劇場公開日 2021年11月19日

「スリリングな愛憎劇に目が離せない」パワー・オブ・ザ・ドッグ ありのさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0スリリングな愛憎劇に目が離せない

2022年4月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 フィルのマチズモは一見すると昭和オヤジの典型のような古臭さを感じるが、しかしよくよく考えてみれば強権によって他者を支配するという行為自体は現代でも身近に目にするものである。例えば、昨今のMeToo問題やパワハラ問題然り。世界に目を向ければ、一部の超大国による搾取や圧力が横行している。そう考えると、本作は普遍的なテーマを描いているという見方もできる。

 本作で面白いと思ったことは2点ある。
 まず、1点目はフィルの造形である。
 フィルのバックボーンには幼い頃に師事したブロンコ・ヘンリーという男が存在している。このブロンコは劇中には登場してこないが、今でも彼愛用の鞍を大切に保管していたり、彼の思い出を度々反芻することから、相当フィルは彼に信奉していることが分かる。きっと現在のフィルのようにさぞかし厳格な西部の男だったのだろう。
 ところが、映画の後半に入ってから、ブロンコには”ある秘密”があったことが分かってくる。それは男らしさとは程遠い、全く意外な秘密である。フィル自身もそのことは理解していて、そこも含めて彼を信奉していたということが分かる。こうなってくると、途端にそれまでのマチズモが滑稽で憐れに見えてくるようになる。フィルの強さの裏側には、他人には言えない弱さがあったのだ。
 この表裏のギャップが自分にとっては意外であったし、フィルという人物の深層を探る上ではとても興味深く観ることが出来た。

 2点目は、ローズの連れ子ピーターのミステリアスさ、そして彼をキーマンに仕立てた脚本の巧みさである。
 本作は全5章から構成されており、フィルとジョージ、ジョージとローズ、フィルとローズ、フィルとピーターの関係に注視しながら端正に紡がれている。個々のキャラの立ち回りは終始揺るぎなく一貫しており、その甲斐あって、彼らの愛憎劇には説得力が感じられた。
 そして、前段でしっかりとフィルの独善的なキャラクターを積み上げた先で、いよいよフィルの適役(?)とも言うべきピーターの登場と相成る。マチズモの権化フィルと花を愛する心優しい青年ピーター。二人はまったく正反対なキャラクターであり、その対峙は非常にスリリングに観れた。この”したたか”な脚本には唸らされてしまう。

 ピーターの造形も大変ミステリアスで面白い。
 初めこそ純真無垢な、か弱き青年として登場してくるのだが、実はフィルと同じように彼にも表と裏の顔があるということが徐々に分かってくる。
 最初にその片鱗を見せるのは中盤のウサギにまつわるシーンだ。ここではピーターに潜む魔性がショッキングに開示されている。その後も彼の言動などから彼の中に眠る”怪物性”は次第に頭角を現す。そして、クライマックスとなる第5章で、いよいよその本性は露わになる。その瞬間、自分は思わず息を呑んでしまった。

 ジェーン・カンピオン監督の演出も今回はギリギリまで攻めていると感じた。特に、フィルの隠された”秘密”に迫る描写はかなり際どい所まで描ていて驚かされた。カンピオンというとここ最近の作品は未見で今一つパッとしない印象を持っていたのだが、それは全くの見当違いだったと反省するしかない。「ピアノ・レッスン」の頃を彷彿とさせる不穏さと緊張感に溢れたタッチに最後まで目を離すことができなかった。非常に熱度が高い。

 キャストではフィルを演じたベネディクト・カンバーバッチの好演が印象に残った。最初は彼が西部の男を演じるということに今一つピンとこなかったのだが、実際に観てみると上手くハマっていて驚かされた。厳格さの裏側に見せる一抹の孤独と哀愁。そこに人間臭さが垣間見えて、どこか不憫さを覚えた。
 また、ピーターを演じたコディ・スミット=マクフィーは、ビジュアルからして強烈な印象を残し圧倒的な存在感を見せつけている。これまでも彼の出演作は何本か観ているはずなのだが、正直全く記憶に残っておらず、今作でようやくその存在を知った次第である。まさか「X-MEN」シリーズのナイトクローラーだったとは…特殊メイクをしているので分るはずもない。

ありの