劇場公開日 2022年6月24日

「圧倒的な無。」東京2020オリンピック SIDE:B せつこんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0圧倒的な無。

2022年7月5日
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鑑賞方法:映画館

知的

難しい

オリンピックの関係者(政府、大会の運営に携わる人達、開会式演出メンバー聖火ランナー、選手の恩師、コーチ、警察、などなど)を描くドキュメンタリー。

SIDE Aは記録映画というより監督の主張強めなドキュメンタリーだったけど、今作の方がより記録映画だった。SIDE Aには入らなかった監督自身の声が入るように、この映画は監督の見た東京オリンピックであり、今の日本のありのままの姿。

冒頭、コロナ前の政府のオリンピック関係者の様子が映し出され、森会長やバッハが各所に演説したり子供と交流したり現場を視察したり。この、それっぽいけど中身ゼロなことを言うジジイに気を使う下の人達という"気持ち悪い日本"を見せられた後、徐々に現場やもっと仔細の人達の様子に写っていく。

震災を乗り越えた中学バトミントンの先生や聖火ランナーや現場の人達はアスリートと同じようにそれぞれが何かしらの思いを背負ってオリンピックを迎える。それに対して上の人になればなるほど、信念が全く感じられない。MIKIKOさんが言っていたように「無」。圧倒的な、無。

コロナ禍で色んな声がある中延期までして無理矢理にでもオリンピックをやろうとしてるのに、全くなぜやりたいのかが感じられない。日本のメンツに掛けてが主な理由かもしれないけど、それすらもあまり感じられない。その「無」にひたすら振り回される優秀な現場の人達、という構図が今の日本。

森会長の女性蔑視発言もあれも言ってみれば「無」から出た言葉だと思っていて、ただ女の人達は話が長いと思ったから言っただけ。そして、あとから謝らなきゃいけない感じだったから謝った退任しただけ。

でもその上の「無」の人たちは、もっと上の諸外国という「無」に振り回されている。いつも各国の後追いをして、主導になることはない日本がそこにはある。

リレーを得意とする日本で、今回陸上のリレーでバトンを繋げなかったエピソードがとても印象的で、それは、このままではいつか次の世代にバトンを繋げなくなる日が来ることを示しているのか、今の日本を次の世代に受け渡さないという意思を表しているのか、両方に思えるから面白い。

せつこん