劇場公開日 2022年4月1日

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「利他と偽善の間で」英雄の証明 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5利他と偽善の間で

2024年1月15日
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🇮🇷は反米国家であるにも関わらず、本作のイラン人監督アスガー・ファハルディはなんと3度オスカー受賞に輝く、アカデミー会員の大のお気に入りである。さすがにトランプには授賞式参加のための渡米を禁止されたらしいのだが、ハリウッドのリベラル層受けはグンバツにいい。たしかに祖国イランの体制批判的な映画ではあるにはあるのだが、最高指導者ハーメイニ師に睨まれているのかというとそうでもなく、ずっとイラン国内で撮影を続けている不思議な立ち位置の映画監督なのである。

義兄への借金を返さなかったがために刑務所に入れられたラヒムは、服役中に彼女が拾ったバッグに入っていた金貨を休暇中売ろうとするのだが、〈神の啓示〉を受けて思いとどまる。バッグを持ち主に返したことが美談として噂となり、TVの取材を受けることに。それがナンチャラ審議会の目にとまり、あれよあれよと“英雄”にまつりあげられるのだ。が、借金をラヒムに踏み倒されたことのある義兄はラヒムの偽善を疑い、刑務所内でおきた自殺隠蔽のための工作だとSNSで暴露するのだが....

映画冒頭の刑務所を仮出所したラヒムが遺跡修復業の義兄を尋ねるシーンが、実はラヒムの辿る結末を暗示していたことにお気づきだろうか。長い長い階段を昇って義兄に会えたと思ったら、あっという間に階段を降ろされるラヒム。英雄にまつりあげられたと思ったら、偽善者扱いされた挙げ句に刑務所へ逆戻り。挙げて落とすのが大好きな我々西側観客の急所をよくご存知なのである。確かにこのアスガー・ファハルディ、皆さんおっしゃるとおりストーリー・テラーとしては一流である。

ラヒムの利他行為を美談として保身に利用しようとする警察組織のいやらしさ、そして、怨恨をはらす道具としては最適なSNSの破壊力。アラーの教えにただ従っただけのラヒムのがなしてこんな目にあわなきゃならんのか、映画をご覧になった皆さんも納得しかねるエンディングだったのではないか。吃音の息子の前で父親らしく立派な態度を見せたにも関わらず、である。「なんにもしなかった奴がそんなに偉いのか、だったら乞食だって英雄になれる」という義兄の言い分も一理あるのである。結局のところラヒムは金貨を元の持主に返しただけなのだから。

SNSに限らず実は映画自体もそうなのだが、事実はどうあれ、作品に撮影者(ファハルディ含む)の作為が何らかの影響を及ぼすとするならば、完全なドキュメンタリーなどどこにも存在しないということなのだ。たまたま息子が吃音だったり、金貨の持ち主があまりにも薄情だったりしたがために、観客はついラヒムに同情したりするのだが、そのモンタージュさえなければ、観客は利他(イラン)と偽善(アメリカ)のど真ん中に永久に置き去りにされる映画作品なのである。欲をいうと、ファハルディにキアロスタミのような映像美があれば、より容易く観客を煙に巻くことができたであろう。

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かなり悪いオヤジ