零落のレビュー・感想・評価
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美しさと抜け出せない孤独と、表現者としての苦しみと
監督としての竹中直人というと、かつて『東京日和』で魅せた柔和さに微かな哀しみを織り交ぜた感触が忘れられないが、今回の作品は変わらぬ映像美を持ちつつも、全編を通じて張り詰めるような心象風景が胸を侵食していく。主演の斎藤工はこの精神状態をずっとキープするのにさぞ苦労したことだろう。というのも、本作の主題には「表現者の生き様」と直結する部分があるからだ。ひとつの作品を終えた虚脱感をいかに克服するか。大衆が望むものと自分が追究したい芸術性との落差をどう埋めるか。葛藤というより無限地獄に等しい産みの苦しみが横たわり、いちばん近しい人に最も辛く当たるなど、表現者としてと言うより人間として堕ちていく姿が生々しい。斎藤も竹中も、娯楽系とアート系を自在に行き来する表現者であるからこそ、彼らがこんな作品を作り上げることにフィクションとはいえ興味深さを禁じ得ない。それにしてもどよーんとしてしまう作品ではあるが。
産み出す人の孤独
凡人には体験し得ない孤独と葛藤を垣間見させて頂きました。
産み出す作品と主人公の生きる現実=嘘と本当?(それとも本当と嘘?)が、主人公の深層の裏と表なのか、それとも表と裏なのか。
裏との世界を泳ぐ風俗嬢が持つ純粋さと、仕事を離れた後の元アシスタントの醜悪さも対比も秀逸。
その後、主人公はどう生きて行くのでしょう。嘘の中でうまく泳ぎ続けるほど、器用ではなさそうだった。気になります。
「落ちっ放し」という訳でもないけれど…
作品が売れている間は、アシスタントとの関係も良く、あまつさえ、自分の担当編集者とも結婚してしまうほどの「人生バラ色」だったようですけれども。
しかし、人気の連載が完結し、次が続かなければ、たちまちそれらの関係性が崩壊し、風俗漬けの自堕落な生活に陥っていく…。
その「脆(もろ)さ」を描いたということなのだとは思いますが、そこには「表現者(=クリエイター)」としての苦悩もあったことと思います。
ある意味では、常に「無」から「有」を生み出し続けなければならないのが、表現者(=クリエイター)の宿命と、評論子は思います。
風俗嬢と客とが、こんな関係性を築くかは別論として、それなりの関係性を築いていたちふゆには「宇宙飛行士ではない何か」としか明かさなかった自分の職業を、そこまでの関係性を築いていない後の風俗嬢には「漫画家」と明かしたということは、妻やアシスタントとの破局を乗り越えて、自分が漫画家(表現者=)という職業を人生の生業として選び取ったという現実をを、ちゃんと自分の中に受け入れたということなのでしょうか。
それなりの良作ではあったと思います。評論子は。
(追記1)
「犬は人(飼主)に懐(なつ)くが、猫は家に懐く」とも言われますけれども。
ちふゆの「猫目」は、一見すると人(相手)に懐いているように見えて、その実は、客には懐くものの、客である人そのものには懐かない(素性=陰の部分を他人には見せない)ことの象徴だったように思えてなりません。評論子には。
(そういうところには行ったことがないことに、一応なっているのて、評論子には、しかとは分かりかねますけれども。)
(追記2)
光の使い方が独特だなぁと思いました。本作は。
昼間のシーンでも、あえてカーテンを閉めて、光量を制限する。
人物を、あえて逆光気味で撮る。
それでいて、夜(風俗嬢と過ごすラブホテル)のシーンの明るさ・鮮やかさ。
深澤の鬱屈した心理の描写としては、活きていると思いました。
秀でた才能の在り方
2023年劇場鑑賞21本目 傑作 75点
鑑賞した時よりも評価を上げている印象深い作品
才能に長けた人は他人に理解や共感が得られづらいとはまさしくこの事で、仕事仲間やファン、古い知人からはある種煙たがられる対象で、仕事仲間は斎藤工の才能にリスペクトしている様で、本当の意味でついてきている人はいない様な感じで、どいつも自分の位置や金中心で、面構えよくして利用しているだけの様な感じで、ファンもいかにも日本の現代ファンという感じで、所謂にわかファンと言うか、トップチャートのエンタメばかり搾取している傾向にある日本人の体質が本質や本音の部分まで覗こうとしない、この感じを世間から見て良い時と割るときの斎藤工とそのファンの関係でよく描かれていた。
古い知人は、いったら一番斎藤工と親しいだけあって、本質をついている残る言葉を放っていて、漫画を描き続ける限り、ずっと一人、誰にも理解されないみたいな言葉と、その時の印象的な猫目の眼差しが混合して、脳裏に刻み込まれ、事あるごとに思い起こすされるのが、斎藤工にとっても、鑑賞している我々にとっても印象的でした
こと日本映画にしても、昨今配信時代になりセリフがなく絵変わりしないと10秒スキップするような風潮があるらしかったり、現代人はセリフでしか情報を得れない弱者が増えてしまったらしく、それ対策じゃないけど演技や撮り方、間などで観客に伝えるような手法が減り、何でもかんでもセリフ偏り型が年々増えています
監督も脚本家も仕事もらえないと食っていけないし、名前も廃れていってしまうので、どうしても消費者に媚びないとやっていけないので、そうせざれおえない現状があります
この現状も今作の斎藤工に通ずるところがあるので、何かを生み出す人をリスペクトし、探求し追いかける人々は、ちゃんと本質を見抜木、消費者も本物にならないといけないと、今作を通して改めて思いました
素晴らしい作品です
是非
彼はホントに○○なの?
長期連載が終わり、理想とする作家像が強すぎて新作が手つかずスランプに陥る漫画家の話で斎藤工が不器用な人間像を表現していた。
漫画だけでなく、流行り廃りの入れ替わりが早いエンタメの世界の厳しさを痛感させられる内容だった。
なんだかちょっと共感できる。
彼は、理想を持ちながらも形に出来ない自分に対して酷く苦しんでいたようだ。
わかってもらえる人に届けば良い
というのは作家のエゴだろうか。
確かに、出版社も冒険作品にリスクを抱える余裕はない。
漫画を手にするのは結局バカしかいない、とどこかで嘆いているのか。
結局バカでもわかるもので量産されていくのがエンタメの基盤の支えなのか。
命を削って書こうが、購入層に響かなければ意味がない。
知名度がなければ刺さるかも知れない購入層に届かない。
大衆の迎合に流されることも
いっそ漫画家をやめる勇気もない。
ジレンマの中で彼は苦悩する。
吉沢悠演じる同級生が、子供がいる家庭の父親という主人公とは対比の役で出ていた。
せっかく褒めても不貞腐れるし、
近くにはいて欲しくないタイプかな。
でも、最後まで彼は終わっていないと思う。
救いは以下の3点。
・人を惹きつける画力はある
斜陽とはいえ、それなりに前列に置かれているので、やはり書店からも認められてるということ
新作が出たらそれなりに注目はされる。
・どんな風俗嬢でもきちんと受容れるところから、職業や立場から下に見たりしようとしない。
責任のない愛には興じることができる人間らしさ
・ブタクサ言いながらも、他人の漫画には目を通して、大衆ウケが何なのかをきちんと把握しようとする姿勢。
彼は、果たして化け物なのかしら?
私にはそうは思えなかった。
ちょっと深煎りすると面倒な作家気質ぐらい。
女アシスタントや、売れる売れないで手のひら返すような編集者のが余程化け物に思えた。
地方の、百円で並ぶ古本漫画事情などにも触れていて、都会だけのエンタメ消費では終わっていないところが良かった。
漫画に取り憑かれた漫画家
業(ごう)と言うか?
煩悩か?
売れたい欲か?
つまりは強欲だな!
まず陰々滅々たる前半と、
晴れ上がった空のような後半。
ガラリと変わる。
冒頭からの暗さ、
(でも題字が凄く良い字で、
(続くのピアノ曲がとてもセンス良い、
(などで、心掴まれる)
漫画家・深澤薫(斎藤工)は8年連載した漫画が完結した。
燃えカス状態なのに、早く次作に心を切り替えようと
焦るほど、心も身体も言うことをきかない。
書けないと悩む私小説作家みたいな漫画をはじめて知った。
《零落=れいらく=落ち目、か?》
書けない悩みに七転八倒する漫画家・深澤薫は、
心底やな奴、ムカつく男。
本音で接するのは飼い猫のミーと、風俗嬢だけ。
しかしこの男、根っからの屑ではない。
風俗嬢を低く見ない、むしろ自分の欠落を埋める天使として敬意を払う。
風俗嬢のちふゆ(趣里)とのシーンはロマンティックだ。
で、後半、
お気に入りの風俗嬢“ちふゆ“の郷里に付いて行くことになる。
ここからは自然が生き生きと描写され、
風景が明るくなる。
「旅先」「毛虫色の電車」「私服のちふゆは子供みたい」
「ちふゆの昔話・・・100円の漫画本を毎日買いに行く幼なじみ」
深澤も心を開放して“ちふゆ“との旅を楽しむ。
ちふゆを演じるのは趣里。
OTOCOTOを読んでいたら、浅野いにお描く
「歓楽街に佇む、ちふゆ」の絵が載っていた。
自販機の前に立つ“ちふゆ“
中学生みたいな猫顔の幼ない娘。ネオンの灯。店の看板。
インパクトのある絵。惹かれる。メッチャ絵上手い。
プロだ、上手いのは当たり前だな。
趣里そのまんま、
(なんでこんなに女は足が細くなきゃダメなの?)
(と、キレかかる。
(少女しか愛せないおっさんかよ‼️
(ちょっとムカつく。
(そういや、脚フェチ映像・・多かったな・・
やっぱ斎藤工がスゲー良かった。
自意識過剰!!自己顕示欲の塊‼️
ナルシスト‼️自分勝手!!
漫画家のヒエラルキーは売れる順番。
読者人気アンケート31位。
そりゃ担当からも馬鹿にされるわ!!
売れたもん勝ち!!
1年半書けなくて、流浪して、ちふゆの郷里でちふゆの秘密を知って、
とうとうか?やっとか?
活力が湧いて来る。
踏ん切りがつく。
《俺は俺だー》
多分そう思って開き直ったんだよ!
「感動しました、泣けました」
と、サイン会でファンが言う。
「はい、馬鹿でも泣けるように書きました」
この台詞、言ってみたいだろね!!
多くの漫画家や作家、脚本家・・・の皆さん!!
「馬鹿を舐めんじゃねーよ!!」
監督の竹中直人はこの「零落」に惚れ込んで、
「映画にするぞー」と突っ走ったそうだ。
その熱が伝わって来る。
原作者の浅野いにお。
どんな絵を描くかも、作品も殆ど知らなかった。
映画化された「うみべの女の子」は良かった。
けっこうアダルト。
作風はひねくれてる。
いいじゃん、
ラストのイメチェンした藤澤薫。
斎藤工はメガネとど派手な服に変えたら、
成り上がりの成金にしか見えない。
《零=ゼロ=から這い上がった男になっていた》
その分、さらに、ますます、嫌味な男。
そこんところは観客にも全然媚びてなくて、
潔い。
好感持てない徹底的に、やな奴!!
(しかし、猫顔の女=玉城ティナの言う【化け物】は、
(ちと大袈裟‼️
監督(竹中直人)
脚本(倉持裕)
音楽(志摩遼平)
撮影(柳田裕男)
文学的なこの作品の良さを語る文章力は
私には無い。
全部がとても良かった。
としか書けない。
続く底辺
売れない、描けない、離婚、孤独、最愛の猫の死、
底辺だと思っていたその底は、
才能を偽り描いた漫画が売れることで、更なる底辺を作り出してしまった。
「バケモノ」と言われるくらい、世の中からかけ離れた才能を持ってしまったが故の苦しみなのか?
共感できない
深澤に全く共感できない。連載が終わり、自作のプレッシャーからの一時的なものであるにしろ、自分中心の考え方すぎるような。
奥さんとの関係も、自分の思いを一方的にぶつけるだけで、話し合いをするわけでもなく、きちんと話し合えば解決できそうなのに。アシスタントとも、まあ、後に漫画を出すことになった彼女の場合はお互い様な感じはあるけど、あまり誠意を感じない。
主人公の性格はいまひとつだが、役者さんの演技は、みんなそれぞれピッタリで良かった。
自由というのは不自由
ドロドロと重たいけど、説明風景や心象カットも多く、映画を観ているというより舞台を観ているような感覚。主人公がやさぐれてるけど、最後まで性根が変わらないのは、ある意味たくましいし、面白い。才能あるというのは恵まれてる。
斎藤工のやさぐれ感も良かったし、MEGUMIもすれ違いの奥さん役をうまく演じてて、なんか自分の知ってるグラビアアイドルたちがどんどん女優になってるは時の流れを感じたり(^◇^;)
ロケ地は横浜かな、大岡川沿いのちょい飲み屋街がよく写ってたし。黄金町や日の出町の風俗がアレと思われそうなくらいのリアリティw面白い
主題歌がよかった
特に何も起こらないけど、主人公が少しだけ前進できるような日常を描いた話が好きなのですが、主人公が最後まで一貫して拗らせ続けてるのが、なんだかなぁ…って感じでした。
売れ線を作るのか、作りたい作品を作るのかっていう葛藤はきっと、作品の作り手側の人たちには結構刺さる内容なんだろうな。
でも、結局本当の自分なんて一言で言い表わせるものでもないし、いろんな側面を持ち合わせていて、アカリさんが思うような「漫画家深澤」も正しければ、元カノの言う「●●●●」な部分もあるし、深澤が思う「本当の自分」だって自分が当てはめた自分自身のラベルに過ぎないわけで。
それを察してくれって言われても、まー難しいよね。
まーそうは言っても求めてしまうのが人間のエゴなんだろうけど。
だからこそ、お互いよく知らない同士で、自分の都合よく解釈できるちふゆとの関係が魅力的に思えてしまったのかもしれない。
まーでも、ちふゆにはちふゆの生活があるし、その時深澤に惹かれていた部分はあったとしても、いつか新しい生活を始めた時に、いつまでも自分の過去を知ってる人と繋がっていたくはないよね。
うーん、ちふゆとのひとときや奥さんやネコとの別れを超えて、何かもう少し救いのある方向に向かってくれたら良かったなぁ…
ただ、主題歌はこの作品の世界観や主人公の雰囲気とめちゃくちゃマッチしててすごくよかったと思いました!
どよんとした気持ちで迎えたエンドロールでのドレミは結構沁みた。
超久々の竹中直人。いいよ、救いがなくて。映画みてからおやすみプンプ...
超久々の竹中直人。いいよ、救いがなくて。映画みてからおやすみプンプン少しだけ読んで、なるほど。シン仮面ライダーからの、斎藤工連闘鑑賞。
たかが漫画家されど漫画家
2023年映画館鑑賞17作品目
4月9日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
原作未読
原作は『ソラニン』『うみべの女の子』の浅野いにお
監督は『無能の人』『119』『東京日和』『山形スクリーム』『ゾッキ』の竹中直人
脚本は『十二人の死にたい子どもたち』『ゾッキ』『アイ・アム まきもと』の倉持裕
長い連載が終了し次回作に苦しむ漫画家の話
編集者として忙しい妻に八つ当たりするわ元アシスタントと度々口論するわ贔屓のデリヘル嬢と一緒に彼女の地元に行くわ
でもなんやかんや時間はかかったが初心に帰り新作連載がスタートしそれはまた好評でパワハラ漫画家深澤薫は復活する
竹中直人監督作品とは知らずに観た
事前情報ほとんど無し
本人は出ていない
平凡な男性諸君には残念なお知らせ
この日は三本観たがいずれも性風俗絡みでしかも背中程度で乳首お尻ヘア無し
日活ロマンポルノとかじゃないわけだしスマホでいくらでもエグいのが観れる時代だから逆にいいかもしれない
女性俳優の腕の見せ所といえる
主人公が典型的な孤高のクリエイターで性格はかなり悪い
風俗嬢には宇宙飛行士と自称する
漫画原理主義だが漫画や漫画家という職業をディスり自分のサインには価値がないと宣う
妻よりも猫の心配をするクズである
まっ僕は猫好きだしわからなくはないが
猫目の女性には緊張するらしいがピンとはこなかった
クズだけど風俗嬢をチェンジしない点は好感が持てたがそういうシステムなのかもしれない
なんとなくだが深澤薫を見てたら久米田康治をイメージしたが久米田のサイン会であれだけの人が並ぶほどカリスマ性はないし女の子に生きる希望を与えるようなタイプではないのでいろいろと違った
趣里は風俗嬢の役だが髪型のせいかだいぶ雰囲気が変わったような気がする
ちなみに背中程度で本格的なヌードはない
ヌードになった作品に必然性はあまり感じられなかったが
それでもエロティシズムは表現できてるから良いだろう
新連載がスタートした深澤薫と通りすがりで再会し振り向く顔つきにもエロを感じた
上野駅から2人で田舎に行く件も好き
この作品のロケ地は主に横浜だがちふゆの地元も撮影場所は横浜だろうか
横浜にも田舎は存在するのかな
横浜も黒船が来る前は田舎だったらしいし
車のナンバーが透野になっていた気がするが実際は存在しない
髪の毛をピンクとか青とか奇抜な色に染めるとブサイクはブサイクが際立つがすぐにそれに慣れてきてトリビアの頃からそうだったかもしれないとさえ思えてしまう
MEGUMIはプロデューサーの一人としても名を連ねている
小池栄子の妹分としてグラビアデビューし生頭にタライが落ち「いでーよー」と本気で痛がりつつもバラエティーで活躍していた彼女も映画人として随分出世したものだ
山下リオが演じた冨田奈央はキャラが立っていた
彼女の当たり役といっても過言ではない
玉城ティナは最初の方と最後の方に登場
キャミソール姿で寝そべっているとき乳首が透けているように見えたがフェイクかもしれないしとても些細なことだ
この作品には全く関係ないが『キン肉マン』で千葉真一の息子にタメ口でハーフならではのノリかなと少々タジタジだったが玉城の方が年上だった
風俗嬢のゆんぼ役の信江勇の凄まじい腹が求肥大福のようで美味しそう
彼女はモビルスーツに例えるとゴッグだが腹の特徴からゾック的要素も感じた
デブ専にはたまらない逸材かもしれない
売れない漫画家が編集者に怒鳴られているシーンは可哀想だった
エンドロールのあとにちょこっとおまけあり
深澤薫が具体的にどんな漫画を描いているのか詳しい内容はわからずじまい
その点では主人公は漫画家でなく芥川賞直木賞をダブル受賞した新人作家が主人公だが『響 -HIBIKI-』に共通している
それは別に重要なことだとは感じなかった
観る側がそれぞれ勝手に作者像から想像すればいいだけであっていちいち事細かに説明するのは野暮である
レビュアーでお怒りの方はわからなくもないが映画監督は映画監督であり売れっ子漫画家ではないのでそこのところはご容赦願いたい
配役
根暗で毒舌な漫画家の深澤薫に斎藤工
深澤薫が熱を上げた風俗嬢のちふゆ(LINE名はユイ)に趣里
深澤薫の妻でのちに離婚する編集者の町田のぞみにMEGUMI
深澤薫が学生時代に付き合っていた猫顔の少女に玉城ティナ
編集者の町田のぞみが担当する売れっ子漫画家の牧浦かりんに安達祐実
深澤薫の元アシスタントで自身の漫画の連載が始まる冨田奈央に山下リオ
深澤の元アシスタントの近藤に土佐和成
深澤薫の編集担当者の徳丸に永積崇
肥満で小柄な風俗嬢のゆんぼに信江勇
なんかちょっと残念な風俗嬢のまりめっこに佐々木史帆
離婚の相談を受けた深澤薫の友人で妻子持ちの山石に吉沢悠
深澤山石平野とともに結婚式の二次会に同席していた加賀に菅原永二
深澤山石加賀と共に結婚式の二次会に同席していた平野に黒田大輔
深澤薫にインタビューしていたフリーライターの志磨遼平
フリーライターのインタビューに同席していた編集者の塚田に安井順平
深澤薫の大ファンでLINEで度々応援しているサイン会にも並んでいたアカリに宮崎香蓮
登場人物の誰に共感するかで感じ方が変わるかな。
落ちていくときの周りの人間との関係に苛立つことは漫画家でなくても、生きていれば理不尽なことに腹立たしく怒りのぶつけどころがないというのは誰でも有りうることで、それを表に出す出さないは人それぞれ。
それでも救いはある。救いを求めたくなるのは常、それでも自分自身が変わらなければ何も変わらず。
けれど個人的にはわからなくもないが、結局自分勝手な夫婦が互いに相手への思いやりが無いだけの話。口ではどうにでも言えるからね、
私には難しい映画でした。
開き直った人間が強いってのは嘘。
原作未読。猫目の女性に小さなトラウマを抱える漫画家の深澤。長期連載を終えるも、既にオワコン扱いされ上手くいかないことの全てを周りのせいにしてその空虚を風俗で埋める日々。そこで出会った猫目のちふゆ。
複雑な要素を詰め込んだ小難しい深澤に斎藤工。いやぁ、すごい合ってたんですけど、やっぱ隠しきれない色気が垣間見えちゃってましたね。なかなか計算高いちふゆに趣里。大学生の役なので大人っぽいかなと思いましたけど私服のシーンはかわいかったです。
開き直った深澤の逆襲。でも結局最後まで誰かのせいの中にいる自分から抜け出せない。ラストは意味深で色々想像できて良かったです。ただ私は全体的に長く感じてしまいました。山下リオ演じるアシスタントがだいぶ凶悪で面白かったです。
やっぱりあの娘は・・・
玉城ティナでした。MEGUMIや趣里、山下リオたち女優が最高。斎藤工くんも滝とか家康とかチョイ役でなく、クズや悪役にきちんと取り組んでほしい。全編自虐的な所が凄くイイ、竹中直人監督の画造りにもイイね! オープニングの単行本パラパラは出来ません。ラストの浜辺の二人のシーンは要らないかな。
ネット、SNS的な会話、だと波風たたない。世界が近づく
いまの社会
ネット内のSNS、LINE会話は、
感情むき出し無しの、逆撫でしない会話が続く
これが、コミニケーションの轍?
映画「零落」を見入っているうちに
現実社会の、会社、仕事場、学校、家庭・・・
怖いほど、こうなっていることに、気づかせてくれる。怖い!
自分を支えてくれるのは
誰だ?
だれの言葉を信じれば、受け止めれば、いいのか?
発せられた言葉を信じるの?
荒げる言葉を発する、ひとの行動を信じるの?
では、どうやっれば、人は、ひとを信じることができるのだろうか?
こんな状況下で
私たちは、次世代まで、生きていけるのだろうか?と、
不安を助長させた作品でした。
それにしても、斉藤工さんは
なんで、いつもいつも狂っているの?
素晴らしい当たり役だよね。
あ!それから、
猫目のデジヘルちふゆの趣里さん、凄い!
手塚治虫さんの作品に出てきそうな、不思議な子!だよね。
竹中直人版「悪人」
斎藤工さんの振り切った演技は素晴らしかったです。
身勝手な男を演じていたが、感想としては実は周囲の方がもっと怖かった。
周りが離れていったらお金で言うこと聞いてくれる人に寄り添うのも分からないでもない。
その中でも本当にいい人をさりげなくいれているところが救い。
そういうのって当事者だと意外と分からないものなんですよね。
人間臭い映画で非常に面白かった。
物を作る闇
竹中直人の映画は「無能の人」以来です。
漫画家に限らず、絵画や小説、物を作る人共通の悩みを
がっつり掘り込んだ映画です。
真剣に向き合えば向き合うほど他人を不幸にします。
プライドが高く傷つきやすい一番タチの悪い典型的なパターン。
それに絡む個人の思い出、、、早い時期に主人公のエゴを見切った女性像が猫目の女の子なんでしょうか。
出演者皆全力で良い仕事してます。
真っ黒い海のインサートが象徴的でした。
創作活動全般関わってらっしゃる方にお勧めです。
人間のきたない部分
あくまで個人的感想、考察です。
少しでも同じ感想を抱いた方がいると嬉しいです。
映画をそんなに見るほうではありませんが、非常におもしろく拝見しました。
人間のエゴや怠慢、傲慢、身勝手さ、そういったきたない部分が存分に描かれ、ハッピーエンドも特段ないのにも関わらず、満足感はある映画でした。
漫画家として没頭していた20代。
俗世との関わりがないがゆえに、主人公は他人との会話が下手である(空気が読めない、声が聞こえないときがある)ところや、流行がわからずそれを世間のせいにする(最新の漫画はおもしろくない)ところがあるようにみえた。
8年の連載が終わり、新作もすぐ着手できると踏んでいたが、中々できなかった。
その理由としては、アイデアは出るが、それは流行にマッチしていない(売れない)漫画になるとなんとなくわかっていたからだと思う。これまで周り見ず8年かけ抜けてきたが、ふと連載が終わり世間に触れたとき、彼自身は流行というものを分からないとしていたが、潜在的には理解していたように思う。今作は、この「潜在的」「つかめない不透明さ」がひとつキーワードであったと思う。
次第に主人公は焦りを感じ、遊びの延長だと言っていたSNSのコメントに焦燥感を覚えるシーンもあった。そんなとき”ちふゆ”との出会いがあった。ちふゆも主人公も、互いにどこかつかめないとこを感じるが、それがどこか心地よさもあり、次第に仲を深めていく。主人公にとってちふゆは「海」であったと感じた。今作、キーワードとして「水」もあったと思う。ちふゆに出会う前、何度か女子高生の映像もあったが、ひとつ印象的だったのは、ゲームセンターで女子高生を見たのち、傘の先端と床の接地面にできた(非常に小さいが)水たまりである。焦燥しきった彼はどこかやすらぎを求めていたが、女子高生は非常に小さな水たまりで支えるには値しなかった。しかし、ちふゆとのシーンでは度々「海」が出てきた。彼にとってちふゆは、海のように、世間を知らないばけものの自分をも包み込んでくれる存在だったのだろう。ちふゆ実家近くのラブホテルで事後、海に歩いていく主人公のシーンも印象的だった。
ただこの関係も長くは続かなかった。ちふゆが主人公の職を知ってしまったからである。漫画家=主人公の全てだった彼にとって、職を知られることは心地よかった不透明さが、全てさらけ出されてしまうのと同じである。
この後も特に明るいシーンはなかったが、ちふゆ(世間)との出会いは間違えなく彼を変えた。それは冨田が漫画をもってくるシーンで、素直にその内容をほめ、普通に会話ができているシーンで感じた。彼自身が中々掴めなかった世間を少しずつ理解しているように感じた(この後も冨田は相変わらずだったが笑)。またこれに加え、主人公は嫌いといいながらも売れてる漫画を度々読んでいたシーンがあった。つまり、流行を知ろうとする努力をしていたわけである。この結果最終的には、自分が書きたいものではないが、売れる漫画を書くことに成功する。
だから何かと言われればこれ以上のことは考察できなかったが、全体として主人公の世間を知っていく姿を人間みを含め描いていたこの作品はおもしろかったと思った。
とまあこんなことを書いてはいるが、作者に最後は「違うんだよ」と言われるかもしれない。
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