劇場公開日 2021年12月10日

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「サイコスリラーの傑作。知らぬ間に、スクリーン中のサンディに感情移入してしまう。不思議な映画。」ラストナイト・イン・ソーホー tさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0サイコスリラーの傑作。知らぬ間に、スクリーン中のサンディに感情移入してしまう。不思議な映画。

tさん
2021年12月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

うーん。すごく面白かった。観終わった後、曲と映像が頭の中に残っている。不思議な映画だった。てゆーか映画館で映画を観たのがとても久々だったから、その影響もあるんだろうな。普通にエドガー・ライト印の映画。怖かった。なんかびっくり演出が来そうだな・・・と、わかっていてびっくりしてしまうという。最終的に、エロイーズはサンディを本当の意味で救ったんだよ。ルークがダースベイダーを救ったのと同じだ。あれはスター・ウォーズからの引用だな(絶対に違う)

それにしても「夢見る少女が騙されて、ロンドンの闇に堕ちていく」という魅力的なお話を作っただけで、社会的なテーマが・・・とか言われてしまうのはなんだかなぁと思うわけだ。単に、60年代のロンドンは光も闇も両方含めて魅力的じゃん。という、それ以上でも以下でもない気がする。闇の部分があったって良いじゃん。だって闇はどこにだって存在するんだから。(←のような発言はポリコレ的に正しくないのかね)本作については、テーマは「女性搾取」という批評はちょっと違うんじゃないだろうか。

むしろ「女性搾取」がどうのこうのと軽々しく喚き立てる自称リベラル連中に対する批判になっているように見える。これはエドガー・ライトの無意識的な作家性だと思う。私は彼の過去作である「ワールズエンド」が大好きなのだが、本作は「ワールズエンド」を彷彿とさせる。「ワールズエンド」の中にはアルコール依存症で人生のどん底にいる、ゲイリー・キング、という男が登場する(というか主人公)。彼はかつての仲間からも完全にダメ人間認定されている。ワールズエンドは、そんな彼が救われてゆくという物語だ。しかし、エドガー・ライトは軽々しい救いを提示しない。極めてリアリストだ。私がエドガー・ライト作品を好きな理由はここにある。どん底を経験したことのない人間がどん底にいる人間を救うことは不可能だ。だから、たとえゲイリー・キングのかつての仲間たちであろうとも、彼を救うことのできる人間はいない。ワールズエンドのラストでは、ゲイリー・キングは自らの運命を受け入れ、自分が救われないことを受け入れてゆく。逆説的だが、これがゲイリー・キングに対する唯一の「救い」なのだ。「救われないことを受け入れる」という「救い」が描かれる。本作「ラストナイト・イン・ソーホー」においても、最終的に、エロイーズはサンディの救われない魂を、もはや救えないということを理解するに至る。それが真の「救い」なのだ。なぜなら、エロイーズは、サンディの苦痛を追体験することで、もうどうやっても救われない彼女の無念に共感するからだ。エロイーズはサンディの共感者となることが、サンディにとっての救いなのである。実際の現実もそうでしょ?僕らはどん底にいる人間を、世俗的に救うことなどできない。だって、救うだけの力を持ってないんだもの。救えないにもかかわらず、あたかも救うことができると錯覚させるような、自分の保身のための「女性搾取」に対する批判をいくらしたところで、結局それは保身にしかならない。どん底にいる人間を、世俗的にではなく精神的に救うことができるのは、同じ苦しみを味わった者の共感だけだ。最後、サンディは自分の運命に決着をつけるべく、エロイーズに引導を渡される形で自ら命を絶ってゆく。サンディはもう苦しまなくて良い。

エドガー・ライトは、人の心の闇の部分を、ポップに描くことが上手い。だから私は、彼の作品には共鳴することが多いのである。

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