劇場公開日 2019年10月18日

  • 予告編を見る

「存在しない村社会的共同性を攻撃する滑稽さ」楽園(2019) 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)

0.5存在しない村社会的共同性を攻撃する滑稽さ

2021年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

『悪人』『怒り』の原作者と同じと聞いて、納得できる感じがした。何というか、尻切れトンボの感じが全部共通している。

本作のテーマは村社会的人間関係の閉鎖性ということであり、社会問題となった山口・周南5人殺害事件を連想させる。

現実問題としては、日本の村社会的共同体はもはやほとんど崩壊しており、地方の集落の多くは都市部と同様島宇宙化が進んでいるし、物理的にも限界集落化して消滅寸前なのである。
部分的には旧来の閉鎖的関係が盲腸のように残存する地域はあるし、それが都市部から地方への移住ブームと衝突する結果、村八分などという事態が新聞ダネになったりするが、それはもはや現代の課題とはなりえないはずである。
課題になるとしたら過去の残存遺制としてであるし、そんな遺制に直面したら引っ越せばよいだけだ。それができない場合には、個人の特殊事例の問題が残るくらいなものだろう。
前述の山口・周南5人殺害がそれで、そこでは犯人の人間関係のとり方に大きな問題のあったことが報道等で指摘されている。

ところが本作の前提としている社会認識は、この消滅寸前の村社会的遺制がさも現代社会における大問題ででもあるかのように正面から大仰に取り上げる。
面白半分に見ていくと、何やら集落内の犯罪や揉め事の責任をすべて弱者、少数者、異端者に押し付けてきたのが村社会的共同体である、と言いたげなのだが、
前近代の話ならともかく、現代日本においてそんな問題が本当に社会の大きな課題だと思っているなら現実認識を大いに誤っているとしか言いようがない。

その一例が、集落の多数の人間が犯人と疑わしい人間をリンチにかけようとするシーンで、小生は現代においてそんなことがあり得るとはまったく思わない。
また、山口・周南5人殺害事件における犯人の妄想らしき事柄をすべて実際に生じた出来事として描いているほか、中国からの帰国子女問題をそれにからめてしまったため、どうにも現実味がない。フィクションとしてはリアリティが希薄すぎるため、悪い冗談にしか思えない。
要するに、作者たちは過剰な修飾で村社会的共同体を攻撃したがっているが、倒錯論理で在日朝鮮人殺人者を擁護した『怒り』と同様、実体のない、どこかで聞いた絵空事を描いているだけだから苦笑いしか浮かんでこないのである。

初めに記載した「尻切れトンボ」の感想は、恐らくは作者たちの頭の中の攻撃対象が実際には存在しなかったことから、振り上げたコブシの置き所がわからないという中途半端さからくるのであろう。はっきり言って、バカバカしい。

最後に少女が「これではいけない」と歩み始めるようなのだが、そもそも前提自体が大いなる勘違いの産物なのだから、どう考えたって外国人参政権とかフェミニズムとかのデタラメな社会運動wにシャシャリ出て、社会に害悪をもたらすとしか思えないのは小生だけだろうか。

徒然草枕