マイスモールランドのレビュー・感想・評価
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ラーメンと石っころ
作りはNHKの社会派ドラマの様なのだが、作り手と演者が真摯に向き合ってる感触が伝わってくる秀作。
何となく「文字(文章)」としては知っていたクルド人問題。そこに端を発した、日本での難民受け入れ問題を、静かではあるが鮮烈に描いていた様に思えた。「見て、知って、感じる」入り口として視点が色々とあるので、広く観て貰えると良いな。
日本人の引きつった笑顔の残酷さが多分に出ていたのも、「他人事にするなよ」と問われている様で素晴しい。
追記 : 評点修整。ラーメンを食べていて、お父さんの「ラーメンは好きに食べてね」を思い出していたのだが、内包していた気持ちに気が付いて泣きそうになった(苦笑)。あの場面の一連の会話は、娘達の立ち位置を知るためのお父さんの確認だったんだな。その為のオリーブの木の話。やはり丁寧に作られている。
そろそろうやむやにせず、国を挙げて対応すべき事態
作品中にも登場しますが、ずっと日本の学校に通う生徒が親の不法滞在・就労で国内退去の危機にあるニュースが連日流されたことがありました。
行政としてはその時々の法令に準じていて、手続きに瑕疵はないと主張するのでしょうが、親の都合で日本に連れて来られ、必死に努力してこの国に馴染もうとしている、その努力を踏みにじることなく救うことは必要なのだと、今作品を観て改めて強く思いました。
これからのことは法整備を確実に行うことにして、すでに居住している方の人権を尊重する方策を考える必要性を投げ掛けてくれました。
主演の嵐莉菜さんの高評価に負けず劣らず、相手役の奥平大賢さんの真っ直ぐかつ大人の世界に揺れ動く表情の一つ一つも魅力的でした。
とにかくたくさんの人に観てもらい、考えてほしいテーマです。
この問題を多くの人で共有したい
今週公開作でちょっと気になっていて、レビュー評価も高かったので、鑑賞してきました。そもそもクルド人について何も知らなかったので、とても勉強になりました。というより、日本人として日本で生まれ育ちながら、この国のことさえよくわかっていなかったことに気づかされました。
ストーリーは、幼い頃に難民として来日したクルド人家族が、難民申請が認められなかったために家族全員がビザを失い、就労も認められず、行動も制限される中で、父が入管に拘束され、進学や生活に行き詰まる女子高生サーリャの姿を通して、自身の居場所やアイデンティティの模索、日本の難民問題を浮き彫りにしていくというもの。
政治への問題提起ともとれますが、あくまで市井に暮らす人々の目線から、日常生活を描きます。それこそサーリャの周囲にいる日本人は、どこにでもいるありふれた人ばかりです。しかし、そんな人たちのなにげない会話でさえ、サーリャの心を波立たせます。例えば、サーリャがバイトするコンビニに来た客の老婦人は、「言葉が上手ね。外人さんとは思えない。」と優しく声をかけますが、サーリャの表情は複雑です。どんなに日本語が上手で、日本人と同じように生活していても、どこかで線引きされる悲しさや悔しさが滲んでいるようでした。私たち日本人が外国人を無意識に区別していることは、無自覚に差別していることなのだと改めて気づかされます。
また、在留資格を失ったことで、コンビニで働けなくなり、決まりかけていた大学推薦の話もなくなってしまいます。それまで歯を食いしばってがんばってきたサーリャにとって、これがどれほど理不尽で、納得のいかない対応だったことか。サーリャの心中を察するといたたまれない気持ちになります。
そんな生活に行き詰まったサーリャが、パパ活に手を出してまでクルド人仲間に頼ろうとしなかったのは、クルドのしきたりに従った結婚をしたくなかったからでしょう。密かに想いを寄せる、バイト仲間の聡太の存在もあったかもしれません。そんなサーリャの姿から、クルドだ日本だとひとくくりに考えようとすること自体が、そもそもおかしいのではないかとも思えてきました。サーリャはサーリャで、他の何者でもないのです。
本作はほぼ全編にわたってサーリャを中心とした日常生活が描かれるため、多くの人の共感を呼びます。自分も、憤りを感じたり、涙腺が緩んだりと、何度も感情を揺さぶられました。しかし、行政サイドからの視点が欠けていることを忘れてはいけません。国として難民申請をなかなか認められない理由もきっとあるはずです。ともすると一方的な見方に陥る危険性を伴うので、この辺りのバランスがもう少し取れているとさらによかったかもしれません。
主演は嵐莉菜さんで、自分の在り方に戸惑うクルド人少女を自然体で演じています。劇中の父、妹、弟は、すべて実の家族であり、自身も5か国にルーツを持っているため、これまでの経験がそのまま演技に生かされていたのではないかと思います。ほぼ出ずっぱりで、社会の仕組みや周囲の人々に翻弄されながらも、自分を見失わないように必死で生きる姿が感動を誘います。彼女のバイト仲間・聡太役は奥平大兼くんで、こちらもまた自然体の演技が秀逸です。
物語はまだまだこの先の不安要素が払拭しきれないまま終わり、サーリャの未来に光が差すことを祈るばかりです。そのためには、本作を鑑賞した人たちが少しでも意識を変えることが大切です。そういう意味でも、日本人も知らない日本の難民対応について問題提起した、本作の意義は大きいと思います。
嵐莉菜
この子、とんでもない逸材かも。
なんと言っても、とにかく綺麗。劇中で「お人形さんみたい」と言われるシーンがあるが、台本にそんな台詞を入れたくなるのも納得するくらい。
普段は大人っぽい雰囲気なのに、ちょっと不安気な感情が混じると途端に子供のような表情になる。かと思えば、同年代の子とはしゃいでいる場面では高校生らしい笑顔を見せる。
演技なのか元々の素養なのかは分からんがこの使い分けは凄い。
叔母役のサヘル・ローズの優しい眼差しも印象的だった。
物語は難民問題がテーマだが、政治的な色を押し出さず、それに翻弄される少女の等身大の日常を描いたのは好印象。
ゴリゴリのメッセージムービーよりも、こういう柔らかいヒューマンドラマのほうが心に残るし、伝わってくるものも大きい。
オーソドックスな良さ
入管のひどさや日本の司法を描く映画あるけれど、この作品も良い。この問題を表現で知ったのは「灰汁」というラッパーが入管と法務省への抗議を曲にしたのが最初だった。
そこから時間が経ち、具体的なひどさがメディアで取り上げられやすくなり、ここ何年かは実際に運動として、成果も挙げてきた。昨年の入管法改正阻止運動など。映画でも取り上げられるが日本人とのディスコミュニケーションに主人公は苦しむ。その前段階としてサッカーワールドカップについて話、国家と民族の違いを観客に理解させる作りも上手い。
パパ活の池田良は恋人たちチームでこんな感じの悪い男性役をよくやっている。日本人が悪気があって言うわけではない差別がどこも興味深い。市役所の役人が訴えの後の「はい」の間も、ということなんですねと聞いた体にして終わらせるのも強烈な演出だった。
監督は30ぐらいらしいが、堂々としたストーリーテリングも素晴らしい。こういった社会テーマを扱うと生真面目過ぎて中庸になったり、陰謀論めいてしまう作品もあるが、ユーモアと小道具を上手く使っている。観客は年齢層高めなのが少し気がかりだ。青春ストーリーとして見ても素晴らしいだけに。コーダも思い出した。
尾崎豊は柔らかい生活とかでも使われていたけれど、こちらは皮肉が効いている
撮影がドライブ・マイ・カーの四宮なのは意外と注目されていない。
困窮者を切り捨てる日本が目指す未来は?
祖国を失い難民として
日本で生活していたクルド人が
在留資格を失い行動の自由と仕事も奪われる。
事務的な手続きでサーリャ達の未来を
あっさり奪う場面に滲む日本像。
日本国民も含め困窮者切り捨てが
常態化した今の政府が目指す未来は?
本作ではあまり描かれていませんが
国連が避難するレベルの人権侵害が存在する
入管の問題も気になります。
話が少し逸れますが
入管や技能実習生に対する
理不尽な人権蹂躙のニュースを聴く度に
日本が本当に嫌いになります。
希望を胸に借金してまで来日した
何人の命が奪われたのか…。
身の回りのささやかな善意では
乗り越えることの出来ない高過ぎる壁に
絶望させられますが
多くの人に知って欲しい作品です。
映画を通して現代社会の問題を可視化する
難民問題は遠い国の話ではない
日本に住みながら難民申請が通らない人たちがいることを知らなかったし、知ろうとしてこなかった
どちらの国の人?なんて悪気のない言葉も無神経な質問に受け取られることもあるんだ
観賞後、このような家族に自分ができることはなにかないか、考えずにはいられない
覚悟
75本目。
昨日、死にいたる病を観ようと、イオンシネマ海老名に行ったら、席がほぼなく断念。
橋本で観れたかもと、ちょっと後悔。
でも当分観れないかもと、こちらを選択。
クルド人位しか知らない、恥ずかしい話。
話が進んでも壁しか見えてこない
最後は希望で終わるかと思ったら、覚悟。
その覚悟って、今迄の流れと今現在の問題も含めてだと思う。
必見…
難民申請を却下されたクルド人難民の親子の物語。
当事者キャスティングを検討するものの、彼らのリスクからフィクションとして描かざるを得ない、というところから既にして地獄は始まっている…
日本に居ても良いけど働いたら駄目よ、とか、どんな嫌がらせなのか…
国にいられないから助けを求めている人たちを、入管に無期限に収容するとか、故郷の独裁政権と同じくらいヤバいだろ…
今の日本という国の無慈悲さを端的に現してる…
そういう日本という国の、独善的なヤバさと、『外部』と判断した人達への無慈悲さを容赦なく描き出す。
フィクションであることでノンフィクションでは描けない真実を描いたこと、フィクションであることで当事者たちの機微を描いたこと、この映画の意義は計り知れない…
主演の嵐莉菜も、奥平大兼も、素晴らしい。
これ、必見ですよ…
ボーダーライン
是枝裕和監督率いる映像制作者集団「分福」の若手監督・川和田恵真さんが商業映画デビューを果たし、自ら書き上げた脚本を基に映画化した本作には幾つもの「ボーダーライン」が登場し、ヒロインで17歳のサーリャをはじめとした家族の行く手を阻んでいく。
先ず一番大きなものとして日本人とクルド人という「境界」があり、そこには言語や文化、宗教の違いが顕著としてある。
更にサーリャの一家は、父が抗議運動で国から追われる立場で日本に逃げてきたので、難民として受け入れてもらえないと「居場所」を失う。
ところが「難民鎖国」の日本は、そう簡単には難民認定はしない。
幼い頃から日本で育ち、現在は埼玉県の高校に通い、同世代の日本人と変わらない生活を送っているサーリャは、難民申請が不認定になり、一家が在留資格を失ったことで、恰も梯子を外されたかのように寄る辺ない状況になっていく。
そんな彼女を精神的に支えるのが、大学進学資金を貯める為のアルバイト先であるコンビニの同僚で同い年の聡太。
本作は、難民申請が不認定となり在留資格を失ったクルド人家族が直面する困難を描く社会派的な作品であると同時に、この聡太とサーリャが少しずつ気持ちを寄せ合っていく中で葛藤したり、自身のアイデンティティに悩む姿を描くことで青春物としての側面も持つ。
更には、サーリャと父、サーリャと妹弟との関係性も丁寧に描かれ家族ドラマとしての要素も内包している。
この多彩な作品は、社会でダイバーシティが叫ばれながらも、如何に実態が乖離しているかをまざまざと我々に提示していると思う。
誰一人として幸せにしないシステム
当然、そのことに異は唱えない。
人道に則る行為なのだから
大いに広げて行けば良い。
直近でウクライナからの避難民については
入国の条件を大幅に緩和。
現時点ではや千人近くにもなると言う。
時として政府専用機にも同乗を許可しているし。
日本国内に縁者が居なくても可能な限り受け入れをし、
居住・生活・就労・就学の支援に加え
給付金も出る、と。
翻って、本作の主人公たるクルド難民の場合はどうだろう。
詳細は語られている通りなのだが、彼我の差はどこに在りや。
迫害のされ方が異なるから?
戦火に追われたわけではないから?
肌の色が褐色だから?
英語を話せないから?
国をもたないから?
キリスト教者じゃないから?
閉鎖的なコミュニティを作るから?
故国へ戻れば命の危険があり
世界的に注目されている問題なのも共通、
なのに両者の間にはなぜか違いが生まれる。
片や入国管理局に収監されるケースもあり。
同所では、直近で不法残留の疑いで収容されていたスリランカ女性が亡くなったのは
記憶に新しい。
勤労意欲もあるのだから、
上手く折り合いを付けることはできないのだろうか。
外国人技能実習制度でもそうだが、
この国の国外からの人の受け入れ体制は、
どこかいびつ。
本作はそうした溢れ出る矛盾を、
高校二年生の少女の日常に仮託し描き出す。
突然に在留資格を失ったことで激変する生活。
破れてしまう将来への希望。
官の思惑一つでそれなりに幸せだった日々が
脆くも崩れて行く。
勿論、周囲は皆々善意の人ばかり。可能な限りで手を差し出すのだが、
それでも、この国の中で生きるつてを失った家族に対し
できることは少ない。
ドキュメンタリータッチでみせる手法もあろうが
監督の『川和田恵真』は異なる選択を。
多くの取材に基づき、一つの物語りとして
イマイマある矛盾を観客の前に提示。
あくまでも、小さな、しかし印象的なエピソードを積み重ねることで
詳らかにして行く。
しかし、少女は、そうした逆境をまるっと呑み込み成長する。
自身の出自をドイツ人と偽っていた過去からも脱皮し、
民族としてのアイデンティティを強く意識しながら。
『外国人に関わる』ではなくて『その人に関わる』ことの大切さ
入管、めっちゃ仕事おっっっっっそいですよね。
いや、まあ入管の仕事が遅いと言うより、在留カードの取得と維持のためのハードルが高すぎると言うか。
てか見直す気ないでしょ。全然。
……まあ、それはそれとして。
クルド人及び難民とは何かを知るための入門的作品。
実際の取材に基づく要素がふんだんに散りばめられており、難民申請が通らない→在留資格がない→仕事に就けない→生活費がない、という状況が非常に分かりやすく取り上げられています。
そこに加えて、クルド人のルーツと日本人でありたいという気持ちに挟まれる主人公の心境。
自分で進路を選択したい。
友達と一緒にいたい。
でも家族も大切にしたい。
その葛藤が手に取るように伝わってきました。
しかし本当によく取材された作品です。
在留資格も危うくなり、生活費がなくなった先に何が起きるか。
まさかそこまで描かれるとは思ってもみなかった。
なお、主人公の妹が「(主人公が通訳してしまうから)だからみんな日本語を勉強しないのよ」と言っていましたが。
日本で育った子どもが日本語ができない両親の通訳をするため、ずっと付き添っている状況。結構見かける気がします。
なんかこれ、コーダと同じですね。
どうにも日本人って、普段外国の方を見かける機会がないほど、彼らと接点を持つことを嫌がる傾向にありますが。
外国人に関わる、ということではなく、その人に関わる、ということが大切なんですよね。
その辺の視点を、改めて崎山聡太くんという登場人物を通して学ぶ機会になりました。
くそイケメンですよね、こいつ(言い方)。
なお星4なのは、なんで難民申請が通らなかったんだろう、とか。映画を観ただけだとその辺がよくわからなかったからです。
あともう一歩。
クルド料理メソポタミア、超行きたい。
難民問題は置いておいて、映画として良い
難民問題はとてもセンシティブな問題だが、そこを置いておいても映画として良かったです。
主演の嵐莉奈さんは知りませんでした。モデルさんなのですね。美しすぎると言って良いほど綺麗ですね。
海外の人が多いので演技がどうこうとか言えないけど、単純に映画としてとても切なく、いろいろ考えさせられ、うるっと来て、感情移入しやすい。
唯一、分からなかったのは3つの言語という所。日本語は分かりますが、あとはクルド語?この当たりがよく分からなかった。恐らく、迫害されてもともとの自分の国の言葉を使えないということなのだろうけど。最後のセリフはクルド語なのかな?
難民問題は難しい。簡単に「難民受け入れ」と言えるのは難民問題が自分とは関係がないと思っているからだと思います。もし、難民を沢山受けいれて、自分の仕事を奪われると思ったら簡単には賛成できない。同時に、日本人で困っている人もいるので海外の人は後回しとも言えない。
この映画で現実の一面を知るにはとてもありがたい映画です。子供たちにも見て欲しい。
コンビニで海外の人が働いていたら、「どこの出身か?」と思います。簡単に「どこの国の人ですか?」って聞いていた。この質問に答えられない人がいる、それだけで傷つくこともあるのだと知ることが出来ました。
国を失った民族
埼玉県川口市で長いこと暮らしていたが、難民申請が通らず、仮放免となったクルド人家族の話。
母親は亡くなり解体屋で働く父親のもとコンビニでバイトをする女子高生の主人公と、中学生の妹と小学生の弟と暮らすクルド人家族。
国籍はわからないけれど、父親が出身国でデモに参加し、帰国すると逮捕されるという状況らしいが…そこの辺りはあまり明確にはされませんでしたね。
そういえば一緒くたには出来ないしクルド人ではないけれど、2021年の東京オリンピックの際にも抗議行動をして自ら難民になった人が居ましたし、出稼ぎ目的で難民申請している人も多数居るので、日本では難民申請がなかなか通らないという現状をどうこういうつもりはありません。
今作で描かれて居る主人公は難民の子であり、彼女のアイデンティティは父親のそれとは異なるのは明らかで、ましてや妹と弟はもっとでしょうね。
主人公の苦悩や決意、そして周辺人物の変化や揺らぎなどとても響くし、考えたり議論する切っ掛けや材料にはなるけれど、即、日本の難民認定法がサイテーとか、もっと受け入れてあげれば良いのにーとかいう人が溢れ返りそうな偏りも少し感じた。
未来を選択できる自由
大切なことは全て映画から教わってきました。
日本の難民申請制度には驚くばかり。ウクライナの人々を受け入れている今、見ておくべき映画です。
主人公サーリャを通して、どちらのコミュニティにも属せない孤立感、制度に対する矛盾、夢に向かうことも許されない現実への葛藤が描かれます。
全ての子供たちに未来を選択できる自由を!そう願わずにはいられません。
上映後に川和田恵真監督と、クルド文化の監修や翻訳だけでなく作品に深く関わってこられたワッカスさんとの貴重なトークを聞けたので、そこで得た情報も交えてレビューします。
一人でも多くの方に見ていただけると嬉しいです。
ちなみに、ロシアによるウクライナ侵攻で日本に逃れてきた方々は“避難民”で“難民”とは別枠です。
自国にいると命が危ないという意味合いでは同じ立場だと思うのですが、政治や文化的な問題で自国に居られなくなった人の場合、日本が“難民”として迎え入れることでその国と日本との関係性が悪くなることを危惧して難民認定が難しい面もあるようでした。
クルド人が申請をして難民と認定される確率は他国で40%ほど。日本では今のところ0%だそうです。
そして、たとえ特別在留難民になれたとしてもビザは発行されない。
この映画で初めて仮滞在許可について知ったのですが、生活に制限をかける時点で個人の自由を奪っているわけで…。これって人権の侵害にあたるのでは?と感じます。
日本国憲法で定められている基本的人権の尊重は日本国民以外には適応されないってこと??
なかなか一筋縄ではいかない大人たちの問題が浮き彫りになりますが
では、親に連れられてきた子供達は??
『タヌキ計画』でも、在日ベトナム人の主人公たちが故郷の風景に似ている場所に行くシーンがありました。
原風景だと感じる場所が心の故郷だとすると、自国の風景の記憶が無いサーリャ達にとっては日本の景色が原風景になるのではないでしょうか?
この映画ドキュメンタリーだったっけ?と勘違いするようなファーストシーン。
私にとってはあまり馴染みの無いクルドの文化ですが、舞台となる埼玉県川口市は東京との県境で、蕨駅周辺にはクルドの方が多いらしく蕨スタンと呼ばれているそうです。
きっとクルドの方々のコミュニティがいくつもあるのでしょうね。
そんな「クルド人としてのアイデンティティを保ちながら日本で生きる」にも落とし穴があって
“結婚相手は親が決める”なんて、封建的で時代錯誤に感じるけれど、クルド文化ではまだまだ根強く残っている。
現代の日本で生きるサーリャにとって、クルドの文化を守りながらも封建的な部分は受け入れられない。
=子供たちが未来を選択できる自由=
アカデミー作品賞に輝いた『コーダあいのうた』は、耳の聴こえない親から生まれた耳の聴こえる子どもコーダ(CODA:Children Of Deaf Adults)が二つのコミュニティの間で家族の通訳者としての役割を背負っている問題にも言及していましたが、サーリャも日本語が出来ないクルド人の仲間の通訳者として頼られている。
ヤングケアラー問題も同じで、助け合うことは大切だけれども、その負荷が大きすぎるのには問題がある。
=子供たちが未来を選択できる自由=
そしてトドメに日本政府からの制限。
そんなの実際、生活できませんて。
未来への希望も絶たれ、生活の為に犠牲になる。
一貫して、子供たちが未来を選択できる自由について描いている気がしました。
いつの日か、どちらのコミュニティも属せなかった辛い経験が両方のコミュニティを繋ぐ存在となるような…
サーリャの真っ直ぐな視線の先には、そんな選択肢も含まれる未来があるかもしれないと思えました。
ドキッとするセリフに、グサッとくるエピソードの数々。
嵐莉菜ちゃんの瑞々しい演技が素晴らしい。
しっかり心が動く時間をとってからセリフに繋げる丁寧な演出で、サーリャの心の機微に寄り添えます。
監督から役者へ一方的に役の感情を押し付けることの無いよう、撮影の2〜3ヶ月前からワークショップを開いて準備したそうです。
役者同士がシーンについて考えたり、それぞれの感情を確認し合ったり。
嵐さんが実際に体験したエピソードも脚本に盛り込まれているそうです。
日本人が悪気なく発した言葉にこんなにも傷つき、どちらにも属せない孤立を深めていたのかと、無自覚だった自分に気づかされました。
追記
キャスティングについては、当初クルドの方を考えていたそうですが、難民申請中に出演していだだくのはご本人の将来に影響を及ぼすかもしれない為、断念してミックスルーツの方をオーディションしたそうです。
嵐さんの実際のご家族が家族役で共演されていますが、それぞれの役のオーディションを勝ち抜いて決まったそうですよ。
生まれてはじめて石に泣かされる
2022年劇場鑑賞106本目。
あまり期待しないで鑑賞したのですが、まず主演の嵐莉菜が美人すぎて、どこに今まで隠れていたんだと驚き。こんなコクラスにいたら緊張して目合わせられないよ!
クルド人といえば難民というイメージはありましたが、正直どうしてそうなっているのかは頭に入っておらず、この映画でめちゃくちゃ身になりました。
今回のウクライナの人たちが日本に来るにあたり、難民ではなく、避難民という扱いにしているのですが、他の国では数万人単位で受け入れている難民を日本では40人くらいという世界に恥ずべき難民に冷たい国だからというのはラジオのニュースで知ってはいました。
しかし難民認定されなかった人たちへの迫害ともいえる扱いは、殺人を犯したのとほとんど変わらない待遇で、日本大好きな自分ですらちょっと日本が嫌いになるほどでした。
この作品に度々出てくる石。その石が出てくるあるシーンで自分でもよく分からないのですが涙が溢れてしまいました。日本人にこそ観てほしい傑作です。
さすがにハグ5分は長いでしょう。
世の中不条理だし、努力は報われやしない。
ヒーローや、魔術師はムダに声を揚げる人には救いの手を向けるが、
声すら揚げられない追い詰められた人たちは平気で見捨てる。
他人はその場しのぎの優しさで、何も出来ない自分の罪悪感を軽くしようとするだけで、その人たちに向き合おうとはしない。
ヒロインはそんな境遇でも生きていこうとしている。
そんなラストシーンのヒロインの表情に言葉が出なかった。
#34 難民を受け入れている今だからこそ観るべき映画
ウクライナからの難民を国をあげて受け入れている今なら、本作の主人公であるクルド人が難民として認定されない理不尽さがよくわかる。
難民を受け入れる文化のない日本に、クルド人難民がどういう理由でやってきたかはわからないが、国を離れなければいけない理由が今のウクライナ人と変わらないのに、かたや国費で難民を受け入れ仕事や住居まで斡旋し、かたや難民認定すらせず移動場所まで制限するのはあまりにも理不尽。
主人公の女の子の長女だから無駄に頑張っちゃう気持ちも、次女が姉に向かって自業自得という気持もどっちもわかる〜。
あと主人公と恋人未満友達以上の彼氏の関係が泣ける〜。
こんな背景さえなければとっくに恋人同士になれてただろうに。
映画としても良いけど、社会の仕組みの理不尽さを学ぶためにも是非全日本人に見てほしい一作。
【帰る国の無いクルドの民に対する、出入国在留管理庁の体質、法制度の仕組みを背景に、日本で生きるクルドの民の心情を綴った切なき作品。”弱き者に視点を置く、”分福”の映画製作の姿勢には頭が下がります。 】
ー 私が、法務省管轄の出入国在留管理庁の、腐り切った隠蔽体質及び仕組みを知ったのは、名古屋出入国在留管理局で、小役人の杜撰な対応により命を奪われたウィシュマ・サンダマリさんの事件を知り、その後、昨年秋「東京クルド」というドキュメンタリー映画を見たことが切っ掛けである。(お時間のある方は、「東京クルド」のレビューも、記載したので飛ばし読みして頂けると、当方の想い(鑑賞直後に書いたので、怒りの余り日本語がオカシイ所もあるが、敢えてそのまま記載。)
”これで、良く法治国家等と言えたものだ!”。と可なり憤慨した事を覚えている。
だが、ウクライナ情勢と同様に、出来る事と言えば僅かな応援資金提供位で、何も出来ていないという事が恥ずかしい限りである。ー
◆今作の感想
・「東京クルド」で描かれた多くのクルドの民の生き様を一つの物語にしたように感じ、法制度も理解していたので、今作は冷静に観る事が出来た。
- 出入国在留管理庁の若き職員が淡々と、在留資格証を使えなくする様が、現実味を帯びて見えた。-
・難民申請が不認定となり、デモに参加した事でサーリャ(嵐莉奈)や妹、弟が幼き頃、日本に来た父が入管監獄に入れられ、サーリャ達もの行動も制限されてしまうシーンは、切ないし、申し訳ないという気持ちになる。
・サーリャが淡い恋心を抱く”東京にある”コンビニバイト仲間のソータに2度、”クルド式出会いと別れの挨拶”をするシーンは彼女の苦しい日々の中、少しだけリラックスしている彼女の”人形の様な”美しき表情が印象的であった。
・入管の面会室にて、父に対して涙の講義をするサーリャ。
”私達をこの国に連れてきて、自分だけ国に帰るの!”
それに対して、父は穏やかな表情で言う。
”お前が生まれた時にオリーブの木を植えたんだよ。お母さんが亡くなった時もね・・。見て来ておくれよ。”
・父が身の危険を顧みず、脱出して来た国に戻る決意をした理由。それを彼女らを守る人権弁護士(平泉成)がサーリャに語るシーンも沁みる。
“数少ないんだが、親が帰国する事で、子供に在留資格が発行されるケースがあるんだよ・・。”
<切ないし、申し訳ない限りだが、この作品で語られた事は、現代日本で起こっている現実である。私達には今、何が出来るのだろうか・・。と考えさせられた作品である。>
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<以下、「東京クルド」のレビューです。>
ー 名古屋出入国在留管理局で、小役人の杜撰な対応により命を奪われたウィシュマ・サンダマリさんの無念さや、ご家族の怒りに対し、日本人であり、愛知県に住む者として心からお詫び申しあげます。
法務省管轄の出入国在留管理庁の、腐り切った隠蔽体質、人権を尊重する欠片もない体質は、民主主義を謳っている日本に住む者にとっては、”恥”意外の何物でもなく、あのような行政を野放しにして来た責任は、選挙権を持つ私たちにもあると思います。ー
◆感想(鑑賞中から余りに腹立たしく・・。レビュートーンがオカシイです。)
・名古屋出入国在留管理局で、ウィシュマ・サンダマリさんに、今作でも描かれた様態が悪くなったラマザンの叔父メメットさんの妻からの救急車要請を断った東京管理局の姿勢と同じように、適正な対応をしなかった“殺人致死罪”に問われてもおかしくない行為を行った小役人達は、今作を正座して5回鑑賞すべし。
・出入国在留管理庁の本来の責務を、今一度、研修により学ぶ事。
ー 法務省のHPに分かり易く、書いてあるだろうが!ー
・”難民条約”を端から端まで、キチンと読む事。
ー 描かれているように、オザンやラマザンやその家族は、命の危険がある歴史的に迫害されてきたクルド人に生まれたため、難民として遥々日本に来たのではないか。
フセインが、且つて、クルド人に行った蛮行を知らないのか!
”難民鎖国”などと、諸外国から呼ばれている事を”恥”と思え!ー
・ここで、伺えるのは日本とトルコの良好な友好関係である。
1890年に和歌山県沖で座礁したエルトゥール号海難事件に端を発した友好関係が、関係しているだろうことである。
ー この事件は映画「海難1890」で描かれている。
ちなみにこの映画は日本・トルコ合作である。つまりは、トルコにとっては厄介な存在であるクルド人と、日本の関係性を、入管が”忖度”したとも見て取れるのである。ー
・2カ月に1回、わざわざ仮放免許可期間延長に来る方々への言葉遣いを、日本人に対して話す言葉と同じように、丁寧語にする事。
ー 至極、当たり前の事である。
他の役所の方々の言葉遣いは、ここ数年で格段に向上している事は敢えて記載します。
殆どの役所の方々は、頑張っているのである。ー
<今作は、クルド人として生まれ、日本に辿り着いた将来に夢を持てないオザンと、苦しい中、夢を諦めずに努力するラマザンの聡明な姿を中心に描かれる。異国で助け合う二人の姿。
だが、徐々に日本の、出入国在留管理庁の建前と本音が見えてくる。
そして、その腐敗し切った体質と、人権侵害どころではない恐ろしい実態が見えてくる。
流石に、入管法改正案は廃案になったが、そもそもあのような法案が出てくること自体がおかしいのである。
日本が、”難民条約”に批准しながらも、国際的な役割を果たそうとしない姿勢。
”日本は、大和民族単独の国なので、多民族国家にはしたくないのです・・。”
と、どこかから聞こえてくるようだ。
微かな救いは、ラマザンが無事に大学に入学したシーン。ご両親の姿にも涙腺が緩んだし、メメット叔父さんが530日振りに、少し元気な姿で、何の罪もないのに勾留されていた入管監獄から、外界に出て来て、大きくなった長男と奥さんと再会するシーンが観れた事であろうか。
今作をきっかけに、日本国内でイロイロと大きな問題が発生する懸念(かつてのフランスの様な難民受け入れ反対運動。)は十分承知しつつ、日本が、国際的な難民支援の役割をきちんと果たす成熟した多様性を認める国に、一刻も早くなるように願っています。
それには、私の様な一般市民がカントリージェントルマンの如く、現在の政府の動向を注視し、選挙の際に正しい行動を取る事なのである・・と思った現代日本に生きる我々に、多大なる警鐘を鳴らす作品であります。>
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