劇場公開日 2022年12月2日

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「ネタバレ厳禁! 養鶏場一家の闇を暴く、ジャッロの皮を被ったゴダール風プロレタリアート映画。」殺しを呼ぶ卵 最長版 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ネタバレ厳禁! 養鶏場一家の闇を暴く、ジャッロの皮を被ったゴダール風プロレタリアート映画。

2022年12月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

あまりにキテレツなタイトルのせいで、昔から名のみは知っていた。
ジャッロ映画一覧などを見ても、ひときわ異彩を放っているし。
だって「殺しを呼ぶ卵」だもん。「世界で唯一の養鶏場スリラー」だもん。
世界で唯一の闘鶏映画『コックファイター』を映画館で観た身としては、そりゃ気になります。

とはいえ、しょせんはただのB級ジャッロ(ジャッロとは、イタリアの猟奇サスペンス映画を指す呼称で、マリオ・バーヴァやダリオ・アルジェントの作品が有名。たいていマイ・ナイフをもった連続殺人鬼が出てくる)。
「伝説の」「幻の」というよりは、単純に「歴史に埋もれてほぼ忘れられた」作品だ。
それが一体全体どういう理由で、いまさらレストアされた挙句、リヴァイヴァル上映なんかされるのか?? 不思議すぎる。
暴挙であり……快挙だ。
小屋にかかる以上、ジャッロ愛好家としては、もちろん行かずばなるまい。
(いざ入ったら、なんか若者層で半分くらいは客席が埋まってたんだけど、どういうこと??)

一言でいえば、バランスの悪い映画である。良くも悪くも。
B級スリラーなのに、異様に難解だ。
B級スリラーなのに、やたら凝っている。
B級スリラーなのに、前衛の香りがする。

その割に、とんがった前衛性と実験性が、作品の価値を高める方向に機能しているかというと、どうもそんな気がしない(笑)。単純に、とっつきにくく、わかりにくく、寝落ちしやすくなっているだけのような……。
ジャッロの世界には、一部でよく知られたダルダーノ・サケッティという脚本家がいる。
なぜか、この人が関わると、中身は単なる血みどろスプラッタなのに、異様に筋がわかりにくい難解な作品になって、ほとんど不条理劇のような混乱を呼び起こすという御仁で、ルチオ・フルチの一部作品がホラーのくせに現代文学めいた衒学性を漂わせているのは、ひとえにサケッティの仕業だったりする。
本作の脚本は監督のジュリオ・クエスティと編集のフランコ・アルカッリで、サケッティの息はかかっていないとはいえ、きわめて同種の「わかりにくさ」「筋の追えなさ」を示しているのは実に興味深い。

今回観てつとに思ったんだけど、やっぱりこのわかりにくさって、脚本&編集のアルカッリが文芸映画寄りの人間だってこともあるけど、同時代にブイブイいわせてたゴダールの悪い影響ってのもあるんだろうなあ(笑)。
『殺しを呼ぶ卵』は、パンフレットでセルジオ石熊氏が指摘しているとおり、フランス資本が入っていることもあってか、きわめてフレンチ・テイストの強い作品である。
そのなかでも、白色レグホンに象徴される「カーマインレッドとホワイト」を徹底して強調する色彩設定のやりようとか、故意にわかりにくく歪められたナラティヴとかは、たしかにゴダールによく似ている。
ニワトリ小屋のなかで三人で「映え写真」を撮りっこするシーンは『女は女である』みたいだし、炎上する自動車事故シーンの高速モンタージュは『ウイークエンド』そっくり。
実験的なショットを重ねていく編集や、ノイズ寄りのアヴァンギャルドな音楽も、ゴダールっぽい。

本作で音楽を担当しているブルーノ・マデルナは、イタリアの現代音楽家として著名な人物だが、個人的にはじつはマーラー指揮者として昔から知っていた。交響曲第3,5,7,9番の4枚組(ARKADIA)と、同7番のHUNT盤と9番のBBC盤のCDを持っていたので、ちょっと名前が出てきてびっくりしてしまった。
かなり暴力的な弦奏が間歇的に叩きつけられるヒステリックな音楽で、映画のニューロティックな空気感のかなりの部分を支配しているといっていい。

映画自体は、そこまで面白いかと言われると、じつはあんまり面白くないかもしれない。
いや、かなり面白くないかも……(笑)。
とにかく付いていきづらいナラティヴのせいで、何がどうなっているのかよくわからないまま話が進行するので、いいかげん退屈するし、いらいらする。睡魔に襲われる。
それに加えて、細部の適当な処理にいらつかされる。
冒頭の目薬をさす印象的なショットからして、なぜかちゃんと眼に入っていない。なんかいらっとする。そのあと、ジャン=ルイ・トランティニャンが娼婦をナイフで切りちゃちゃくっているが、肝心のナイフに血がついていない。なんかいらっとする。
ジャン=ルイ演じるマルコが、出だしでやたら記憶の調子が悪そうなのが、何かの伏線かと思ったら、なし崩しに養鶏場に戻って、結局そのあとも理由の説明が出てこない。いらつく。
養鶏場は夢の自動化システムとかいっているが、採卵用養鶏と食肉用養鶏が完全にごっちゃになっていることに、またいらつかされる。そんな二刀流の養鶏場ってあるもんなのか??
その他、思わせぶりなのにまったく話にからんでこない弁護士の旧友とか、犬が給餌機に落ちるショットの適当さ加減とか、いらつきポイントには枚挙にいとまがない。
猛烈にわかりにくいうえに、一事が万事いい加減なつくりの映画に2時間近く付き合うのは、結構な苦行である。

とはいえ。
この映画、悪いところばかりではない。
まずは編集。カッティングや色彩設定は間違いなくアートの香りがするし、才能を感じさせる。
B級スリラーと相性は悪いかもしれないが、フランコ・アルカッリはアントニオーニやベルトルッチとも何度も仕事をしている一流の編集マンなのだ。
それから、スリラーとしては全体に間延びした出来の作品だと言わざるを得ないが、「ニワトリ映画」としての見どころは随所にちりばめられている。
冒頭に出てくるニワトリの胚の顕微鏡動画は、シュールなアート感満載だ。
養鶏舎を埋め尽くす白色レグホンの美感。そこを突っ切って走る人と犬。
ニワトリを食肉処理する工程のリアル映像は、この映画最大の衝撃的グロ・シーンだ。
何より、あのどこか怒っているような、達観しているような面相で、奴隷的立場に安住しているニワトリたちを、資本主義下で消費される労働者に仮託してみせるアイディアが良い。

あと、この映画には、とある大がかりな「叙述トリック」が仕掛けられている。
結構これ、みんな引っかかるんじゃないかなあ?
(引っかかったらなんなんだと言われたら、それまでだが)
パンフで誰も指摘していなかったけど、これって結局、1963年にマリオ・バーヴァが『モデル連続殺人!』という、ジャッロ映画の基本形とも言える映画を撮っていて、ジュリオ・クエスティはその祖型の存在を「逆手に取って」客を騙しにかかってるんだよね。
この「ネタ」に触れずに、本作の内容および粗筋について語るのはほぼ不可能なので、パンフや映画の内容紹介でも、何らかの形での言及(もしくは誤魔化し)がある。
なので、未見の方はぜひ、あまり予備知識無しでご覧になることを強くお薦めしたい。

ちなみに、この叙述トリックが明かされることで、序盤に遺されていたいくつかの違和感や、演出上おかしいと思われていた部分に「ああそうだったのか!」といちおう得心のいく解決がつくのだが、他にも山ほどおかしな部分や意味のわからない部分があるので、別段観終わっても全然すっきりはしないという(笑)。
あるいはこの映画の異様なわかりにくさって、このネタを隠すための壮大なミスディレクションだったのだろうか?? う~む……。

あと、映画館の入り口に『養鶏の友』がディスプレイされてたりする、軽い「コラボ感」にちょっとばかりぞわっとしました。『養鶏の友』の編集者はフライヤーにもコメント寄せてて、これがもうバリバリにふるってるんですよ。(以下引用)

異常なことの象徴、
不穏の塊のように描かれた、
あの「化け物」。
しかし、あれは大なり小なり現実である。
私たち個人が望むと望まざるとにかかわらず、
あれが必要なのだ。
見えなければ良い。知らなければ良い。
気づかないふりをしていれば良い。
恐怖と不安は小屋の檻に閉じ込めておこう。
安藤千尋(月刊「養鶏の友」編集部)

なんか、すごくない?? このコメント(笑)。
そりゃもう、まさにおっしゃる通りなんですが。
この達観がないと、あの商売はできねえんだなあ、と……。
いやあ、恐れ入りました。

鑑賞後、晩飯に西武新宿前のラーメン屋「駄目な隣人」にはいったら、「卓上の生卵&海苔」無料食べ放題という、おそるべきサーヴィスを敢行していてびっくり。
卵つながりで、こんなこともあるんだなあと。
もちろん、搾取されるニワトリたちに感謝の想いを捧げながら、ありがたく一つ追加でいただきました。

じゃい