劇場公開日 2022年1月28日

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「"わたし、サクラ・レビュアーではありません…笑"な映画」Pure Japanese stoneageさんの映画レビュー(感想・評価)

0.5"わたし、サクラ・レビュアーではありません…笑"な映画

2022年2月28日
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鑑賞方法:映画館

作品タイトルになっている"Pure Japanese"という言葉。

ピュアな日本人?

「ピュア」と言うと、日本語では「心が綺麗な」「純心な」「初心(うぶ)な」「性的に未経験な」といったニュアンスだと思いますが、この作品では「"血"に混じり気が無い」、つまり「外国人の血が入っていない」という意味で使われていると思います。

「純日本人」とでも訳せば良いのでしょうか?
意味としては分かりますが、日本語の表現としてはあまり使われない?ような気がします。「純日本人」という言葉そのものも、もしかしたら英語(=pure japanese)からの訳語なのかも知れませんね。

もし日本語で敢えて言うのなら、「生粋(きっすい)の」という表現の方が近いのかなと思います(しかし、同時に、血が純度100%の大和民族なる者が、果たしてこの世に存在するのか?という疑問も湧いて来ますが…笑)

ちょっと余談ですが…。

昔、南米のとある国(スペイン語圏)の、日系人の多い地域に住んでいた事があります。そこでよく(日系人ではない)現地の人に聞かれたのが「お前は、japonés puro(=pure japanese)か?」というものです。「お前は、日本生まれ日本育ちなのか?」というニュアンスだったと思います。日系人とは雰囲気の異なるアジア人が珍しかったのだと思います。

ただこの時思ったのは、"pure"という言葉には、そんな使い方があるのだなと思いました。「頭のてっぺんから足の先まで純度100%(の日本人)」と言いたい時、pureという単語を使うのだと思い、日本語の発想にはない使い方だなと思いました。日本語の"ピュア"という言葉から想起されるイメージとは大分違うなと思いました。

前置きが長くなりました。
で、この作品…。

主演のディーン・フジオカの企画・プロデュース作品。外国帰りなのか外国育ちなのかは知りませんが、(日本で)子供の頃に英語の歌を歌いながら帰っていたら、いじめられた…という劇中のエピソードは、もしかしたらこの人自身の実体験なのかなと思いました。三島由紀夫のエピソードを話す爺さんが出て来たり、その爺さんを痛い目?に遭わせたりなど(本来ならそういう役回りではないはずなのに…笑)、自分自身のアイデンティティに関して、このディーン・フジオカという人はかなり複雑な思いと言うか、恨みに近いような、この人にしか分からない感情が積もっているんだろうなと思いました。

劇中のディーン・フジオカ演じる男は、絵に描いたような=黒澤明の時代劇にでも出て来そうな典型的な日本の侍=武士道そのものをあたかも演じているようなキャラクターです。この男を通じて、彼は自分自身(のアイデンティティ)についてパロディ化しているのでしょう。

まあ、観る側にしたら、そんな事はどうでも良いことで、面白く見せてくれさえしたら良いのです。

「温泉掘るから、この土地から出て行け!」

なんか聞いたことのある、このシチュエーション…

「リゾートマンション建てるから、この蕎麦屋の利権書サッサっと渡さんかいッ!」

…吉本新喜劇でした(笑)

ディーン様には、カマキリなポーズを極めながら「この構えを見て、スキがある思たら…どっからでもかかってこんかいッ!」ぐらい言って欲しかったです…笑

*作品の評点を不当に吊り上げようとするサクラ・レビュアーが多いので、減点しておきました。さらに増えるようならば、また減点しようかな(笑)

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stoneage