすっきりしない
映像は美しく、詩的ではありました。
みな死ぬまで生きていく
花は生きていた。高橋も生きている。だが母(妻)はいない。
薄暮のような夜明けのようなあのシーンは、すべて巧の、後(のち)の夢である。
ゆらゆらと立ち上り循環する水のように、
時間はかならずしも一直線に流れるわけではない。
矢負いの巧・花親子の傷を癒すバランサーは意外に黛さんかもしれず、
たとえば5年後、あのベランダで、いっしょに夕日をみているかもしれない。
ああ、観賞後数日してようやく回せましたよ私のカメラ……おいっ 濱口さんっ!
とても面白かったです
問題のラストをどう捉えるか、人それぞれ違っているでしょう。
私は、希望が欲しい気もしつつ、感じ方としては『怪物』と同じで悲しい最後です。
淡々として見えていましたが、巧の抱えていた闇は想像以上に大きかったのではないかな、と思いました。
どんより残る
途中からストーリーを追うのをやめた。映像や音、切り取られた人や会話のテンポ、雰囲気からタイトルに込められた善悪の存在を考えた。
自然に善悪を感じるのは、人が自然とは別のものとして自分を認識したときからはじまるのだろう。
共生という言葉も都合のよい言葉だろう。
「問い」をもらう映画は久しぶりだった。
結末(答え)は存在しない
ネタバレなのかどうかは分かりませんが、自己解釈はあるので鑑賞前情報を入れたくない人はご注意を
濱口監督作品なのに大阪ではナナゲイとシネヌーヴォしか上映していないのでちょっと出遅れての鑑賞でした。
相変わらず予備知識は全く無し(強いて言えばタイトルが先入観になっていたかも知れない)で鑑賞しましたが、面白いというよりメチャクチャ引き込まれました。
でラスト、ひょっとしたらこれで終わるのか?と予感した途端にエンドクレジットが流れ出しました。
見ていた誰しもが突然に家から放り出された様な、そんな茫然とした感覚になったと思います。特に、映画には起・承・転・結があるものだと疑わない一般観客は目が点になって劇場を後にしたのでしょうね。
まあ、起承転結は有るには有ったのだけど、見方を変えると起・起・起・結だったかも知れないし、起・起・起・起だったのかも知れない様な構成でもありました。
本作は見ていて大雑把に四部構成だったので、その切り替えが非常にトリッキーでもあり、自分が何を見せられているのか分からなくなりつつ、何処に向って行くのかの興味だけは肥大して行く感じですかね。
あと台詞の全てが伏線の様な役割があり、前の台詞の一言一言を思い出させるシーンが次にちゃんと用意され緊張感を煽っていました。この辺りも非常に技巧的だと思え、ある意味サスペンス映画の様な錯覚に陥るのですが、それがこの物語のテーマと嚙み合っていない様にも感じられて、作り手に翻弄されている様な気分にもなりました。
でも、シンプルに見ると本作は“自然対人間”のお話であって、タイトルも厳密に言うと『自然には悪は存在しない。悪は人間だけの概念である』という事だと思います。
四部構成と言いましたが、起の一部がプロローグで“自然vsそこに生きる人”(自然と人との共生)を描き、承の二部がグランピング説明会で“そこに生きる人vs侵入者”(正vs否又は善意vs悪意)を描き、転の三部ではいよいよ善悪の闘いかと思いきや説明者の本音が語られることにより善VS悪の予想が裏切られ(理解VS非理解)という展開にとなり、結の四部では今までの二部・三部の展開が無かったかのように、一番自然に近い人である娘の迷子からの結末に至る。そして、最後のシーンが何だったのか?という謎を残した(説明を拒否した)まま映画を終わらせている。
早い話、最後は観客である貴方自身で考えて(感じて)下さいという事である。
面白い面白くない・好き嫌いは別にして、これが濱口竜介監督の映画なのだという事が理解出来たらそれで良いのだと思います。
で、私の感想は非常に面白かったがテーマ(自然と人間の関係性)やポスターにあるコピーの「これは、君の話になる-」に対しての答えを見つけたいとは思わなかったかな。
追記.
家に帰ってから感想を書き始めて思い出したのですが、この子役の写真が誰かに似ているのを思い出した結果、ロシア映画『草原の実験』('14)の少女でした。(フォトギャラー参照)
そこで、更にあの映画のラストと本作のラストって、ひょっとして似ているのかも知れないという気もしてきました。
片や“自然”片や“核爆弾”の違いはありましたが、人間が相手にできないモノに対して同じ運命を辿った様な気がしてきました。
真実は人の数だけ存在する
「ドライブ・マイ・カー」を、そんなに好きではないけれど、終始退屈せず集中して鑑賞して観た者です。話題になっているけど解説やレビューではどうにもイメージが湧かず、自分の目で観に行くことにしました。
環境問題が題材かと思えばそうでもなく、誰かの立場に立って反対勢力を糾弾するものでもなく、淡々とした雰囲気がリアルだなと思いました。でも大音量のBGMが急に消えたり、効果音がバーンと始まったりと場面の切り替えが派手で、自然や田舎暮らしの情景の映像がやたらと美しかったりするので、静かでも退屈せず集中できます。
悪は存在しない、というタイトルのとおり、絶対悪や絶対善などというものはなく、みんな自分の都合で自分で優先順位をつけて生きていくしかないなぁと思いました。自分で決めるのが怖いという人が、なんやかんやと後付けで理由(言い訳?)をつけて後ろ盾にするんだろうなと。
ラストはある程度想像していましたが、想像を超えるレベルでした。監督に「あとは自分で考えてね」と言われたような気分です。
何事も白黒はっきりさせたい方はイライラするかもしれませんが、人間の不条理を面白がれる方には一見の価値あり!の作品です。
映画館で見て良かった
あまり、良い意味ではない。家で見ていたら、チャンネルを変えるか早送りしてしまっただろう
いわゆる悪の裏にもある事情や立場があり、悪が存在しない事を、表現したかったのだろうか?
だとしたら、世の中にまみれてしまった身として、個々のキャラクターが抱える事情や立場に感情移入してしまえるものの、その時感じた自身の悪意を
思い出してしまい、悪は存在しないとは思えなかった。
監督が意図しているのは、そんな簡単な事で無く、一周回って、その悪すら許されるべきで、存在しないといいたいのだろうか?
いろいろ、考える作品は好きだけれど、自身が答えにたどりつけなかった自分の力不足を棚に上げ、答えにたどりつけなかった作品の評価を低くするのは、お金払って映画館にいたのだから、悪では無いと思う。
"悪があるから善がある"と言うならば
あっ…!上から下へ流れる
東京組にキャラクター性を持たせることで、現代社会に生きる私たちの相手への配慮に欠けた無関心な言動=他ならぬ暴力を浮き彫りにしているようだった(そこの社長やコンサルが如何にもな権化だったが自分は"普通"と思っても)。そして、やはりそれらも個人の気付き次第で、"100も1から"といずれより多数へ流れていくのだろうか?
リアウィンドウから撮られた映像。そして、劇伴が途中でブツ切りされるのは勿論、様々な"音"も印象に残った。
あまり進んで喋るタイプでない、濱口監督らしい淡々飄々とした感じの主人公に、説明会シーンから東京組が入ってきて喋り会話量がどっと増える印象。飾られた写真でしか出てこない主人公の奥さんや明かされないバックグラウンド然り曖昧さがある一方で、東京組は車中シーンでベラベラと喋るし、何なら(少なくとも表面的には)主人公たちより彼らの方が共感性が高い描写がされていた。それはまるで自然と現代社会に汚染された個人(観客)という縮図のようだった。
あらすじになるようなメインのストーリーライン以外にも色々な要素を盛り込みながら、最後は観客に解釈を委ねるような曖昧なラストへと流れていく。例えば、この導入プロットで自分が作ったら、あのまま東京組が乗り込んできた当初の目的は果たされて、地元が大変なことになる…なんて表面をなぞっただけの薄っぺらなものになっていたかもしれない。けど、無論そんな想像からは違った。その中で、皆知らず知らずの内に暴力を振るっているということを考えさせられた。
思ったより断然笑えたし、自分の中でまだ咀嚼しきれておらず考える時間が必要だけど、すごい作品だなと感じる。
このなんとも言えない濱口的後味(笑)
ドライブマイカーは本当に作り込まれた映画だった
反面
濱口監督こんなスタイルもするのねー!っていう
ワンカットワンカット、なんか分からないんだけど、退屈せずにみれてしまう感じ
濱口監督の絵は不思議なもんだねぇ
不安をあおってくる劇伴
さて、渋谷に行くのが嫌すぎて(苦笑)見て見ぬふりをしていたわけですが、やはり濱口監督作品を無視することはできずに公開からようやくの3週目、サービスデイにBunkamuraル・シネマ渋谷宮下へ。このシアターは初来館の私、渋谷TOEI時代も入ったことがなかったので、ちょっとドキドキですwなお、公開から時間が空きましたが、毎度の如く前情報なしで挑みます。いつも聴くラジオ番組の映画評も、このレビューをアップするまではオアズケです。
で、始まって早々に気が付く「何、この劇伴。。」何となくですが不安をあおってきます。なるほど、このレビューを書くのに読んだ情報でようやく気付いたのですが、この映画、音楽を担当する石橋英子さんとの共同企画だったのですね。兎に角、音楽が鳴り始めると「何か起こるのでは?」と不安を感じます。そもそも題名がこれですから何も起きないわけがないだろうと想像の相乗効果で最後まで目が離せません。そして後半に案の定「事」が起きるのですが、起きる少し前、物語り中でも一番緩くちょっと可笑しく劇場からも笑いが起きていたのに、、という意地悪な展開により一層のショックを感じます。
観終わって誰しもが考察したくなる終盤に起きるそのことは、その少し前の会話に鍵があることは誰しもが気づくと思いますが、考えれば考えるほど実はあれもこれもが伏線に思えてきます。どんな質問にも簡潔に答える巧(大美賀均)が明言しないことにどんな意味があるのか、しっかり鑑賞者に考えさせる余韻を残してくれています。そして、何といっても作品のベースになる話(グランピング場建設計画)自体が興味深く面白いし、思いのほか為になることも重要な点だと思います。これも後で知ったことですが、銀獅子賞以外に受賞している賞の種類・幅にもなるほど納得です。
キャストの何人かは「見たことあるけどお名前は…」という方もいらっしゃいますが(衝撃の最後でクレジットを確認できませんでしたが、丘みつ子さんがいらしたと思います)、いわゆる「有名な方」が出演されていません。そんな中でも高橋を演じる小坂竜士さん、滑稽で最高です。状況に応じて器用そうに振舞っていますが、実は往々にして脊髄反射している部分など案外身につまされますし、ついつい苦笑します。
かなり好みの作品で、踏ん切りをつけて渋谷に来た甲斐がありました。何ならもう一度観たいくらい。満足です。
拓は、鹿だった。
悪は存在するし、しない。
どこに視座をおくのかによって、その解釈は人も動物もそれぞれ。
結局のところ拓は、鹿だったのかもしれません。
私たち人間も動物も同じで、それぞれの価値観の基で生きており
悪はそもそも存在しないし、善も存在しない。
ならば、そもそも悪ってなんだろう?善ってなんだろう?とまで思考が及びます。
現社会や実生活を取り巻く状況を見つめると、人間って実に身勝手な生き物だと感じます。
濱口監督の映画は、フレーム外でキャラクターとストーリーが生きている。
オーディエンスに思考を巡らせる。
こういう意図と目的を以て、この本を書き、あの映像を仕上げる。
濱口監督は、天才だと思います。
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