ナイル殺人事件のレビュー・感想・評価
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ナイル川の景観、特に歴史的遺産が美しい。 ストーリーや展開はちょっ...
ナイル川の景観、特に歴史的遺産が美しい。
ストーリーや展開はちょっと古るくさい感じがする。
推理して犯人を特定していくあたりの根拠の描写や演出がもう少しわかりやすいとよかったか?
需要は、あるところには、ある。(超絶ネタバレ含みます)
この「20世紀の遺物感」の半端無さと来たら。いっやー、需要無いですよ、コレ。今の時代。
と言いたいところですが、そうでもないか。
もうね。最初に立ったフラグ、そのまんまの犯人です。悲劇の演出も、なんとなくの予想通りです。今となっては、バレバレ展開も白々しく。なんや、この無能探偵!って軽く罵声を浴びせたくもなりますが。そこは古典・ひな形を作った元祖の作品群の一つ、って事で。
「完全なアリバイ」で最初に容疑者から外された人達。はい、フラグ立ちました。あー、もう、これだよ。問題はアリバイ崩しだよ。って想像しちゃいます。
イケメン友人の登場。あぁ、あぁ、あぁ。彼は「悲劇」の演出のためのキャラなんだ。とか。
無くなるスカーフと赤い絵の具。伏線も親切です。出血の演出?スカーフで絞殺?凶器を包んでナイルへ捨てる?などなどなどと。空想に花が咲きます。
そうなんですよ。コレなんですよ。
伏線、バレバレや無いですか。
フラグ、立つじゃないですか。
それらを、どう繋いで行くのか?
探偵が解き明かして行くのか。
ってのが古典的な推理モノの醍醐味な訳です。
私自身は、アガサ・クリスティにハマった事は無く。小中学生の頃、コナン・ドイルとエドガー・アラン・ポーには夢中でした。ドキドキしがらページをめくる日々を思い出してしまいました。
少年少女や若い人たちにも、そんな気分を味わって欲しい、と思ったりしました。そういう意味では、需要はあるよね。
にしても。
探偵無能の非難は、避けられないかとw
もう少し、どうにかならん?
ヒト、死に過ぎですやんw
「名探偵」としての責任を負って苦悩する「人間ポワロ」に踏み込んだケネス・ブラナー版第二作。
いやあ、皆さんなかなか手厳しいけど、申し分ない出来だったんじゃないでしょうか。
個人的には、今まで観たポアロの映像化では、いちばん堪能できたかもしれないくらい。
自分は必ずしもクリスティの良い読者とは言えないが(全66長編のうち読んだのは20作くらい)、『ナイルに死す』に関しては原作既読で、ピーター・ユスチノフ版も既見。じつは劇団フーダニットによる演劇版(クリスティによる脚本化だが、けっこう長くてたるい)まで観ている。なので、ストーリーの概要と犯人の正体は承知した状態での視聴。
ケネス・ブラナー版の『オリエント急行殺人事件』も当然封切りで観ていて、壮健でガタイの良いポアロが拳銃片手に走りまくっているのはとても斬新だった。ただ、ミステリーとしては「誰に見せるための犯人サイドの演技なのか」に関してうまく説明がつかないことと、「犯人が某人物の関係者だとわかるタイミングがなし崩し」だというのがどうしても納得いかず、残念に感じてしまった部分もある。とはいえラストの「最後の晩餐」演出や、ポアロの泣かせる名演説には胸を熱くしたものだった。
『ナイルに死す』の場合、どうしても『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行の殺人』と比べると、本格ミステリの王道を行くプロット立てで、トリックや組み立てがオーソドックスなぶん、作りが地味になってしまう点は否めない。
ただ『予告殺人』や『殺人は容易だ』と同様、「一皮剥くと、表面上見えている穏当な世界とは似ても似つかない愛憎と欲得の世界が裏で渦巻いている」クリスティらしい作品であることはたしかで、表面上のぱっと見と真相のギャップ度は結構高いほうだと思う。
さて今回の映画化はどうだろう。
オープニングは、まさかの第一次大戦時の塹壕シーンから始まる。
まさにウクライナ侵攻の折で、ちょっとどきっとさせられる。
若きポアロが推理力を駆使して戦況を一変させるが、ブービートラップの爆発で上官を死なせ、自身も巻き添えを食って大けがを負う。
原作でも描かれない「口ひげ」誕生秘話。
さらには、このエピソードは悲恋の影も宿す。
近年の安易な傾向では「生涯独身の口ひげの洒落男」はほぼゲイ属性を無理やり付与されるケースが多いことを考えれば、むしろ意外なくらい「ストレート」なポワロ解釈だ。
『オリエント』でも、アヴァンのオリジナルネタ(塀と卵のミニミステリ)をやっていたが、今回の方が本筋のほうの「主題」と密接なかかわりがあって、出来はすこぶる良い。
ここでいう「主題」とは、ひとつは「愛のミステリ」、もうひとつは「名探偵の推理がもたらす結果責任」の問題である。
「愛のミステリ」という部分に関しては、宣伝でもさんざん強調されていることだし、フーダニットにも関わる部分なので、ここで詳細には触れない。
ただ、船客のそれぞれが、困難な事情をかかえる「異形の愛」に縛られており、それを丹念に描出するがゆえに、通例の本格ミステリよりも登場人物の命が「重く」描かれていることは、注目に値する。単なる「駒」であることを超えて自己主張するキャラクターを登場させると、場合によっては本格ミステリとしての稚気や醍醐味を削いでしまう場合もあるからだ。ゲーム感覚だからこそ、人の死を娯楽として扱っても罪悪感なく楽しめるというのが、本格物の本来のありようでもある。だから、人間ドラマと真面目に向き合い、人物をしっかり描きこめば描きこむほど、本格ミステリを成立させるのは難しくなる。
本作では、そのへんの「人の死の重さ」と「謎解き」のバランスが、実に塩梅よく描かれていて、ほんとうに感心した。
「人の死」が重さを増すと、そのぶん作中人物の悲哀は深まるし、ドラマも深刻さを増す。
その結果として、名探偵の責任も増し、二つ目の主題が自然とクローズアップされる。
すなわち「名探偵の推理がもたらす結果責任」の問題だ。
ポアロは本作で、「推理機械」としての自分と、情深い人間としての自分とのあいだで引き裂かれ、複雑な思いに翻弄されながら、事件を解決へと導く。
さらに本作では、複数の人物が「連続殺人」という事態の招来について、ポアロが捜査に携わったせいだと公言し、詰問する。要するに、ポアロが事件を止められなかったせいで被害が増している、あるいは、ポアロが某人物からとある証言を引き出そうとしたために、犯人の殺意に刺激を与えたとして、ポワロはこっぴどく糾弾されるわけだ。
前作『オリエント急行殺人事件』では、「法と正義」「神の裁きと人の裁き」といった重大なテーマがあらかじめ設定されていたが、ポアロ自身はそこまで「名探偵であること」の意義を問われたわけではなかった。
今作『ナイル殺人事件』では、まさに「ポアロが名探偵であること」の意義が再考され、彼の探偵法、自己顕示欲、人とのかかわり方にまで、徹底的にメスが入れられる。
ここまで、真摯に「名探偵であること」を掘り下げねば前に進めない感覚というのは、『ダークナイト』以降、アメコミヒーローものの多くが「ヒーローであること」を掘り下げねば許されない風潮に陥っていることと、実は同根なのだろうと思う。
時代が深まってきて、人々はあっけらかんと「人を裁く」存在を許さなくなったのだ。
ポワロといえども、「ヒーロー」の端くれである以上、正当性に対する批判と自己省察の餌食にならざるを得ない。石坂金田一のころは「しまった!」で済まされていた「連続殺人を止められない名探偵」という自己矛盾にも、当然ツッコミは入れられることになるわけだ。
そんななか、人として覚える共感や後悔といった感情の高ぶりを必死で抑えながら、いつも以上に過激で攻撃的な「探偵」としての尋問を遂行するポアロの描写には、鬼気迫るものがある。
本作におけるポワロの尋問術には一定のパターンがある。
相手がまさかバレていまいと思っている「隠された真実」を、客観的分析によって見抜き、しょっぱなからぶつけ、動揺する相手に対して「あなたには動機も、実行手段もある」と決め付け、いわば「ゆさぶりをかける」というものだ。彼の名探偵としての優秀さと、人を人とも思わないような冷徹さを強調するには、じつにぴったりの描き方を作り手は選択している。
いっぽうで本作では、ポアロが感情的になって、涙目で自らの過去に触れたり、相手の難詰を真摯に受け止めたりするようなシーンが何度も出てくる。ポアロの「名探偵」としての苛烈なペルソナの背後には、傷つきやすい少年のような心と、膨満した自己顕示欲、そして事件関係者に対する深い共感がある。ケネス・ブラナーは、シェイクスピア役者として鍛え上げられた演技力で、彼の「名探偵」としての部分と、「人間」としての部分を、うまく混淆して説得力のある演技を開陳している。
映像化において、これだけポワロの「名探偵」としての苦悩を描いたケースも、これだけ「人間ポアロ」の内実を描いたケースも、なかなかないのではないか(デイヴィッド・スーシェ版にはいくつか似た趣向のエピソードがあったけど、今回のほうが僕は感銘をうけた)。
それだけで、僕としてはもう大満足だ。
映像としては、常に動きのある流麗なカメラワークが印象的だ。
どうしても、本格ミステリ映画は、固定カメラのスタティックな演出を選択することが多いが、本作では、とにかく視点を動かしまくることが常態化している。
冒頭の塹壕戦からハンディカムが激走し、激しく甘美なダンスシーンを経て、結婚パーティでもカメラは人々の間を縫ってせわしなく動き回る。エジプトでは俯瞰と仰角のショットの切り替えがじつにダイナミックだ。そのことでいっそう、周辺の事物の巨大さと雄大さが際立つ。船旅がメインになってからも、観光船内をカメラは縦横に走り回り、常に動的な雰囲気を絶やさない。
この「動」の撮影は、ポワロが「走れて撃てる名探偵」として描かれていることと、むろん無関係ではない。ブラナーは、ポワロものを従来のスタティックな本格ミステリの軛からはずして、ある種の「ヒーロー譚」として現代に再生させようとしているのだから。
本作の撮影にはアングルにも強いこだわりがあって、基本左右どちらかのサイドに斜め向きに人を置いてしゃべらせることが多いのだが、ここぞというシーンになると、ど真ん中にポアロを据えてシンメトリー構図を採用してくる。前作ラストの「岩窟の聖母風・最後の晩餐」シーンが、まさにこのシンメトリー演出の極北だったことを考えると、おそらくブラナーにとって、シンメトリーは強い「力」をもつ「特別」で「とっておき」の構図なのだろう。
総じて本作の体感時間が短く感じられるのは、ブラナーの巧みなカット割りと、飽きさせない移動カメラ&アングル切り替えのおかげだと思う。
というわけで、僕は概ね本作を堪能したのだが、もちろん不満がまったくないわけでもない。
有無を言わせぬ証拠がないのにみんな簡単に落ちすぎだというのはたしかに気になるが、より気になる点として、まあまあポリコレ汚染は甚だしいよね(笑)。
これは作り手の責任というより、現代映画界の「呪い」のようなものなので、致し方ないといえば、致し方ない。むしろ、黒人歌手とそのマネージャーを導入することで、「ブルース」という音楽要素が加味されているのはいいアイディアだ。また、別の重大なオリキャラを投入することで、意外な事件展開を用意しているのも、既読者でも楽しめる新要素としては悪くなかった。原作では若干冗長な窃盗事件に関する顛末を簡略化したのも、映像化としては英断だったと思う。
いちばん個人的にひっかかるのは、原作の「キモ」にあたる部分をあまり強調していない、というか、「武士の情け」みたいに敢えてそこをえぐらずに仕上げていることだが……それについては、この下にネタバレとして書いておく。
とはいえ総体的に見れば、実によくできていたし、役者陣もケネス・ブラナーはじめ、とても良い演技だったと思う。
まだオールスターキャストでできるポワロもの原作はいくつか残っているので、ぜひケネス・ブラナーには継続的にこのシリーズを撮って、ユスチノフ版を超えるくらい頑張ってほしいところだ。
(以下、ネタバレ)
僕は、『ナイルに死す』で最もキモとなるのは、「愛の逆転劇」の部分だと思っている。
すなわち、本作では「寝取った女」と「寝取られた女」の優劣が、ラストで逆転する。
そこが圧倒的にいやらしく、底意地が悪く、すなわちクリスティらしい。
さんざんマウントを獲って、相手をストーカー呼ばわりしながら、「親友」として気に掛けることで憐れみをも掛けていたエラそうな女が、実は最初からただの「カモ」で、食い物にされていて、見下されていて、ゴミのように殺されるだけの存在にすぎず、付きまとっている哀れで頭のおかしい女のほうが、実はすべてを支配し、操り、物語に君臨している。
冒頭のダンスのシーンだって、リネットは「親友から男を奪った」と考え、申し訳ないと思いながらも男をたぶらかす自らの魅力に至極ご満悦のはずだが、その実ほんとうは、単に「あてがわれている」だけのことだ。この話は、ジャクリーンの視点で見なおせば、リネットという存在をどこまでも徹底的に、容赦なく愚弄する作りになっている。
このえげつなさ、この悪意の濃さこそが、まさにクリスティの神髄なのだ。
僕は、リネットという高慢で、世間知らずで、ほんとうは複数の人間から猛烈に憎まれていた女を、もっと容赦なく、完膚なきまでに、叩きのめしてほしかった。そうすることで、『ナイル殺人事件』という物語の包含する「真の恐ろしさ」がいかんなく発揮されるからだ。
だが、ケネス・ブラナーは真相解明のあと、じつにあっさりとジャクリーンと情夫を死なせてしまう。
ある意味、それはケネス・ブラナーの「優しさ」なのだと思う。
ジャクリーンの悪を描き切らない優しさ。リネットを死してなお鞭打たない優しさ。
でも、せっかくこの素材で映画を作るなら、ジャクリーンとリネットの「マウントの逆転劇」をやらないのは、本格ミステリファンとしては、やはりもったいないと思うわけだ。
ポアロはこんなダンディじゃない!
1930年台の上流階級のファッションとか装飾を美しく描いているのが素晴らしいですね。女優陣の衣装とかメイクなども綺麗です。
CGと実際の映像区別がつかないですが、船の外側から主人公をフォローするようなカメラワークとか、足元にフォーカスしたショット、ドローンを使っているであろう自在な撮影が素晴らしかったです。
作品自体は少し改悪な部分もあるかな。。?
ポアロの独特なマスタシュの理由とか悲しい過去などポアロの株を上げる演出が多め。
ポアロの印象といえば、傲慢で自尊心が高く、わがままどちらかと言えばウザい男の印象ですがw
監督兼主役の特権ですかね。。。いい男風になっちゃってます。なので最後の方にあなたなんて傲慢で自分本位で。。。!となじられるシーンがあり、そうそう、ポアロってそういうやつよ?っていうのが、なんかしっくり来ないジェントルマンな哀愁のダンディマンになっちゃってる!
あと登場人物の改変も著しい。ハリウッドのDE&I配慮にはウンザリ。なんで無理やりイギリスの上流階級の社交界にアメリカ南部の黒人やインド人の知識階級を入れてきちゃうのか。。
原作の時代背景を無視したそういうのはどうかな。
現実のDE&Iに関しては大賛成だけど、フィクションにまで持ち込むのは反対。
昔、先生が言っていた言葉を思い出しました
ミステリーを見ている人には誰が犯人が分かるくらいありきたりな内容でした。
でもストーリーも全員が犯人に見立てるようなもので楽しめました。
ただ、『愛』という言葉を使いすぎてあまりにも愛の価値が薄っぺら感じて、国語の先生が「言葉は多く使われることで価値が低くなる」と言っていたのをふと思い出す作品でした。
愛をテーマにして重きを置いているにも関わらず、愛が薄っぺらく感じる稀有な作品だなあという印象です。
Mystery Nile〜
本日鑑賞。
過去も含めて、このシリーズは初めて。
なかなか面白かった。
エジプトも綺麗で、行ってみたくなったし。
ただどうしてもナイル殺人事件と言えば、
前作「Mystery Nile〜」の歌詞の
イメージが抜けない。
ポアロの髭に理由があったとは…
いきなり第一次世界大戦の戦場シーンから始まり、今の世界情勢を思い出し、少し重い気持ちになりました。
まさか、そこにポアロの髭の理由があったとは。
ストーリーとは関係ないところで感心したのは、舞台として登場したエジプト、ラムセス2世のアブ・シンベル神殿。昔は水辺にあり、ダム建設のために現在の場所に移設されたということを聞いていたが、今回は移設前の神殿を再現されていたという点がよかった。船からみて姿を現すアブ・シンベル神殿はきっと圧巻だったろうなと。
ストーリーは、違和感を感じた部分を紐解くと、犯人の予想がついてしまうのでそこは少し残念でしたが、
待ちに待って観れた作品なので、劇場で観れたことが嬉しかったです。
またガルちゃんの変わらぬ美しさを観れたことも満足でした!
大金持ちは多難
アガサ・クリスティのナイル。いわくありきの関係者による船舶(密室)殺人事件。
最近の深い謎解きを見過ぎたせいか、ちょっと浅いというか古い感じは否めない。テンポも遅いので睡魔に悪戦苦闘。結末も想定内。結局はお金に目が眩んだ不届者の妄想殺人。古き良き時代の物語と割り切ってみます。
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大画面で見るべき作品
配信のインスタントな作品が氾濫する今だからこそ
こういう作品は大画面の映画館で見るべき。
前作もそうでしたが映像がきれいです。
エジプトに行きたくなりますね。
ケネスブラナーさんがすてきでした。
原作をあえて読まずにいって正解。
結末は変えてあるそうですが、やっぱり推理ものは原作知らないほうがいいですよね。
次も楽しみです。
良かった。
ナイル殺人事件自体は知っていたので、犯人も全てわかったので、見せ方やポワロの描き方に注目したのだが、絢爛豪華な金持ちたちが、たくさん出演って感じではなかったし、ポワロの恋愛話しとかあってどうかなと思ったけど、最後までしっかり見れた。
あれ、ケネスが監督と主演って凄いな。前作見直そうかな。アカデミー賞も頑張ってほしい。
。
愛に関する映画は悲劇が名作になるって言われる意味がよくわかった。
一人への愛や一人からの愛に呑まれすぎるのは怖いなぁと。人だけじゃなくていろんなコト、モノを愛せる人間になりたいな。
ナイル川に行ったつもり
リネット役のガル・カドット目当てのオイラ。
最初は1914年のベルギーの塹壕のモノクロシーン。リェージュの戦いですか?
やっちまった!スクリーン間違えた?と、ちょっと焦った😵💦
1936年の高級レストランバー
サロメ・オッタボーンは黒人女性歌手。
セミアコ弾きながら、ブルース歌ってるよ!
小さめのギターアンプもあった。
1930年代のGibson?
すげー、ヴィンテージじゃね?
しらんけど。
サロメ役はソフィー・オコネドー(ジェシー・バックリー主演のワイルド・ローズで親切な資産家役だった)。
オコネドー姐さんのステージは3回ぐらいみれた。良かった。
オコネドー姐さんもケネス・プラナーと一緒でイギリス王立演劇学校行ってたのか~(Wiki)ケンブリッジ大学も。すごいなぁ。大英帝国勲章も2つ貰ってる。才女。
イケメン婚約者サイモンとエッチなダンスを始めちゃうジャクリーン役のエマ・マッキーっていう新人女優さん。有名な古城もたくさん所有しているフランスの500年以上続く貴族の娘らしい。すごいね。あちらも奔放そうで、なかなか色っぽい。
でも、ガル様の圧倒的な気品には及ばないね。
エジプトのラムセス2世の墓の前ではサイモンはガル・カドットとエッチなダンス。クレオパトラとアントニウス?歴史とか戯曲にはからっきしウトいので、下品なシーンしか記憶に残らないのよ😫
ガル・カドットが動かなくなっちゃったら、もうオイラのモチベーションは⤵️
うーん😔
オイラには敷居が高かったですね。
探偵さんのポアロの謎解きは最後に怒涛の展開。その前のやり取りは全然ピンとこなくて、ヨボヨボじいさんじゃ解決できないと思って、退屈だった。
ワニがペリカンを襲うシーンとかでナイル川の遊覧船気分を味わったからいいか。
ベタな展開だけど…
アガサクリスティ原作、過去にも映像化されていたようだが、映画館のCMに惹かれて鑑賞しました。
TVドラマの名探偵ポアロは見た事ありましたが…
ガルガゴッド演じる富豪の実業家が、新婚旅行の船で殺害され、船内の密室殺人事件をポアロが解決していくというお話。
ポワロ、監督もやってたのかー!
アガサ・クリスティの小説なら面白いだろうと鑑賞。
この富豪女性は誰だ…見たことあるぞ…と思ってたらガル・ガドット!ワンダーウーマンで惚れていたのに気づかなくて。変わるもんだなぁ…
何となくこの人怪しいと思ったけど、アリバイは完璧だし。…と思ってたのに私も犯人に騙されたっ。
ポワロ役がいい味出してて、前作も見てみようと思いました。
余計なシーンが有りすぎる
ポアロは主人公であるけど、
主軸にしたらダメでしょう。
あくまで事件を中心にすべきだと思うのだが。
ポアロが髭を生やしたとか、剃ったなんかどういういい‼️
ちゃんと犯人の動機や、トリックをきちんと見せるべきではないのか?
『ナイル殺人事件』といえば、ジョン・ギラーミン監督、ポワロ役ピータ...
『ナイル殺人事件』といえば、ジョン・ギラーミン監督、ポワロ役ピーター・ユスティノフの1978年作品を思い出します。
また、デビッド・スーシェ=ポワロの2004年のテレビ版『ナイルに死す』も印象深いです。
さらに、アガサ・クリスティーの原作も2度読んでいるので、犯人は知った上での鑑賞です。
第一次大戦中のベルギー戦線。
エルキュール・ポアロ(ケネス・ブラナー)が所属する部隊は、塹壕の中で命令を待っていた。
下された命令は、次に吹く海風に合わせて煙幕を焚き、総攻撃をかけるというもの。
すぐに風が吹く、と海鳥たちの様子から判断したポワロは上官に進言。
それが功を奏し、突撃は成功裡に完遂した。
が、隊長は敵方が残した罠にはまり、爆死。
ポワロも爆発に巻き込まれてしまう・・・
というところからはじまる物語で、ポワロの髭の由来と愛した女性の話が綴られます。
これは原作にないエピソードで、人間ポワロを描こうという意図で、ポワロものを前作『オリエント急行殺人事件』から観はじめた観客に感情移入しやすくする仕掛け。
と同時に、今回の『ナイル殺人事件』(原題「DEATH ON THE NILE」)の基軸は「愛」だということを印象付ける仕掛けです。
本筋に入って、
亡き父の残した遺産を相続した若き大富豪リネット・リッジウェイ(ガル・ガドット)。
セレブたちが出席するパーティの場で、親友ジャクリーン・ド・ベルフォール(エマ・マッキー)から婚約者サイモン・ドイル(アーミー・ハマー)の職を懇願されて、引き合わされた。
その6か月後、リネットが強奪婚の形でサイモンと結婚。
その新婚旅行でエジプトを巡ることにした・・・
とつづくが、リネット=サイモン=ジャクリーンの三者が揃うパーティの場にポワロを同席させ、さらに、エジプト旅行の冒頭で、前作にも登場したポワロの旧友ブーク(トム・ベイトマン)を介して、登場人物たちの人物紹介をやってしまうというスピーディな展開。
また、原作の登場人物の何人かは統合・整理されて、事件の関係者を減らして、わかりやすくしています。
これが良かったのか悪かったのかは観るひとによるでしょうが、豪華客船上でのリネット事件の際、事態を移動撮影を含めてワンショットで長く撮っているシーンがあり、良く観ると、この時点で観客に犯人がわかるようになっています。
(リネット事件の際、ポワロは寝込んでいるのが、コミックリリーフ的)
その間、またその後も含めて、ポワロ=ジャクリーン間での「愛」についてのやり取り、ブークと某女性との愛の物語、他の乗客間の秘密の愛、さらにはポワロが某女性に感じる愛の予感(これはエンディングエピソードに通じるのですが)と、「愛」「愛」「愛」の重層構造。
台詞の中にも「ラヴ」の単語が溢れています。
ということで、映画は『ナイルに死す(「DEATH ON THE NILE」)』ならぬ、『ナイルに愛す(「LOVE ON THE NILE」)』。
ちょっと胃もたれするぐらいです。
その他、映像的にはゴージャスな風景やセットで目くるめく眩惑感がありますが、風景の多く(ほとんどかも)はCGで、時折、あきらかにグリーンバックへのはめ込みね、と感じるところもあり(ライティングの関係でしょう)、ちょっと褒めるのは難しい。
65mmフィルムを使って撮影したらしいが、セット撮影にはもったいなかったね。
個人的希望ですが、次作は地味(滋味)な愛に関する事件、『ホロー荘の殺人』をお願いしたいところです。
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