劇場公開日 2016年4月1日

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蜜のあわれ : インタビュー

2016年3月28日更新
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二階堂ふみ&大杉漣 初共演のふたりが明かした「蜜のあわれ」の愛おしさ

「シャニダールの花」の鬼才・石井岳龍監督が、大正期に活躍した詩人・小説家の室生犀星が晩年に発表した小説「蜜のあはれ」を映画化。自分を「あたい」と呼ぶ、本当は金魚である愛くるしい少女・赤子と、彼女から「おじさま」と呼ばれる老作家を中心に描かれる、幻想的かつポップでおかしみのある人間模様。赤子と老作家、それぞれの役を演じきった二階堂ふみと大杉漣が、映画「蜜のあわれ」を語った。(取材・文/編集部、写真/堀弥生)

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17歳の高校生の時に原作を読んで以来、「とにかくずっと思い続けていた作品」と言う二階堂。「石井監督が映画にしたいとおっしゃっているのを聞いて、絶対やらせてくださいとお願いしました。数々の偶然が重なり、高校生の時に話していたことが実現するなんて、ワクワクして(作品に)臨みました」と振り返る。

一方の大杉も、念願の企画だったと話す。「二階堂さんの映画を数多く拝見していて、いつか共演できればと思っていました。また、30年以上前に『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市 バースト・シティ』といった強烈なインディーズ映画に観客として触れて以来、いつか俳優として石井組の現場に立ちたいと願っていました。今回は、その“2つのいつか”が同時に実現したわけですから、この時点ですでに大杉はワクワクしていたのだと思います(笑)」。

会話のみで構成された幻想文学が原作ということもあり、どこか難解そうな雰囲気をかもす本作だが、ふわふわした金魚がイメージされた真っ赤なドレスをまとった赤子はとことんキュートで、奔放な赤子にほんろうされる老作家の姿はユーモラスだ。さらには老作家と過去に関係のあった女性(真木よう子)が幽霊となって現れ、赤子と老作家の恋人とも親子ともいえる関係にコミカルな一石を投じたりもする。老作家はまた、かつて友人であった芥川龍之介(高良健吾)の幽霊とも対面するのだ。

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大きな見どころとなるのは、老作家の秘密を知った赤子が、ジェラシーを露わにしてやり合う痴話ゲンカとも言うべきシーン。二階堂は「何回脚本を読んでも台詞がなかなか身体に染みつかなくて、すごく苦戦したシーンでした。でも、あのシーンを越えてから、ものすごくどの台詞もちゃんと口から言えるようになったという実感があったんだなと思えて。撮影が終わるころには、『あのときのしゃべり方と、あのときの言葉に戻りたい』という気持ちになりましたし、人が自分の口から何かを発するということをとても大事にしていた時代があったんだなと思っていました」と明かした。

また、夕陽の赤い光が射すなか、赤子と老作家がリズミカルにダンスするシーンにも注目だ。「ふたりで踊るところは、ほぼ私が振り付けたんです。現場で振り付けを考えて、それがすごく楽しくて」と笑う二階堂に、「今まで踊ったのは、地元(徳島)の阿波踊りくらいしかなかったもんですから」と大杉は苦笑い。「(二階堂さんに)リードしていただいて、見よう見まねで。犀星さんも驚いたんじゃないですかね、老作家も踊ったかということで。楽しかったですね」。

観客へのメッセージ、そしてお気に入りのシーンについて話を向けると、「老作家が映画の最初から終わりまですごく葛藤しながらも、最後に解放される瞬間みたいなものがあって、見ていてよかったって思えます。本当に、大杉さん演じる老作家を見ていて、愛おしいなという気持ちと、はかないなという気持ち。生と死は平等というか、そういうものをものすごく突き付けられるわけではないんですけど、目の当たりにしたそのまた先が見える瞬間が私は好きでした。素敵な映画になったと思います。皆さんにも見ていただきたいなと思いました」と答えた二階堂。

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そして大杉は、「自分の出演した作品に対して、僕は永遠に観客になれませんが、石井監督の目を通して、二階堂さんも僕も現場で戦いました。『蜜のあわれ』は、生きゆく儚(はかな)さ、切なさ、おかしみ、そしてあわれが凝縮された映画になったと思います。70歳の老作家は、赤子の存在にドギマギし翻弄されますが、そこに可愛さと愛おしさを強く感じました。室生犀星さんのリアルな言葉に、老いてなお枯れることのない“残酷な蜜”を味わっていただければうれしいですね」と結んだ。

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