「神々しく美しい「なにげない日常」。それは、京アニが取り戻したかった日常でもある。」特別編 響け!ユーフォニアム アンサンブルコンテスト じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0神々しく美しい「なにげない日常」。それは、京アニが取り戻したかった日常でもある。

2023年8月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

そろそろ終映になったら嫌だなと、新宿のレイトショーに重い腰を上げて観に行ったら、もう公開してだいぶ経つのに、劇場が今も8割方埋まっていた!
京アニファンのロイヤルティはほんと高いなあ。素晴らしい。

そもそも自分がアニメを真剣に観るようになったのも、京アニの『AIR』と『Kanon』があったからだった(あと『ハルヒ』とね)。
でも正直言えば、このところ、京アニとはちょっと縁遠くなっていた。
『Free!』や『ツルネ』はいちおうTV版のみ義務感で観てはいたものの、総じて僕の守備範囲外の作風だし、『メイドラゴン』はどちらかと言うと京アニというより原作者のテイストが強いアニメだ。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は脚本と設定双方に関して、TV版にも映画版にも、あまりに納得のいかない部分が多すぎて、どうしてもはまれなかった。
その意味で『リズと青い鳥』および『誓いのフィナーレ』以来の『ユーフォ』の新作映画となる本作は、久しぶりに僕にとっても「京アニらしい少女もの」の渇を癒す一作となった。

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冒頭の楽曲から、いきなりぐっと引き込まれる。
おおお、こいつはTHE SQUEAREの「オーメンズ・オブ・ラブ」じゃあーりませんか!

僕らの世代は程度の差はあれ、THE SQUEAREにどっぷり浸かって育ったクチだ。
僕もご多分にもれず、多感だった頃の青春の記憶と分かちがたく結びついている。
高校2年生の文化祭で、僕は美術部員に交じって絵を描いたりしていたのだが、そのとき美術室の隣が音楽室で、そこでブラバンの有志で組んだ精鋭メンバーが文化祭のステージ用に延々と練習していたのが、THE SQUEARE(のちのT-SQUEARE)の「オーメンズ・オブ・ラブ」と「いとしのうなじ」だったのだ。
絵を描いてる横で100回以上も毎日同じ曲を繰り返し弾かれると、さすがにこちらも曲を覚える。
気が付くと、この2曲を聴いただけでちょっとウルっときてしまうような条件付けが身体に刻印されてしまっていた(笑)。
まさに、オヤジ世代にとっては「ツカミはOK」の選曲だ。
そういや客席には、若い子たちに交じって、白髪や禿頭のオヤジたちがちらほら……。

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本編に入っても、懐かしさは変わらない。
ああ、これだよ、これ。
俺の観たかった京都アニメーションは。

相変わらず、石原監督の演出は細かく、緻密で、丁寧だ。
実写的な演出法を随所に取り入れながらも、アニメ的な「萌え」をなおざりにしない。
だから本当に、安心して観ていられる。

たとえば、弟子筋にあたる山田尚子監督は、「実写映画的な演出」や「凝りに凝ったしぐさ演技とレイアウト」といった要素をとことん純化させて、きわめて個性的な作風を確立していった。で、純化させすぎた結果として、オタク的な約束事の領域からははみ出して、『平家物語』の世界にまで行ってしまった。
だが石原監督は、いつまでも「深夜アニメっぽい共犯性」のなかに留まり続ける。
実写的かつ説明的な「京アニっぽい凝った演出」を前面に打ち出しつつも、オーソドックスなアニメ的演出や、オタク的な萌えの記号をもきちんと併用してくる。
記号としての「美少女」と「制服のエロさ」、丁々発止の会話劇といった従来的なラノベ/アニメの要素をしっかりと踏まえてくる。

要するに、石原監督という人は、そういうオタクカルチャーの産物が心から大好きで、そこの枠内からは「敢えて出ようと思っていない」クリエイターなのだ。
鍵ゲーを愛し、『ハルヒ』を愛し、そのジャンル愛を実作にも存分に発揮させている。
結果として、彼の監督するアニメは常に、リアリティの描出と、頭のよい凝った演出と、オタク的な記号性のバランスがすこぶる良い。
一般的な深夜アニメの凡庸さからは、一歩も二歩も抜きんでている。
でも、尖りすぎず、突っ走りすぎず、「我々の親しんできた萌えの世界」は堅持してくる。
僕は、この監督のこういう職人的なバランス感覚と、古参オタクの矜持のような旧来的萌えアニメへのこだわりを、こよなく愛してやまない。

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たとえば、出だしの演出でまず一番気になるのは、「呼吸」だ。
「はっ」
「ふっ」
「すぅぅぅ」
冒頭から、ユーフォを吹く久美子の息継ぎと、次の音を鳴らす前にふっと息を吐く音、鼻を軽く鳴らす音などが、きわめて丹念に拾われている。
他の箇所でも、今回の音響は、吹き始めの「呼気」をリアルに拾うことにやけにこだわっているのが感じ取れる。
そう思いながら観ていたら、終盤の山場で、まさに「ブレス」と「呼吸を合わせる」ことが本作のテーマそのものだったことを知って、はたと膝を打った。
なるほど、ここにすべて収斂させるつもりで、今までのは全部「わざと」やってたわけね。
やっぱり、頭のいい監督さんだ。本当にそう思う。

一方で、徹底した「煽り」のカメラ位置(階段が効果的に用いられる)と、女子高生の「絶対領域」へのあくなきこだわり、若干ふとましい「太腿」へのフェチっぽい視線は、どこまでも「萌えアニメ的」で、いい感じで「気持ち悪い」(笑)。
キャラクターの美少女性を存分に認識して、彼女たちを動かし、しゃべらせることを心から楽しみ、なおかつそれを(本来なら近づけない距離の視点にカメラを置いて)視姦することをも心から楽しんでいる。
要するに石原監督は、この手のアニメを愛しているその他大勢のオタクファンと同じ趣味趣向を共有し、手放さない。きわめて優秀で才能ある表現者なのに、そこは外さない。
そういうアニメが好きな人だから。
そういうアニメが好きな人のために作っているから。
だから、僕たちも安心して観られる。そういうことだ。

とくに今回、素晴らしかったのは「会話」の妙だ。
物語としての大きな山場や感情的な対立がなかったぶん、石原監督は「少女たちの交わすなにげない会話」の描写に全力を投入してきた感がある。
リアリティと「萌え」を共存させる形で、ふたりの少女の「会話」から、両者の距離感と関係性をつぶさに描き出す。
本作は、無数に行われたその実験の、いわば「集積体」である。
「会話」と「会話」でつながっていった少女たちが、やがて小さなグループを成し、その小さなグループが集まって、ひとつの吹奏楽部という群を成す。
本作の「アンサンブルコンテスト」という枠組みは、まさにそのアナロジーである。

ふたりの少女は、会話を交わしながら、つねに探り合う。量り合う。
相手のことを。相手の自分への想いを。相手の距離感を。
上目遣い。はたと見据える眼差し。そらす視線。さまざまなアイコンタクトが交錯する。
息遣い。声のトーンが上がったり、下がったり。
頻繁に声音の温度感が変わる。親密さ。愉しさ。惧れ。おびえ。
短い会話のなかでも、相手との駆け引きが秒単位で展開され、それに合わせて表情演出と音響演出も千変万化する。
ここに徹底的にこだわって作られているから、ユーフォニアムの少女たちは、アニメ的なキャラクター性を保持しながらも、どこまでもリアルで、どこまでも神々しいのだ。

山田監督ほど徹底して、すべての台詞と立ち位置としぐさに意味を持たせなくとも、石原監督くらいの温度感でも、じゅうぶんに少女たちの「神性」は描出できる。
昔で言うところの、大林宣彦や今関あきよしのような「少女を愛でる」視線がちゃんとうまく機能して、少女たちの「尊さ」を存分に表現し、彼女たちを「まぶしい存在」として輝かせることに成功している。
最近でいうと、この感覚は『明日ちゃんのセーラー服』(大傑作! 久しぶりでパッケージを即断で購入)で感じたものに近いが、カルピス原液のように濃密だったあれよりは若干薄味で、そのぶん一般の人でも受容可能なテイストに収まっているともいえる。

とくに印象的だったのは、鎧塚みぞれと久美子の会話(「窓を開けるのが上手なんだね」)と、音楽室での久石奏との会話。
いかにも名シーンとして特別感をもって描かれている前者以上に、僕は後者の水面下での駆け引きと精神的闘争の情報量の多さに圧倒された。
陽気で飛び跳ねるようなファイティングポーズに秘められた奏のライバル心。
それに対峙しながら、先輩として、部長として対処しようとする久美子。
いやあ、いいねえ。
あと、マリンバを運ぶつばめと久美子のシーンの間合いと空気感も完璧だった。

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今回のユーフォの描き出した「日常劇」としての純度の高さ、真実味と、息を詰めたような親密さというのは、石原監督をはじめとするスタッフ全員の作品への共感性の高さが反映されている面が大きいと思う。
なぜなら、アニメ制作の現場もまた、いくつものアンサンブルの組み合わせで成立する、本作で描かれた吹奏楽部の相似形のような場だからだ。
気難しい職人がいて、間をとりもつ進行がいて、新人の育成があって、チームが崩壊しない程度の派閥があって……きっと、スタッフたちはものすごくリアルに、北宇治高校吹奏楽部の内実を受け止めているのではないだろうか。
アーティスティックな作業を、共同体として、アーティザンの集合体として築き上げていく。そんな、アニメ制作の楽しさと大変さ。
その苦しみと喜びを、吹奏楽部の面々と分かち合うような感覚。
しかも石原監督からすれば、この娘たちとはもう8年にも及ぶ付き合いだ。
ほとんど「実の娘」に近い感覚もあるだろう。
すべてのシーンに、監督とスタッフの温かい眼差しと全幅の共感が向けられている。
だからこそ、北宇治高校吹奏楽部は全員が、生き生きと仮想の「生」を生きられているのだ。

それと、ここ数年の京都アニメーションにとって、
「日常」こそは、本当にかけがえのないものだった。
その点は、いくら強調しても、強調しすぎることはない。

喪われた日常。
取り戻すべき日常。
悪夢のような非日常から、それでも立ち上がって、
一歩一歩「実作」の作業を地道に進めながら、
当たり前のなにげない日常に戻ることが、
いかに困難で、いかに厳しい道程だったか。
想像するだけで、泣きそうになる。吐きそうになる。

でも、石原監督ほか京アニスタッフ一同は、そんな葛藤と慟哭を露とも見せずに、この楽しくも輝かしい「少女たちの日常」をフィルムに焼き付けてくれた。
これは、京アニスタッフ自身が取り戻したかった「日常」でもあるのだ。
だからこそ、ここで描かれる「日常」は、光り輝いて見えるのだ。
なにげなさこそが、さりげなさこそが、何よりもかけがえのない宝物なのだ。

黄前久美子新部長のもと、新たに歩み始めた北宇治高校吹奏楽部。
それはそのまま、未来に向かってこれからも進んでいく、京都アニメーションという日本の誇る製作者集団の写し鏡でもある。

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声優陣はみなさん完璧な演技ぶりで、すべてが素晴らしかった。

とくに、久美子役の黒沢ともよちゃん。圧倒的。
実は最初に頭角を現したときは、周囲の萌え演技から一人外れてリアル系の演技をやることで「戦略的に悪目立ち」してる「ちょっとずるい声優」と醒めた感覚で捉えてたこともあったんだよね。ホントに見識不足で申し訳ない。
その後、出る毎にどんどん成長して、いまは押しも押されもしないトップ声優さんに。
とにかく、感情を声に載せるのがべらぼうに上手い。
秒単位で、声が軽くなったり重くなったりというのを切り替えられる。
しかも、今回のパンフ観てたら、この子、めちゃくちゃ頭の良い人なんだなあと。
「より渋く、深く、そして左耳の奥が小さく弾けるような、静かな熱のあるドラマでした」
「なんだか、どんどん、この作品の耐久度が上がっていっている気がします。これって、たぶん“時間”ですよね。みんなで積み上げてきた時間の質量がこのドラマの耐久力をさらにさらにとあげている」
なかなか、こんなこと言えないよ?(笑)

あと、さりげに……櫻井くんが外されてなくて、本当に良かった!!(爆)

ラスト、ムーンライト・セレナーデに載せて流れる予告編。
来年公開されるらしい久美子三年生編も、本当に楽しみ。期待してます!

じゃい
uzさんのコメント
2023年9月2日

長い…しかし、つい全部読んでしまいました。笑
芸術性と萌えの両面に対する深い考察と洞察には、納得と共感の嵐です。
“直系”を感じさせた『けいおん』から『平家物語』へ至った山田監督も素晴らしい。
石原監督のつくった地盤から、アニメーションの可能性が広がるのは鑑賞者として楽しいものです。

uz
かせさんさんのコメント
2023年8月23日

クセの強いkeyの麻枝准作品群の、破綻のない映像化は、京アニぐらいしか出来なさそうです。
山田監督のアニメ的色気を排した画面も透明感あって好きですが、石原監督のむっちりした足もまたいいものです。

かせさん