死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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あまりにも良い実写化すぎる
私はサイン本を所持する位原作が好きな櫛木理宇ファンなんですけど、そんな立場から今回の映画について述べますね。
第一に感じたのは原作への深いリスペクトです(ろくろを回すポーズ)本来実写は原作を1部カットして作るからその取捨選択が非常に重要やけどもこの映画はそれがべらぼうに上手い。他の実写にも見習って欲しいレベルに上手い。というかちゃんとしている。絶対外しちゃいけないところを抑えている。
そして阿部サダヲの演技が良い~~~ここのキャスティングだけ原作と違う感じで出てきたから疑問やったけど全部見て納得しました。
もし原作通りのモデル並みの美形設定を遵守してイケメン俳優がやってたら浮世絵感が強くてここまで恐怖が現実に侵食する感じはなかったと思うし、あとは美形設定を無くすことによりそれに関するエピソードを削れたので上手い原作カットのやり方だなあと思いました。原作は原作の、実写は実写のそれぞれの魅力が引き立ってて最高でした。
映画がとってもいいからこそ原作も読んで欲しいとなる映画でした。原作読んでくれ!!!!
完全に"凶悪"の下位互換
2022年劇場鑑賞32本目 佳作 57点
そこそこ期待していた作品。
正直どう監督の作品、凶悪の方が数段上でした。
まずタイトルや予告から岡田健史くんが阿部サダヲと血液的な関係があってていうのが病という言葉と短い映像で読めていたから、その通りでそんなにつまらなかった。
終わり方の落とし方が、うううううんんかなあ。
嫌いじゃないです、是非。
もっと狂気的だったら・・・。だけど
タイトルや宣伝を見て気になって観に行きましたが、
思いのほか、怖さや狂気を感じなかった・・・。
ただ、ラストシーン(原作とは違うみたい?)がすごく好みで、
良かったです!
終わり良ければ総て良しではないですが、個人的にはそこそこ良かったかなと。
答えは原作の中に、、、
阿部サダヲさんが主演ということで、絶対アタリだろうなと思い、観に行きました。
結論から言うと、アタリはアタリでした。
俳優のみなさんの演技力はさることながら、こちらにもジッとり、イヤ〜な空気をずっと漂わせる演出、脳裏に焼き付く辛辣な描写。
どれをとっても素晴らしい映画だったと思います。
ただ、鑑賞後、何かが足りない、欠落している、という印象を持ちました。
榛村大和がそこまで魅力的か?(阿部さんごめんなさい)
だとしても、それはどこでどう身につけたのか?
虐待を受けていたとはいえ、なぜそれほどの人数を手に掛けたのか。
なぜ被害者の爪を収集していたのか?(←これについては劇中で、被害者の指や爪が榛村の母のそれに似ていたという描写がありますが、だからと言ってそこまでするかな?という疑問が残りました)
あとは、被害者の遺体(骨)を庭木の下に埋めていたことです。
殺人犯の気持ちは分かりませんが、都合の悪いものはどこかに埋めて終わりなのでは?と思いました。
なぜわざわざその上に庭木を植え替えたのだろう、、、
と、様々な疑問がありましたが、原作を読んで全ての謎が解けました。
映画を観た後は「こんな残忍な人、滅多にいないよね」という印象でしたが、
原作を読んだ後は「家庭環境やその生い立ちで、人はどんな酷いこともできてしまう」という印象を持ちました。
原作のほうが榛村の生い立ちについて、より詳細に書かれています。
わざと映画の方はそういったところを省き、あくまでフィクションというスタンスを保ってくれたのかなと思います。
すごく痛そう
最初のシーンはとても美しい。
桜の花びらに見えたもの、実は、、。
直視できないシーンには、これは失敗したかな?と。
刑務所に入ってまで人を操る不気味さ。
わざと捕まって次のステージに行こうとしていたのか。
なんだかCUREをもう一度観たくなった。
『羅生門』に通底
物語の事情背景を提示する冒頭の展開は、非常にテンポが良く、中で残酷なシーンも織り交ぜながらも、カットを小刻みにつないで次々とシーンが入れ替わり、一気に観客を本作の独特の世界に引き込むことに成功しています。そのシナリオと手法は巧みです。
少年少女24人を殺し収監中の連続殺人鬼・榛村から、1件だけ紛れ込んだ冤罪事件を調査してほしいと依頼された落ちこぼれ大学生・筧井雅也。本作はミステリードラマの常道を辿り、この一見事件に無関係の筧井雅也の視点で映し出されていきます。それゆえにもどかしさと間怠さを見せつつ、一つずつ謎が解かれ、事件の真相に一歩ずつ近づいていく痛快さを観客に感じさせていきます。
但し、謎解きのプロセスでは、榛村の暗示と寓意に満ちた言葉に翻弄されながら、意外な自らの出生にも遡り、物語は混沌を極めミステリーがいつの間にかスピリチュアルで無気味な話にすり替わっていくという、本編が進むにつれて結末がどんどん不透明に陥っていきます。
そもそもが、榛村と筧井雅也との会話が本作の原点であり、都度都度の作品の進行を司るのですが、二人の対話は拘置所の面会室での制約されたものでしかなく、映画が進行するにつれ、本作の実態は、筧井雅也が手掛かりを求めて彷徨いながら一つずつ証拠を積み上げていく謎解きにあるのか、それとも或る意味で哲学的な二人の会話にあるのか、観客にも訳が分からない錯乱状態に導かれていきます。
二人の会話は、透明の仕切版で隔てられており、このアクリル板の反射を実に巧く使って同時に二人の表情を映しながら進むこのシーンは、本作の肝であり、榛村を演じる阿部サダヲの柔和でいながら殆ど無表情で淡々と話すだけの演技は戦慄させます。特に輝きと生気の失せた眼つきには、生理的な恐怖を感じざるを得ません。
アクションのない映像なので、ひたすら人と人との会話のみの映像ゆえに、人物の上半身、特に顔の寄せアップ映像がやたらと多く使われ、食傷しながらも観客を一種のトランス状態に置くことには効果的でした。
ミステリー仕立てではあるものの、サイコスリラーでもあり、私は、巨匠・黒澤明監督のグランプリ受賞の70年前の名作『羅生門』に通じる、人間のエゴイズムの醜さと不条理性が通底しているように思えました。
が、『羅生門』はラストで、それでも未来への希望を仄めかせたのに対し、本作にはただただ茫漠とした乾燥した砂漠の風景が残像に残るのみでした。
魅力的な殺人鬼
時間があったから見てみた映画。連続殺人鬼榛村大和からの一通の手紙から、ある冤罪事件を調べる事になった大学生筧井雅也。本当に冤罪なのかどうか、調べて行くうちに榛村に同調・同化していく雅也。この同調して行く様を面会室の仕切りのアクリル板に両者が写り込む事で上手く表現していた。ストーリーは、いささか単調だが、俳優陣は流石である。阿部サダヲの榛村大和は、魅力的な殺人鬼であり、見るものを惹き付ける。岡田健史も鬱屈した様から、榛村に同調し変化していく様を上手く演じていたと思う。映画全体としては、面白かったと思う。
見応えあり
阿部サダヲに尽きる。
阿部サダヲを堪能する映画。
そして、人生ゲームを体感する映画。
誰かのゲームの登場人物で一生を終わるのはちょっとねえ?
人生ずっーと操られるゲーム。
映画の世界で良かった。
ン? もしかしてこの感情も…?
という訳で、全く光のない映画。^_^
なんじゃこれ
わたしにはこの映画は、親から虐待を受けて育った人を単にネタとして消費した、娯楽にもホラーにもサスペンスにも、もちろん社会派にもあるいは心理ドラマにもなっていない、最悪にタチの悪い映画としか思えませんでした。
阿部サダヲさんの演技に注目が集まっていますが、演じている人は楽しいかもしれませんが、こっちには何の説得力もありません。「愛想の良い/魅力的/優しい/人が、実は悪人/殺人鬼/シリアルキラー」って設定、いつの時代感ですか?
子どもに声をかけただけで警察に通報される時代なのに、いくら高校生相手とはいえ、あそこまで親切にしてたらその時点で相当怪しいですよ。
「愛想の良い/魅力的/優しい/人が、実は悪人/殺人鬼/シリアルキラー」という設定がかつて生きていたのは、人への素朴な信頼があったからであり、コミュニティが機能していたからこそ、なんであり、それへの束縛感や弊害を強く感じる心理が人々にあったからこそ、なんで。
いっそ、パンにマインドコントロール用の薬物でも入れてくれてたなら、話しはまだ分かります。
ただ、これではパン屋さん(榛山=はいやま)の流儀に合わない、ということになるでしょう。
榛山は、時間をかけて信頼を得て親しくなった相手をいたぶり殺す、というやり方で連続殺人を行っているのです。
その割には、昔はえげつないやり方で小学生に暴力三昧ふるっているので、「秩序型殺人犯」の割に一貫性のないヤツですが。
時代感については、そればかりではありません。
榛山がシリアルキラーということで、『羊たちの沈黙』のレクターなどと並んで語られていますが、
『羊たちの沈黙』は1991年の映画。
1991年時点では、まだ家庭内の虐待は大きく表立っていませんでした。
あるいは#MeToo運動もなかったので、強い立場を利用し性的搾取を行う人間が存在することは、一般には知られていませんでした。
多くの勇気ある人たちが、自分のような被害者をこれ以上出したくないという思いもあって告発することで、表面化/社会問題化したのです。
人間の深層、社会の深層、家庭の深層の闇を、語ることもできない時代だったからこそ、シリアルキラーものにはインパクトがあり、そのインパクトが深層の闇をじょじょに解放する契機になった、といってもさほど見当違いではないはずです。
今は、「その後」です。言ってみれば続編、もしくは続々編。『スターウォーズ』の『エピソード8/最後のジェダイ』くらいの感じ。今描くなら、今にふさわしいシリアルキラーものでなくてどうする?!
制作スタッフもその時代感は感じているのでしょう。榛山は最初から獄中にいますから。シリアルキラーはすでに「拘束」されて自由はないのです。できることと言えば獄中からあちこちに手紙を書いて、相手の行動をコントロールしようとするくらい。
ですが、いったい、何がしたくて、そんなことをしているのか不明瞭すぎて退屈です。
榛山が〝操作中〟の青年=筧井雅也が、榛山の影響なのか、通りすがりのサラリーマンをボコボコにするシーンがあります。その時「殺すことはできなかった」のを理由に、「僕はあなたの子ではないと分かった」と榛山に告げる雅也。
つまり、殺人は「遺伝」要素で行うかのように描いている。
てことは、榛山の父とか祖父も殺人鬼なんですか?
「遺伝」を殺人理由にするなら、榛山があんだけ殺人してたのも、理由は遺伝ってことですか?
だったら虐待なんか関係なく、もっと恵まれた人間をシリアルキラーにしてもおかしくない。
たとえば、文化庁に勤めるようなエリート人間を。
雅也にしても、榛山みたいな怪物相手にコナンばりの推理を展開できるくらい頭がいいのに、なんでFラン大学なんですか? (「どうしてそんな事わかったの?」ってびっくりする名推理。まさか、岡田なる新人役者にかっこいい役を与えるための脚本ではないですよね)
あんだけ頭いいなら、祖母が校長で父親も高収入?なら、金かけて教育させれば一流大学に入れるでしょう。
(現代の格差社会では一流大学に入るには金は一番必要です。地方出身というハンデもあるので)
そこを父親に虐待されて「自己評価が低いから」という理由?で希望大学に入れなかったというのは安易すぎるし、そもそも、父親が虐待する理由が分からない。なんでもかんでも虐待の大安売りはやめてほしい。
で、結局、父にビール注いだりして(まあ、これが本編中、一番怖いシーンとなったわけですが)、「実の家族ってイイネ」的な場面を作ちゃうあたりに文化庁の香りがすると思うのは気のせいなんでしょうか。
映画の公式の宣伝文句にこうあります。
「誰もが翻弄される、戦慄のサイコ・サスペンス」
「映画史に残る驚愕のラストに トリハダ」
この宣伝文句、まるで榛山が猫なで声で言っているみたいです。
「この映画はね、映画史に、残るよ。
ラストシーン、驚愕だろ? これにトリハダ立たない人、いないよね。
観た人みんなが、翻弄される。
最高の、サイコ・サスペンス って、この映画のことだよ。
サイコ・サスペンス、知ってる?
狂った心理を描いたサスペンス、ってこと。
観たら、忘れない。一生、忘れない。
狂いぎみの僕が言うのも、可笑しいけどね。」
つくづく、褒めてりゃいいってもんじゃないです。
こういうのを信じてちゃ、ナマツメはがされて連続殺人されます。
シリアルキラーの生き方
シリアルキラーは人を巧みに騙し、好かれ、そして殺す。 フィクション要素が強かったのでそこまで見終わってから気持ちが落ち込むことはなかったです。
が、やはり最初の拷問シーンはリアルで痛かったですね。最近の特殊技術は凄いなぁと感心して見てください。 面会室で重なる榛村と雅也の描写、触れる事はありえないのにそこに存在してるであろう存在感や距離感、圧迫感。心を掴まれる誘導的な会話や仕草。
手の仕草を真似ているように見えたのですがそれも親近感を持たす為の癖の真似のようなものなのでしょうか。
ちょうど良い緊張感と色々な人の視点で進む話にひさびさに時計を気にせず飽きる事ないあっとゆうまの映画でした。 若い時の榛村がいつもの安倍サダヲさんで安心しました。加工アプリを使っているような肌質でしたね。笑 この緊張感と引き込まれる空気感は是非映画館で見て欲しいと思います。
最後の灯里の考察はいろんな人の意見を聞きたいですね。腕の血を舐めるのはやりすぎだよ…と思いました。
こえーよ。
冒頭の痛々しいシーン、「もうっ、こえーよ!」って感じ。
おしゃれなパン屋さんとか、今後疑ってしまう。
ポスターの阿部サダヲさんの目も怖い。よく見ると怖い。吸い込まれそう。
冒頭と兄弟カッター対決のシーンさえ乗り切れば、
痛々しい白石和彌色満載シーンはほぼない。
中山美穂さんみたいな性格の人いるよね、うんうん。
割と予想外の展開も多いので失速せずに映画を楽しめた。
ラストの同級生の女の子には驚愕!!!
相対的にこえーよ!
怖かった
怖かった本当に怖かった。そしてGシーン結構キツくて辛かった。でも面会シーンのガラスの影とか、役者さんの演技といい、メイクといい、演出素晴らしいです。
もっと法の穴とか警察の捜査を批判する感じかと思ってたけど、全然違ってひたすら阿部サダヲこわい。
雅也くんそっちいっちゃダメェーって感じでしかも終わってるのに終わってない。種は山ほど撒かれてる可能性があるとか本当に怖い。
阿部サダヲの演技力も凄かったけど、それに劣らないくらいほかの役者さ...
阿部サダヲの演技力も凄かったけど、それに劣らないくらいほかの役者さんの演技も良かったです。
内容もそこそこ面白かった。
良い意味で変態な監督の作品
予告の阿部サダヲさんが怖すぎて、
先に薄めておこうと、原作急ぎ読了。
薄まるどころか、
拷問シーンは、字面からの私の創造をはるかに超えていて…
恐怖に震える…
どころか、見れなかったに近い。
というか、見ていないに近い。
パンフレットに記載があったけれども、
監督、あの拷問シーンを嬉々として撮影されていたとか…
やはり、変態!(苦笑)
だから、このような飛び抜けた娯楽映画が撮れるのでしょうね。
にしても、やはり、白石監督の演出はスゴいなぁ…
あの二人、大和と雅也でしかなかった。
あんな人いたら嫌だけど、いるわけないけど、
阿部サダヲじゃなくって、もう実際の大和っていうシリアルキラーにしか見えんのだよ。
雅也も一輝も衿子も、全員、それこそ別バースで実在してんじゃない?
と思えるぐらい、その人そのもの。
だから、阿部サダヲさんと岡田健史さんの演技対決でもあるのだけれど、
それよりも、大和と雅也のタイマン勝負のようで…
大和の落ちていきそうな空虚な眼と、徐々に強い光彩を放っていく雅也の眼と、
そのどちらにも引き込まれそうになって、
ただただ、自分の脳ミソよ冷静でいてくれと思いながら、
浅い呼吸のまま、集中していたようで、観終わった後、放心気味でした。
しんどかったぁ…。
しんど過ぎて、途中、なんだか笑いそうになったから、
もう三周りぐらいしたら、コメディとして観れるのかも知れん。
原作を巧く脚本されていますが、
良い意味で別物かも。
追記
ただ、大和の若いときが、芸人の永野に見えたのは私だけでしょうか…笑
白石和彌監督こそがマジでサイコパス
私は白石和彌依存症になってしまっているので観ずにはいられなかった。「孤狼の血 LEVEL2」のピアノ教師のシーンといいい今回の猟奇的殺し方といいもっと早く気付くべきだったが彼こそがタランティーノや三池崇史以上の変態サイコパスである。リアル社会でやったらアウトだが映画なら罪に問われないと思ってこんな撮影現場が楽しくてしょうがないとのたまうのである。頭の通夜の会食シーンで監督がチラリとカメオ出演している(と思う)誰も指摘していないが間違いない。ストーリーは「羊たちの沈黙」にかなり似ているのだが阿部サダヲの演技があまりに平板すぎて怖さが無くレクター博士には遠く及ばない。ニコニコ優しそうにしていれ良いというものじゃないだろう。こんな小さな田舎町で24人次々と殺されて高校生たちが通っていたパン屋がもっと早い段階で疑われてしかるべしだろう。ストーリーをひねくり過ぎで若いころの犯罪を後出しするのは明らかにズルくて今の映画は意外性が無いと許されないのか?それにしてもたいへん後味の悪い映画で観たことを後悔いたしました。
静かなのが良い。
支持。
サダヲ、レクター以後数多の知的殺人鬼の中で新味あり。
それでいてサダヲ的には何ら新演技法ではないのが何だか嬉しい。
近頃に珍しい全編の静かな印象が心地好いだけに、終盤の歪な捻りは余計か。
架空OL日記で奇跡の天然演だった佐藤玲か、好きだ。
ミポリンも案外演る。
なんかどうした?
白石和彌監督、大好きです。
阿部サダヲ、岡田健史、サイコーでした。
だ・け・ど
クソつまんねー映画になってたなー
なんでだろう
白石節はでてたけどね
でも、まったく、駄作
残念ながら駄作です。
ごめんなさい。
文化庁もやたら助成金だすのやめた方がいいよ。
食い物にする企業がたくさんよってたかって(T北新社とか笑)
飛ぶ鳥を落とす白石監督を名指しで仕事ふってるんだろうけど
すべってるよ
まじで
小説を購読してるものからすると、、
演技は皆さんとても素晴らしいと思いました!
しかしタイトル通り小説を購読してるものからすると、阿部サダヲさん演じる榛村は端正な顔立ちという設定。阿部サダヲさんもとても素敵な人だとは思いますが端正というより愛嬌さがある顔なので、その点はうーんという感じでした笑
しかしそこは持ち前の演技力でカバーできていたと思います!
二転三転、俳優にやられた!
シリアルキラーからの手紙で、閉塞した生活が動き出すコミュ障な主人公を岡田健史が好演。こんなにうまい人だったんだー!(感情のない目の阿部サダヲは言うまでもなく素晴らしい)
小さな所作や台詞で各キャラの正確や背景が明確になって、謎や人生がだんだん見えてくる細かい演出も緊張感もって最後までひっぱられる。
そして、最後のシークエンス。ノーマークでした。でも言われればそうです。やられたなあ。
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