カモン カモンのレビュー・感想・評価
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音を記録することが野暮に思えた
雰囲気も役者もいいのに、観終わった後に「結局、この話の主題はなんだったんだ?」と考えてしまう。
希望ある未来を語る子ども達を憂いたかったの?
人の声ばかり聞いていて、自分の本心を語らないジョニーが、自分の思いを受け止めて覚えていようと思えるようになったことを言いたかったの?
そもそも妹の息子が9歳って設定に疑問。
ホアキンの年齢を考えたら孫でしょう。
絵図らがお爺ちゃんと孫なのよ。
ジェネレーションギャップを描くなら、自分語りができる老人と無垢な子どもの組み合わせの方が相性良かったと思うけどな。
キャラクターの背景や関係性が分かりにくいせいで、主軸がぶれてしまった。
母親と兄妹の関係
妹夫婦の関係
妹夫婦と子どもの関係
叔父と甥っ子の関係
仕事と子育ての関係
子どもの未来への希望と現実社会の関係
一体、どの関係がメインテーマだったのかはっきりしない。
どれも中途半端な解決や解釈しかしないから、上部だけのペラッペラなまとめにしかならない。
甥っ子の面倒を数週間見たくらいで、子育てを疑似体験した気になっているのも違和感がある。
子どもの行動に対して結局は母親やサイトに解決策を尋ねている時点で、それは誰かの模倣であって自分が試行錯誤して人間関係を構築しようと努力した結果ではない。
衝動的で感情的な相手に理論で説き伏せようとするインテリ野郎にしか見えなくなってしまった。
子どもに対してインタビューして、子どもの声を聞いて理解したつもりになっているもの同様で、その声を聞いて集めて結局は何をするのかが分からない。
理想や思想を垂れ流しているだけで社会が変わるはずがない。行動が伴わないので展開がない。果たして声を録音するという行為を描く必要性があったのだろうか。
ジェシーが録音の機材を持ち歩いて音を拾っている場面もあるが、どうして音を拾うのが面白いと思ったのかという描写もない。自閉傾向があって、自分で聞きたい音を絞って聴くことのできる録音の機械が気に入ったのかもしれないし、単純にイヤホンから流れてくる音に集中して楽しんでいただけかもしれない。
かもしれない要素が多すぎて、正解が見つからない。
この描写はこれをいうための演出だと断定できる要素が少なすぎて、見ている観客側が勝手に補足説明を付け足したくなる。
情報が散漫していて、誰にも感情移入できず、言葉遊びを永遠と聞かされ続ける。
「君が忘れてしまっても、僕が何度でも思い出させてあげる」と表面上は聞こえはいいが、成長と共に薄れてしまう記憶よりも、一緒に過ごした時の楽しかった、自分と向き合おうとしてくれた叔父さんへの気持ちはジェシーの心の中に残っているのではないだろうか。
自分が受け取った愛情の記憶を「ほら、君はこんなことを言って、こんなことをしていたんだよ」と思い出させるために録音して送りつけるって最高に野暮だと思う。
逐一、相手の気持ちを汲み取ろう、相手の気持ちに寄り添っているように見せかけて、自己満足で相手に関わろうとする演出が鼻についた。
大人だって、痛い時は痛いし、傷つくときは傷つくし、言いたくないことの100個くらいは抱えて生きている。
自分で処理しきれない感情をうまくコントロールして、他人と上手く付き合っていく距離感を身につけていくのが大人になるということだと思う。
距離感が掴めていない子どもと対峙する映画だからこそ、子どもに見せる大人の面と子どもに本心を語る人間と対峙する時の面を区別して欲しかった。
これでは、子どもの行動や言動が手に追えなくなった大人が白旗あげて、告解でもするかの如く自分語りをしているだけで情けなくなってしまう。
他人の感情なんて、当事者にならない限り分からない。
どんな苦しい経験も他人にとっては「へぇ、大変だったね」と社交辞令で返事するくらいしか感情移入してもらえない。
ペラッペラなエピソードを重ね、一息ついて振り返った時に初めて、分厚い本のようになった自分の感情が鎮座している。
ただ、そこにあるだけで時間は刻々と先に進み続ける。先へ。先へ。
果たしてこの解釈であっているのだろうか。
間違っているのだろうか。
少なくとも、映画を観た感想や受け取り方は千差万別。良いも悪いもさまざまな意見で溢れている。
他者の意見をありのまま受け入れる寛容さが平和な日常を送る秘訣だと言っていたし。
思うことも受け取ることも自由であるからこそ、人と関わることを楽しめるのかもしれない。
口に出すことで伝わる対話
ホアキンフェニックスが不器用ながらも優しく穏やかに子供達と向き合うラジオジャーナリストを演じた本作。
前作主演ジョーカーからは到底イメージできない心優しい中年のジョニーを演じたホアキンの本作での演技は圧巻だった。甥っ子のジェシーの予想のできない振る舞いや核心に迫るような難しい質問に戸惑いながらも誠実に応えようとする大人の葛藤や悩む弱さを繊細に表現していた。
また、少し風変わりで繊細な甥っ子ジェシーの自身の欲求を通したいためにジョニーを困らせたり、純粋な素振りだったりと子供ならではの表現が自然で作中で重要な役割を担っていた。
子供と接することの難しさ、人と人の対話がいかに難しいかを観客に投げかけており、今までの自分のコミュニケーションや姿勢を自然と振り返るようなきっかけとなる作品だった。
相手を理解し切ることはできない。しかし、心を開き、相手に対して誠実に向き合うことが心と心の対話を生み出すということを本作は伝えたかったのだと思った。
沁みる
妹夫婦のとある都合で9歳の男の子ジェシーを預かる事になったラジオDJのジョニー。
最初はギクシャクした二人が距離を縮めて行くストーリー。
ありきたりの物語かと思っているとこの作品は
9歳と47歳の二人の男の会話劇となってるのが
面白い。
あのジョーカーを演じたホアキンとは思えない位の
優しい眼差しと共に淡々と物語が進む。
ラジオの録音機材を使った演出が見事!!
途中途中に挿入されるアメリカの子供達への
インタビュー。
コレはホントにインタビューしてるのか?
子供たちのポジティブな言葉は大人達は心に留めて
おかないといけない。
モノクロと言うのも納得な静かで沁みる作品
子育てには、大人も育つことが含まれている
おじと甥っ子の一時的な暮らしを綴った作品。
甥っ子の抱える家庭の問題を親でもなく、祖父母でもない少しだけ客観的な立場であるおじと暮らしていくことでセラピーになっていくという構図の作品だと思っていた。しかし、その逆でもある作品だった。子どものピュアだけど本質的な言動、行動によって、おじが甥っ子と暮らすことによって、目を背けていた問題と向き合い前に進み出すという物語であった。
「カモンカモン」というタイトルは
「目を背けないで向き合って!」というメッセージなのではと私は感じた。
そんな両者にとってのかけがえのない時間を
モノクロの映像により、2人の関係性に注力して鑑賞ができる。
ストーリーの合間合間で流れる子どもたちのインタビューはドキュメンタリーらしい。
その回答がどれも素晴らしく、知らぬ間に考えが凝り固まり、知らぬ間に大人になってしまっていた自分にハッとする体験だった。
良作ですが期待してたほどでは
ホアキン、子役の演技が素晴らしく良質な映画でした。とくに子役がきちんとホアキンとの会話、コミュニケーションが取れていたり、取れていなかったりが感じられ、危うい性格も表現できており常に緊張を感じさせ飽きることはなかった。
しかし、都合の良いこともあり、ホアキンの仕事。あんな時間に融通がきき生活出来ているのがすごい。フリーなのかもしれないけど。それと一定の険悪さからそれ以上悪化しない展開、同じようなトラブルが2度起きる事もちょっとつまらなさを感じた。
しかし、ある程度子供との接し方を心得てる設定、再生の土地デトロイトから始まるところ、ポイントで挿入される街の風景。何よりモノクロの映像がとてもよいと感じた。
ホアキンが更に好きになり、子役がこれからどうなって行くのかが気になりました。(マコーレーみたいになっちゃうのかな?とか)
やっかいな、大切な、贈り物
最近監督の名前あまり覚えないので観ていて「20センチュリーウーマン」に似ている、と思ったらマイクミルズというのはまさにその人だった。
何を思ったかというと、ロケーションや美術、空撮、衣装などのセンスはいい、役者も自然で、脚本も自然となるようなシチュエーション中心にしてドラマっぽくなるのを排除してる。だけどもうちょっとドラマ的膨らみもあっていいんじゃないか、と思うくらいにフラットな数珠繋ぎで話が進むのが似ている。小津とかロメールとかホンサンスとかとも違う。
とても質の良い空間ぎ繋がってゆくのだけど初見では乗りづらい。ただ、少年が異様なくらいにかわいくて、大人びて、うん、モンスターに思える。いい意味で。知的な大人の男からすると、最も手に負えない生き物としての存在感が異様。いい子でも悪い子でも、ましてや自分の子供の頃というサンプルも相手にならない、けれどどこかで通じ合ったりもする、脚本で書かれててもその正体がわからないものが映画に映っていた、と思う。
と、思ってまとまりに入った振り返りのナレーションでボロボロ泣けてくるのだから映画はわからない。なんでもない、なんとも説明のつかない時間が確実に存在したのだと、そういうのに弱い。
すごく退屈な抽象的作品。つまらない・・「ジョーカー」の180度反対の作品。「子供の主張」にウンザリ。
ホアキン・フェニックスが「ジョーカー」のために
痩せ細って、役作りに徹したことで星⭐️1つ追加・でも本来なら星一つの
超つまらない、説教くさい「芸術作品」
若干、昔のNHK【今のNHKじゃ無いよ】教育テレビ臭がしてきてたまらない。
苦痛すぎて、眠ることすらままならない、名画座的な「芸術作品」。
ニューオリンズ=ジャズ的な能天気さは良いけれども
モノクロである意味がわからないし、中年男と甥っ子のロードムービー
にしては「珍妙さに欠ける」芸術作品。
娯楽として映画見ているワシとしては耐えられない。
行ったことないけど「ルーブル美術館」とか「大英博物館」連れてかれたら
多分同じ感じだろう。
何度時計見たことか・・・つまらないのだから仕方ない。
もうチコっと「珍道中→距離を縮める」が有ればイイのだけれども
双方の感情の起伏を欠く「日常の描写」作品。
イヤイヤ映画はエンタメなんだから描写にアクセント・・と言っても
「芸術志向」の制作陣と俳優には届かないでしょうね。
この作品の前に見た「マリー・ミー」の娯楽性、サービス心がまるで感じられない。
多分、観客の半分以上は「ジョーカー」で名を上げたホアキン・フェニックスだから・・
で観たと思うけど・・・残念。
子供は無邪気が一番だよ・・・
そもそもね、確かに子供は可愛いい。自分と血のつながりあるなら尚更だ。
自分の子供なら目に入れても痛くは無いよ。
でも、今更「ラジオ📻」なんて時代遅れだし、散髪屋さんとドライブする人以外
は聴く人激減してるでしょ・・んな状況で
「子供の主張」なんて聞きたく無いよ。主張は「最低限の経験則」に基づくから
意味があるのだよ。「自分自身であることがスーパーパワー」なんて生意気な主張は聞きたく無いよ。
大学生ぐらいの人生の経験則有れば別だけど・・・
ジョニーとミニ・ジョニー
仕事でオークランドに滞在し病んでいる旦那の面倒をみに行く妹の子を預かることになった独身男と:9歳の甥っ子君の話。
母親に沢山愛情注がれて育ち賢いけれどちょっと個性的な趣味を持つ甥っ子ジェシー。
ジョニーもジェシーを可愛がり親身になるけれど、ジェシーのいたずらや奇行に翻弄されて越声を荒げてしまったり…。
決して仲が悪いわけではないけれど、妹とわだかまりを持つ伯父さんと、賢過ぎて自分を閉じ込める甥っ子の二人が微笑ましくはあるけれど少し哀しげで、周りの協力を得つつ心を通わせていくストーリーは、少しマッタリテンポではあるけれど、なかなか面白かった。
ただ、二人とも抱いている感性や感情が、自分には無いものが多く、解るような解らないような…とちょっと理解するには難しさも感じた。
原題のc’mon(come on)にはいろいろ意味がありますが、この作品では前向きに励ますためにつかわれているようです
原題は「c’mon c'mon」で c'monはcome onの短縮形です。
come onにはいろいろ意味があって、「こっちにきて」というのが一番なじみがありますが、前向きに励ますためにも使われるようです。
ストーリーは、急に甥っ子を預かることになった叔父と甥っ子の関係を描いたもの。
中年独身インタビュアーである叔父と情緒不安定な甥が色々な出来事を通して信頼関係を築く物語というとわかりやすいのですが、多分この説明は一面的な見かたなんだろうと思います。
「ジョーカー」でオスカー取ったホアキンフェニックスをインタビュアーという役柄で使う必要はないので。
ホアキンフェニックスが多くの子供たちにインタビューし、将来について語らせています。
「予想したことは起きない、予想しないことが起きる。だから前向きに」、といったようなことを誰かが語ります。これがこの話の肝でしょうかねえ。
予想したことは起きないということで、自分が想像していた映画の結末は、
・モノクロ
・甥っ子が録音機器を扱う
・叔父が途中で倒れる
ということから、子供だった甥っ子が大人になって困難に立ち向かう際に昔録音した叔父さんの言葉を聞き返して自分を励ます話かと予想しました(←大外れです)
出演した俳優さんの演技は上手ですが、話の盛り上がりには欠けるかなあ。
ウディ・ノーマン君の演技力に驚いてばかり
昨日見た『パリ13区』と同じく、モノクローム映像なんだけど、ドキュメンタリータッチのせいか、怒涛のように眠気が襲ってくる。ジェシー役のウディ・ノーマン君の恐ろしい演技力に感心しながらもウトウトしてしまう。
ジョニーの甥っ子であるジェシーは、繊細で感受性がものすごく鋭い。観察力や洞察力も並外れているため母親の嘘や叔父さんの言い訳なんか簡単に見破ってしまう。それでいて甘えん坊で、ワガママなところは普通の少年と変わらない。自分だったら、こんな甥っ子を半日預かっただけで、ギブアップ。
ジェシーのパーソナリティが、ウディ・ノーマン少年の気質そのものとしか感じられない。彼の演技でそれを実現していたとしたら驚異的としか言えない。ラストでの自然な演技も末恐ろしい。
正直なところ、私には分からない映画でした。
夫の病気のため、急遽妹の息子を預かることとなった独身中年男と9歳の甥との共同生活を描いた映画。
主人公やその妹も、また甥も心の奥底にこだわりや悩みを抱えている。しかし、それを表に出すことはなく日々生活を送っていたが、子供と同居することで、解きほぐれていくという物語だと思うが、私には理解できなかった。
悩みや苦悩があっても、人生を先へ先へ(カモン カモン)と進めて行け。これがテーマか?
自分の9歳の頃を思い出すと、この甥のように小邪魔ってもいなかった。ちょっと例外的な子供に思える。
主人公がインタビューする子供達の「未来」に対するコメントが、悲観的なものが多いのに少し驚く。また、大人達をしっかりした目で見ているなと感心した。
なぜ、白黒映画にしたのか。その理由が正直わかりません。
街をハイアングルから撮る映像や高層ビル群を遠方から撮る映像がよくでてきます。人が住んで生活している場所だと表わしているのでしょうか。
とにかく、観て後悔した映画でした。
こまっしゃくれた甥っ子に振り回されながらも冷静に優しい伯父さんであろうとするホアキンにリスペクトしっぱなしの108分
仲のいい妹の息子は9歳。なかなかめんどくさいお年頃。ホアキンおじさんは訳あって独身で子供はいない。この子、アスペルガーっぽい。知能はすごく高い。大人の気持ちや考え方をわかっていて、逆らうもんだから、イラっとしてしまうところをホアキン・フェニックスが堪える表情や行動を見守る108分。字幕(毎度お馴染みの松浦奈美さん)を追いながら、ホアキンを観る濃厚な108分。
認知症の母親とノイローゼの亭主と多感なお年頃の息子の世話で手一杯の妹役の女優さんは嫌みったらしいことは一切言わない中嶋朋子のような感じのしっかりした人。好感度高かったです。彼女と独身の兄役のホアキン・フェニックスの会話もとてもしんどいんだけど、それでいて暖かい。
あったかいんだから~
古い?
セピア色の精緻な映像がノスタルジックで、小さかった頃に接した親戚のおじさんをついつい思い出したり、親戚の子供に手を焼く自分を想像したり。
たくさんの子供のインタビューの言葉にも癒されました。
でも、みんなすごいボキャブラリー豊かなのよ。ジェシーも。
9歳って、バーカとウンコしか言わないんじゃね、フツー。
そう思う気持ちも少しはわかって欲しいな。
録音機器はジェシーの関心を引き付けて、仲良くなるのに絶対一役買っている。とくにモフモフのマイクね。
人の気持ちを穏やかにして、本心を引き出すホアキン・フェニックス。この人がジョーカーと同じ人なんだから感心するのみ。
子役の上手さ
65本目。
新百合ヶ丘から、鴨居へ移動。
ちょっと所が、面倒臭い距離。
白黒かなと思ったら、そうだったけど、別に嫌いの訳でもない。
ただカラーに比べ、目に優しいのか軽く寝落ち。
やっちまった。
子役が、憎たらしい位に上手い。
たそれよりも作品を観てて、俺って何も考えてないんだなと思ってしまう。
その辺が、面倒臭さを感じてしまったかな。
この子サイコパスなの?普通なの?
2022年劇場鑑賞95本目。
ある事情で甥っ子を預かることになった男の話。全編モノクロです。昔の話でもないしモノクロにする意味あるんかな、と最初思いましたが脳内でこの作品をカラーにしてみましたがモノクロの方がしっくりくる作品でありました。主人公がラジオパーソナリティであることもあり、本来映像すらないラジオの世界、色くらいなくても構わんだろってことかもしれません。(別に作品がラジオドラマというわけではないのですが)
この甥っ子、主人公であるホアキン・フェニックスに「イカれてるのか?」と母親に聞くくらい変な子だなあ、という印象を持ちます。途中途中子供たちへのインタビューが挿入されるのですが、それがリアルな子供たちの声なのか、大人の書いた台本をしゃべっているたけなのかどっちか分からないんですね。よく日本の学生恋愛映画なんかも中学の時に数々の女性と肉体関係を結んで高校になってヒロインに出会い過去に苦しめられる、みたいな設定ありますが、現実の中学生なんてせいぜいちょっと不良が他のクラスの誰々とエッチしたらしい、なんて噂が流れるくらいがせきの山ですよ。そういう大人の描くファンタジーとしての子供なんじゃないのこれ、と子供ながらに真理を突いてすごいなあ、と素直に観れなかった自分です。
子役としての演技的には素晴らしかったと思います。
まるで写真集を一頁一頁めくるよう
マイク・ミルズの新作、ホアキン・フェニックス主演、モノクロ作品ということで見てみた。
まず特筆すべきは、ワンシーン・ワンシーン、まるで写真集を一頁一頁めくるような美しい映像。モノクロで撮影した映像がとにかく美しくて引き込まれる。
ホアキンの腹の出たイケてない中年オヤジ振りはいつもように見事なんだけど、ホアキンを食ってしまったのが、子役のウッディ・ノーマン君。演技とは思えない自然さ。
全体的にとても質の高い作品だけど、残念なのは脚本。物語としての起伏が乏しく、笑えたり泣けたり、映画としてのカタルシスが乏しい。それでもホアキンの突然子供を預けられてしまったオッサンの狼狽振りとか、子供を通して見え隠れする孤独とか、なかなか良い。
独立系やアート系の作品が好きな人には満足できる作品だと思う。
子役がすごい、孤独と寄り添いと癒しの物語
とある事情からしばらく甥っ子の面倒を見ることになった、ラジオジャーナリストのジョニー。二人の交流を描く話だが、設定がなかなか重い。
ジョニーと妹のヴィヴは1年前まで認知症の母親の面倒を見ており、介護における考え方の違いなどでぎくしゃくしていた。ヴィヴが息子のジェシーの世話を兄に頼んだのは、精神を病んだ別居中の夫の世話をするためだ。ジョニーは以前付き合った女性はいたが別れを告げられた過去がある。ジェシーは大人から見れば風変わりな子供で、母親ヴィヴの子育ての苦悩も描写される。子育て経験のある人は特に、ジェシーが気まぐれに姿を消す場面などビリビリ来るのではないだろうか。
独身男性とやんちゃな甥っ子の邂逅となればほっこりさせてくれる話を期待しがちだが、そう簡単にはほっこりした感情に辿り着かず、特に前半は地味にしんどかった。
それでもそんな空気が苦痛にならなかったのは、ジェシー役のウディ・ノーマンの愛らしさと神がかった演技に魅入られたからだ。見ている最中は「上手い演技だなあ」とさえ思わせない自然さ。でも、父親の不安定さや伯父に預けられた不安からくる子供らしい憂いがちゃんと滲んでいる。大人を試す我儘な素振りの、ジョニーが苛立つのも分かるしその裏にあるジェシーの寂しさも分かる、絶妙な塩梅。ジェシー自身が自分の中の気持ちを上手く処理出来ない、その不器用さがきちんと伝わってくる。それでいて、安易な御涙頂戴のオーバーアクトはない。
ホアキン・フェニックスのバディ役とも言える大役を、彼は全く引けを取らずに果たしていた。ジェシー役にふさわしいと100パーセント確信を持てるような子役が見つからなければ本作を撮らないと決めていたミルズ監督が、「この子しかいないというのは明らか」と評したのも納得。
折々に挟まれた、ジョニーが仕事として行なったアメリカ各地の子供たちへのインタビュー映像が印象的だ。作中に出てきた4都市に実際に住む子供たちの声だという。監督はモノクローム映像にした意図について、現実と切り離した寓話的な物語の世界へ観客を誘導するためと答えているが、このインタビューのくだりはドキュメンタリーの風情がある。
彼らの語る内容はストーリーと直接繋がるものではないが、その素直で、時に真理を突いた言葉、未来への希望や不安を聞くうちに、子供の頃の世界の見えかたをおぼろげに思い出した。
ウディが体現した不器用で自分の感情を持て余す子供に対し、じゃあ大人は長く生きた分みんな器用で立派かというと、全然そんなことはない。言葉にならないような感情に振り回されたり、心の安定を失ったり、人生の節目の選択において賢く立ち回れなかったりといったことが往々にしてある。
予想出来ない未来へ向けて、試行錯誤しながら生きているのは大人も子供もそう変わらないのだ。
子供ってホント面倒臭い
預けられた甥っ子と叔父さんのドキュメンタリーのような物語。
もうホント子供って嫌い。大人が嫌がる事をピンポイントで突いてくる。
甘やかして育て過ぎたんじゃないのって思う。
対して叔父さんは、それにいかにして対応するべきかを反省しながら真面目に距離を詰めていく。
叔父さんの姿勢に感動だよ。
私も子供に対する時は、子供と思わずに対しているけどね。
なぜなら私も面倒な子供だったから。
子育ての経験があると理解度があがるのかなぁ…。
今年112本目(合計386本目/今月(2022年4月度)22本目)。
他の方も書かれている通り、モノクロ映画です。ただ、映画内でスマホを使っていることからもわかる通り、歴史上の(技術的な)事情ではなく、あえてこの表現を選んだのだろうと思います。
他の方も書かれていた通り、かなり哲学チックな内容で、子育ての経験があるかないか(私はありません。独身)でかなり理解度が違ってくるのでは…と思います。
傾向として言えば、今年1月か2月だったかの「フレンチ・ディスパッチ」(分野違いの話題を3話くらいするタイプの映画)に似ていて、名著・名句とされるものが表示されて展開が少しずつ変わるところも似ています。
また、先に述べたほど展開はコロコロ変わらないものの(引用した映画は話題自体が3話とみなせるほどコロコロ変わる)、突然陰謀論の話が出たり数学物理の話を始めたり、かと思えば哲学の話が出たりと妙にマニアックな展開になっています(なお、一般的な理解で足りるように考慮はされています)。
今日は金曜日で1枠だけしか見に行けずこの映画を選びましたが、今週はもう1つ「パリ13区」だったか、こちらもモノクロ映画のようなので混同には注意しましょう(私は日曜日に見に行く予定)。
私には経験がないしなかなか評価も難しいし、扱っている話題自体もかなり多岐にわたる内容でうーん評価は難しいなと思ったものの、扱っている話題個々それぞれは理解が容易で、先に引用した「似た映画」として出した映画が突如「懸垂分詞や分離不定詞」という謎の字幕を出して混乱させたような要素はこちらになかったので、比較考慮してこちらは満点にしてあります。
他の方も書かれていましたが、「本来的には」中学生くらいの子(男の子でも女の子でもOK)と来るのがベストなのかもしれませんが、もともと理解が難しい映画ですし、今週からはクレヨンしんちゃん、先週からはコナンとまだまだあるので、「えーこの映画なのぉ?」って言われるかもしれませんね…。
伯父さんと甥っ子の心のふれあいを描く詩的な会話劇。
ジョニーの妹ヴィヴには、精神的な病を抱える夫がおり、ヴィヴは夫の治療のため、病院に付き添わなくてはいけなくなる。
その間、ジョニーは9歳の甥っ子ジェシーの面倒を見ることになるが、ジョニーの仕事の都合で、二人はロサンゼルスからニューヨークヘ向かうことになる。
ラジオ放送の仕事をするジョニーの持つ録音機材で街の音を録音したり、いろいろな場所を訪れるうちに、二人は徐々に打ち解けていくが、ジェシーの行動がジョニーを困らせたり、苛立たせることもあり、ジョニーは疲れ果ててしまう。
そして、ジョニーはジェシーを妹の元へ帰そうとするが、空港へと向かうタクシーの中で、ジェシーはトイレに行きたいと言い出し、トイレに閉じこもってしまう。
ジョニーがラジオ番組のために、子どもたちにインタビューする映像も織り交ぜ、今のアメリカの子どもたちが何を思い、何を求めているかをモノクロ映像で描き出す詩的な会話劇。
ぜひ、劇場でご覧ください!
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