劇場公開日 2023年1月20日

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「会議とはクソである」ヒトラーのための虐殺会議 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5会議とはクソである

2023年3月18日
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世の中の会議とは、ほぼすべてが苦痛であり、つまらんものだ。しかも物凄い金がかかる。

高給取りの高官や軍人の時間とその時間に見合う給料を考えたら、そりゃ凄いことになる。わざわざド田舎のヴァン湖のほとりの豪邸にお歴々がたくさんの部下を引き連れ、高級な旨い物とたくさんの雑用係を用意し、最低最悪の議題について話し合う。言葉に困ることだが、これほどのクソ会議がつまらないはずはない。クソであるがゆえに異様なスペクタクル性を備えたものだったに違いない。

クソ会議中のクソ会議、ヴァンゼー会議とはいかなるものだったのか?どんなクソ会議だったのか?

あのアイヒマンがまだ禿げる寸前の若かりし頃をロボコップのファーストのボスみたいな役者が演じており、まるでロボコップにちなんだかのようにロボットのように上官のいうことを素直に受け入れながら、会議は始まる。

出席者のなかには、文官がおり、ナチス政権以前の時代から、文官としての能力を買われ、ナチス政権後も権力をもっている人たちがいる。その人たちが、いろいろユダヤ人殲滅計画に突っ込みをいれる。ドイツの国益を考え、ユダヤ人の味方にみえる。ここが最大の見どころ。

人間の中にはまともな人もいると誰もが思いたいし、実際にそういう状態がぎりぎり維持されているから、ぎりぎり正常を維持できている。

そして、それら文官を応援したくなるし、頑張っているようにみえる。が、結果は誰もが知っている。この人たちに一体何があったのか?殺されたのか?

会議とはそれぞれが部分最適を目指す権力争いである。自分の利益やシマをあらされないように部分最適をそれぞれが図ろうと躍起になる。それは、このヴァンゼー会議でも変わらない。

やはり、会議とはクソ以外のなにものでもない。

官僚制や政治機構についての強力な著作を残した偉大な社会学者マックス・ヴェーバーがなぜドイツから出たか?行政や司法権力・官僚機構の病を小説にしたカフカが、なぜドイツ語圏から出たか?彼らはナチス以前からドイツの官僚や政治家が病んでいるとわかっていたに違いない。

屠殺100%