カモン カモンのレビュー・感想・評価
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かけがえのない時間を過ごす2人
少年と伯父との交流と家族愛。
距離を感じる姉との関係を抱きつつ、ある理由により姉の子供と一緒に過ごす事となる。
その時間を丁寧に描き2人の変化を描き切っている。そしてラストの別れのシーンの何とも言えない感じが2人で過ごした濃密な時間を感じ心を震わせた。
そしてモノトーンで描くことで、2人に注視する描き方も良かったと思いました。
将来について考えたことがある?
他者への怒りに満ち満ちた休日の午前中、モヤモヤした気持ちをぶつける吐口に選んだこの映画。モノクロ映画にふと惹かれたのは運命だったかもしれない。
何かに、あるいは誰かに怒りを覚えて打ちひしがれているのに、どう表現したらいいのかわからない人にそっと渡したい映画。
この映画のキモは「対話」。作中のキーワードにもなるインタビューもある意味対話で成り立つものだと思う。
彼と彼は対話を続ける中で愛を育む。彼と彼女も架空の御伽噺の中で対話する。彼と彼女は電話やチャットで対話する。
人は結局、孤独の中では生きていけないのかもしない。インタビューの中で何度か子供たちも核心を突いていたが、孤独は怖い。なによりも避けたい恐怖だ。対話はその行為を行う間だけは一人ではない、という確信的行為で私は愛そのものの行為だと感じた。
怒りを鞘に収めることができたシーンがある。母親の責がなくなり、彼が親元に帰ることができる連絡が来たシーンだ。彼は自分の置かれる環境の急激な変化とそれに追いつかない感情に混乱する。めちゃくちゃになる。それは怒ってもいいのだ、わやくちゃな感情を表に出して然るべきなのだ。我々は(特に日本人は)己の感情を相手にぶつけることを嫌がる。それは国の文化でもあるが、それが祟って近年の心的症例の発症率に繋がっているのではないかと思うことがある。
自分自身、最近怒りや悲しみを子供の頃ほど上手に表に出せなくなってきた。喜びや驚きも。涙を流しながら自分の感情を表に出すのが憚れるようになったし、友人や家族の見送りで電車のホームを端から端まで走ってみることをしなくなった。
もっと感情を表にだしていい、わやくちゃなときはわやくちゃななのだ、というセリフがやけに響いた。
苦しかった子供時代
姉が精神不安定の夫を面倒を見るため家を不在にする間、甥の面倒を見るのを頼まれたジョニーとその甥ジェシーの交流の話。
基本的にジョニーとジェシーのぎこちない会話で全編構成されていて、話が進むにつれ自分の子供の頃の気持ちを段々思い出してくる。最初はジョニー目線で見ててジェシーはちょっと変わってる子だなという印象だけど、自分の感情をコントロールするのが難しく、表現の仕方もまだ分からないジェシーの気持ちが痛いほど分かるようになってくる。
ジェシーを見ながら子供時代を思い出して苦しくなった。自分もひとりっ子で、親の都合や喧嘩や嫌なことを同時に共有できる人がいなくて、捌け口がないもんだから爆発した時に歯止めが効かない癇癪持ちだった。今思えばあれは、自分の言うことを理解してくれという叫びだったんだが、まぁ暴れるから余計怒られてより抑圧されるっていう悪循環(笑)
親って自分のことは話さないのに子供にはあーしろこーしろ命令する。完璧な人間じゃないのに子供をしつける。その親の不完全性はジョニーが体現していて、最初は失敗もするし迷いも多いけど徐々にジェシーと同じ目線で話し始める。全ての親にこの映画見てほしいなぁ〜。
ジェシーを見て苦しかった子供時代を思い出しながら、ジョニーを見てかつて自分を苦しめた大人に自分もなってしまった悲しさを感じる。
視覚情報はできるだけ少なく"音"を大切にした演出。
幼少期の色鮮やかな思い出
時が経ち薄れる儚い記憶
伯父と甥、ぺらっぺらぺらな2人を繋ぐ録音機材。
ラジオなど音だけの情報の場合、私たちは脳内で情景を想像し色をつけていると思います。
モノクロ映画なのはそんな2人の旅の"音"の記録を私達も聞かせてもらっているような気持ちになれてとても素敵な演出でした。
大人になるにつれ記憶が薄れたとしても、その度に"音"に耳を澄ませて"モノクロ"からたくさん想像をして色をつけたい。
君の話を聞かせて。
きっと大人も子供も急な成長は要らない。
急激な変化なんて無理だから、自分のペースで自分を積み重ねればいい。
大丈夫じゃなくても大丈夫。
現在24歳の私も甥っ子くんみたいなところある気がする…。
大人も子供もどっちもどっち。
普通とは違うかもしれないけど、普通じゃない普通を大切に生きている人達に観てほしい。
エンドロールで子供達のインタビュー音声が流れるのもすごく好き!
"音による旅の記録"を観る映画だからこそ、旅で録っていったインタビューが聞けるのが嬉しい!
「ジョニー伯父さんのラジオはこんな風に流れているのね!」と映画の中のラジオ番組を想像してワクワクしちゃいます!
視覚からの情報はできるだけ少なく"音"を大切にした素敵な映画でした!
ずっと前から公開を楽しみにしていた映画なのに仕事に追われてなかなか観に行けず…。
「もうすぐ公開終了しちゃう!!」と慌てて仕事を片付けて映画館に飛び込みました。
私は私で自分らしくありたいと思い続けていたつもりが、社会から求められる"普通"に追われて発狂したくなる時が度々あります。
そんな時にうまい具合に自分の気持ちを表現してくれるような寄り添ってくれるような映画に出会うんだよな。映画ってすごいな。
私は自分の人生のこのタイミングでこの映画を観れてよかった。
不思議で美しい世界
見たことないようなきれいな白黒映画。
解像度が高い。景観も構図もいい。
お熱いのがお好き(1959)が白黒なのはジャックレモンとトニーカーチスの女装の見た目のどぎつさを和らげる目的があった──とは有名な話だが、今の時代、映画を白黒にするのはなぜだろう。
あんがい、かっこつけやノスタルジーなどの軽薄な理由も多いが、この映画の白黒には必然性を感じた。やはり「どぎつさを和らげる目的」があったと思う。白黒によって気分の散らかったジェシーくん(Woody Norman)が点景としておさまる。もしカラーだったら未来のミライのくんちゃんに対して感じたようにむかついてしまったかもしれないw。
ジェシーくんは多動症のようだが、その不安定さも含め、まるごと受け容れようと奮闘する大人が描かれる。
達人の映画だった。撮影も演技者も演出もさることながら、人物の大人っぽさに圧倒される。
かえりみて、わたしたちは、どんだけ子供っぽい世界に住んでいるのだろう──と思ってしまうほど、成熟した人々が描かれていた。
ジョニー(ホアキン・フェニックス)はラジオ向けドキュメンタリー製作のため各地を転々としているが、妹のヴィヴ(Gaby Hoffmann)から息子ジェシーの世話をたのまれる。
ジェシーとの交流を描きつつ、ジョニーの取材活動である子供たちとのインタビューが挿入される。
映画撮影用に選っているとはいえ、そこ(インタビュー)には道理や知識に暗い子供は出てこない。
まるで美しい世界であるかのようにリッパな発言が返ってくる。
賢明な子供らときれいなモノクロの世界。
それと対比されるのが多動症のジェシー、認知症の母、パラノイアのポール(ヴィヴの夫/ジェシーの父)、ジョニーとヴィヴの確執など。──いわば子供達=美しい未来に触れながら、じっさいには混迷と困難にまみれるジョニーの葛藤が映し出される。
映画が伝えたいのは相手を理解すること。
気分が散らかったジェシーくんを通じ、かれがなぜそうなのか、原因をじぶんのなかに見ることができる“大人の成長”を描いている。
ひるがえって、多様性が進む社会(不思議な美しい世界)で、まったく理解不能にみえる人を知る努力をしよう──とこの映画は言っている。(と思う。)
Claire A. Nivolaという人が書いた「Star Child」という絵本をジョニーがジェシーに読み聞かせするシーンがある。
「Star Child」は少年の姿で地球に降り立った宇宙人の話。
内容が映画と重なる。
『最初は、手足を動かしたり、直立したり、新しい体の使い方を覚えなければなりません。走ること、手を使うこと、音を出すこと、言葉を作ることを学びます。
少しずつ自分のことができるようになっていくでしょう。
ここは静かで平和な場所ですが、あちらでは色彩、感覚、音が絶えずあなたを包み込みます。植物や動物など、想像もつかないほどたくさんの生きものに出会えます。
ここではいつも同じですが、あちらではすべてが動いています。すべてが常に変化しているのです。
あなたは地球の時間の川の中に飛び込むことになるでしょう。
喜びと恐れ、喜びと失望、悲しみと驚きなど──学ぶべきこと、感じるべきことがたくさんあることでしょう。
混乱と喜びの中で、あなたは自分がどこから来たのか忘れてしまうでしょう。
あなたは成長し、旅をし、仕事をし、もしかしたら自分の子供を持つかもしれません。
何年もの間、あなたはその、幸せで悲しく、満たされて空っぽな、常に移り変わる人生の意味を理解しようとするでしょう。
そして、自分の星に帰るとき、その不思議な美しい世界(strangely beautiful world)に別れを告げるのは難しくなっているかもしれません。』
ことば 言葉
モノトーンの画面。
少年と男性、男性と女性の静かな会話。
気持ちよく冷房の効いた館内で
心地よい眠気にたびたび誘われ
ふと気づいて再びスクリーンに向き合っても
ストーリーに大きな変化はなく
会話、電話、物語の読みきかせ、本の朗読
言葉の中に漂う。
一冊の詩集を休み休み読んでいるかのようにも
なんどでも言葉を交わすことで
なんとかお互いを、今の状況を
理解しようとすること。
アメリカにもこんな日常があるのか。
翻って自分は?
言葉が足りていない。
それを作る努力も足りていない。
そんな気になった。
未熟さに学ぶ。
久しぶりに感想を書き留めておきたい作品に出会いました。
ストーリーに起伏はあまりなく、モノクロなので視覚的に退屈に感じる人もいると思いますが、役者の技術と比喩的表現が精巧で、高い評価も頷ける作品でした。
最初は、ジェシーが家庭環境によって問題を抱えていて、それをジョニーが変えていく、もしくは不思議なジェシーの中に煌めきを見出すような作品だと思ってみていました。
しかし、お母さんの言葉に合ったように、すでに一人の人間としてジェシーが描かれており、誠実にジョニーが向き合うことで、子供と大人ではなく二人の人間の物語として描かれていたように思います。
子供たちへの未来についてのインタビューが、作中の一つ大きな核を担っていますが、どれも一人の人間としての未熟ながらに、立派な一人の人間の言葉として表現されており、一つのテーマに感じます。
ストーリーについては、ジェシーと、ジョニーは似た者同士で、お互いに成長、見方によれば補完し合っていく話だと僕は見て思いました。
特に二人が似ていたのは、感情を表に出さずに間接的に何かを伝えようとするところ。音楽や録音、音が一つのメタファーになってたような気もします。
その部分にジェシーの成熟さが見られましたが
やはり、ジェシーにはたくさんの未熟さがあり、そこに子供の面白さがあり、学ぶべきことがジョニーにはたくさんあったのだと解釈しています。
音。というのも一つ大きなテーマだったように思います。ジェシーのお父さんは音楽関係者でしたし、ジョニーも録音機を持ってラジオの制作をしていました。ジェシーも録音が好き。そんな音がこの映画で何を比喩しているのか、いろんな観点から語れそうですね。映像がモノクロなのも頷けます。
子供は大人の写し鏡
マイク・ミルズ監督は『人生はビギナーズ』という作品のみ鑑賞した記憶がありますが、内容はもう全く憶えていません。本作も非常に優れた作品でしたが、(悪い意味ではなく)恐らく直ぐに内容は忘れてしまう様な気がします。
ひょっとしたら、この辺りがこの監督の特徴というか持ち味なのかも知れません。
本作も非常に哲学的な部分もあり、テーマを理解するにはかなり難しい作品だと思います。でも感覚的に愛すべき作品だと思えましたね。
それと、モノクローム映像も非常に美しくL.AもN.Yもこれほど美しく感じられた作品は珍しいです。
少し前に観た『大人は判ってくれない』から62年も経つと“大人”もかなり変わったようです。
というか、あちらは子供目線からの内容でしたが、本作での伯父(大人)と甥(子供)は対等に描かれていたのでそう思えたのでしょう。
子供は62年前から何ら変わることのない存在ですが、大人は62年前からすると社会の変化に伴いかなり変化したのかも知れません。
62年前ではどんな生活レベルでも家庭を持ち子供を作るのが一般的な共通認識だったと思いますが、今はもっと個人の自由が尊重されて、家庭も持たず子供も持たないという本作の伯父(ホアキン・フェニックス)の様な存在もかなりの割合でいます。(私もその一人)
なので、日常生活で子供と全く接する機会のない大人達も増えてきて、そういう大人達が子供と接することにより不思議な化学反応が起きてしまうのかも知れません。
かいつまんで話すと、大人が子供に対して真面目で真摯な姿勢で対応すると、“子供”という存在の従来の概念が覆さてしまうというお話なんだと思います。
正直言って『大人は~』が作られた時代の大人(親)が子供に対する教育って、生活レベルによってはかなりいい加減(放任)で学校任せだったような気がします。逆に言うと今はどんな生活レベルであっても熱心(過保護)過ぎる傾向を感じられます。
昔の親の子供に対する対応の多くは見え透いた嘘ばかりでその場を誤魔化すといういい加減さから、今の大人の対応は全く現実的でない綺麗ごと(正論)を大真面目に並べ立てる妄信型に変わってきた様に感じます。
本作では伯父がジャーナリストという職業で、冒頭で色々な子供達にインタビューをし、その回答が余りにも大人びていて、観客の誰もが凄いと感じてしまうのですが、恐らくそれは上記した今の教育の在り方のせいであり、子供自身の意見というより幼少時の教育の成果が、あの大人びた回答になってしまっている様に感じられます。
しかし子供自体は昔の子供となんら変わらず、本作の様に普段子供と接する機会のない大人が一時的でもリアルに子供と向き合わされると、大人側の実態が子供に鏡の様に写し出されてしまう結果になってしまう。結局大人と子供とは対等であるというお話だった様に思います。
主人公に子供がいないという設定が、非常に利いていたのだと思います。
“だからどうした”という事は、鑑賞した観客の立場によって各々受止め方が違ってくるのだと思いますが、だからこそ私には興味深く観ることが出来ました。
観て良かった・観て欲しい作品・カモンカモン
素晴らしい作品。
不思議な気持ちが心に芽生える。
だが・勿論・・素人の私は、ただただ
目を耳を出来る限りの全神経を作品に
ゆだねる。私のうすっぺらな言葉では、
正直語れないのだが、伝えたい気持ちが
ワサワサ湧いてくるのだが・・
言葉・文字に置くと・うすっぺらい・うすっぺらい
私の中のカモン・カモンを上手く表現することは、
出来ないのだが、カモンカモンを観たと伝えたい。
誰に?すべての人達に。
なぜ?それは、この作品を好きになってしまったから。
どうして好きと言えるの?わかりません、でも好きなんです。
カモン・カモン・カモン
先へ先へ先へ
ホアキン・フェニックス主演。仕事での子供へのインタビューや甥っ子と...
ホアキン・フェニックス主演。仕事での子供へのインタビューや甥っ子との対話。ホアキンが甥っ子に謝るシーンでは、スマートフォンのサイトで紹介されている「謝り方」の作法に従って謝罪する。会話でなく対話。主人公は仕事でも甥っ子に対しても話し合いのプロセスに意識を働かせている。そうすることによってきこえてくるリアルな声。この子どもたちが大人になる頃には世の中が少しでも良くなっていないといけないと思う。ラストシーンでは甥っ子がホアキンに向けてメッセージを録音する。「C'mon C'mon」と。登場人物がデトロイト、サンフランシスコ、オークランド、ニューヨーク、ニューオリンズを巡っていて、ロード・ムービーのようだった。
日常にある小さな幸せを感じる
突然始まった甥っ子との共同生活をモノクロ映像で描いたヒューマンドラマ。日常にある小さな幸せを感じるなんとも愛おしい人生讃歌。劇中のサウンドトラックも素晴らしく作品をより一層引き立てている。
そして、タイトルが指し示しているカモンカモンの意「先へ、先へ」も印象的で心が打たれた。
2022-109
ジョーカーとジェシーが出会っていたなら…
甥っ子ジェシー(ウディ)を預かり暮らすことになった独身でラジオジャーナリストのジョニーおじさん(ホアキン)。
2人が暮らしはじめて間もなく、ジェシーの屈託のない物言いや奔放な振る舞いにとまどうジョニー。
慣れないこどもとの生活で疲れ果て嫌気がさしてくる。
少々気だるく疲れた中年男、自分ペースな一人暮らしからの差は大きく、任務果たせるか??と、心配は募る。
しかし
そうこうしながらその天真爛漫さと向き合っているうち
大人になりながらいつしか固めてきたジョニーの概念はほぐされ、ほろほろと剥がれていく。
ついには
ジョニーからふいに出てくる言葉の音色が和らぐ。
ーそうかもしれないな、ぺっらぺら
何気ない会話中、
ジェシーに自分のことを“ぺらぺら“だと言われ
笑いながらそう返すジョニー。
ここはポイントだろう。
こどもに言われた自分を単に卑下した復唱ではなく
真っ直ぐにむきあって解き放つ鍵を手にした言葉だった。
ジョニーにその鍵を投げたのは
他ならぬ、ジェシー。
錆びかけ、綻びかけたままのおじさんの様子にジェシーのピュアさが自然作用を促したのだ。
自分を緩め、許し、労わっている?
自分にやさしくないと、まわりにもやさしくなんてできないよ。
そんなことを
ジェシーは本能的にわかっているのだろう。
なんだか苦しそうだな。なんだか難しくしてるな。
ー伯父さんはばかのなかでも一番のばかだね。
とつぶやく。
そんな本能はこどもの特権か?
面白いのは物語の構成に
こどもへのインタビューシーンがジョニーの仕事として描かれ点在していているのだが
全てがリアルなものだということ。
つまりちゃんと聞いて
胸のなかに一度落として考えなければならない声。
どの子も真摯に大人が知らぬふりや本当に忘れてしまった部分をとらえ鋭くときにはふわりとつついている。
ある子が、大人についてこう答えた。
「20世紀によくあったこと。
相手をそのまま受け入れず
間違った方法でねじ伏せようとする。
今は自由に表現できると思えるけどーそうじゃない。」
胸がチクチクする。
大人たちが牽引する現世界の実情。
この子は、この先、
大人に諭され信じることができるだのだろうか。
だけどそれだけではないんだ。
ジョニーもジェシーと対峙する。
—笑ってる? 泣いてる?
ちゃんと対応したい…
とストレートに伝える。
これってジョニー、
自分自身へのことばだね。
しかも、ジェシーたちこどもが未来に希望をもてる
おとなの救いあることばだ。
そしてこう紡ぐ。
ー長年理解しようとする
幸せで 悲しく 豊かで
変わり続ける人生の意味を
そして
星に還る日が来たら
不思議な美しい世界との別れがつらくなるだろう
日々、私もみんなも
星に還る日が在ることを
実感する年代。
字幕に
自分のこころが映し出されたとたん
涙があふれた。
ー未来は考えもしないようなことが起きる
だから先に進むしかない
c‘mon c’mon
ジェシーが
そう語る澄んだ瞳に映るものを
ごまかさないで済む
世界とじぶんに。。。
静かなる戒めを感じとり
自分をほぐしながら、やさしく強く
永遠ではない毎日を進みたい。
そして
モノクロの意味は
訳知り顔になりがちかおとなが
目にうつるすべてをこどもとおなじように
ニュートラルにしたかったから
じゃないのかなと思う。
ホアキンとウディ、役を超えスクリーンを越え
どこかにいる2人だった。
知らなければ星に還るときまで
知らないままのことを伝えてくれる
素敵な映画。
幸せな2人
伯父と9歳の甥っ子。
モノクロで、多数の子供たちの声をBGMのように流す事で、生々しさが薄まってますが、かなり濃密なラブストーリーだなと。(勿論性的な要素は一切ありません)
愛する人がこの世界の何処かで生きている。
どれ程心強い事でしょうか。
子どもは子どもじゃない
ホアキン・フェニックス演じるジョニーが、色々と事情があってある期間だけ甥のジェシーと一緒に暮らすという物語。
ジェシーがまた世界中の木は菌のパイプで繋がっているだとか、陰謀論が好きだとか、風変わりな子どもだけれども、「おじさんはママと話をしないの?」(話は何度もしているが腹を割った話はしていなかった)などと聞くシーンは、繊細で敏感で鋭い彼の性格をよく表している。
また、ジョニーはラジオの仕事をしていて、アメリカ国内の移民の子どもたちにインタビューをするのだが、子どもたちの回答が漠然としてはいるが大人よりも的を射ているものがありハッとさせられた。
最後の方に、「おじさんは僕といた日々のことを忘れる?僕が覚えていてあげるから大丈夫」と話すシーンは、記録に残せるからと録音をしているジョニーにとって最も欲しかった言葉なのではないだろうか。
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