劇場公開日 2015年4月25日

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「さあ、かぼちゃの馬車で参りましょう」シンデレラ(2015) ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5さあ、かぼちゃの馬車で参りましょう

2015年6月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

知的

幸せ

~ワンスポンナタイム、ロングロングアゴ~、
昔々、あるところに小さな王国がありました。王さまは、ご高齢で、病を抱えております。王様には一人の若い王子がおられます。王子はある日、鹿狩りに出かけました。その時、森で偶然出会った娘に一目惚れをしてしまいます。しかし、娘は名前も名乗らず、王子のもとを立ち去ってしまいます。この娘「エラ」は貿易商の父と母の元、幸せに暮らしておりました。しかし、母親の死後、父親は、とある未亡人と再婚。この夫人にはすでに娘が二人おりました。父はこの再婚相手の夫人と、二人の新たな娘を家に迎え入れます。エラに不幸が続きます。父が旅先で病死。一家の主となった継母とその二人の娘は、エラにつらくあたります。家事の全てを彼女に押し付け、部屋も寒い寒い、屋根裏部屋をあてがいます。エラはたまらず暖炉の残り火のそばで眠るほどです。寝起き顔のほっぺに煤をつけたエラを見て、継母や義理の姉妹たちは「灰かぶりのエラ」(シンデレラ)と”あだな”をつけてこき使うのでした。
さて、王子は、あの森で出会った娘が忘れられません。国王は自分の命がもう永くないことを悟っています。早く王子に、どこかの国の王女と結婚させたい。そこで王子の結婚相手を探すため、各国の王女を招いて、大舞踏会を催すことになりました。その折に、王子は一計を案じます。国中の未婚女性を、この大舞踏会に招待する、と宣言したのです。王子はこの舞踏会で、あの森で出会った娘を見つけようとするのです……。
本作は言うまでもなく「シンデレラストーリー」という言葉の源になった、誰もが知っているお話。それをいまさら、どのツラ下げて映画化しようというのでしょうか? もし自分が映画監督なら逃げ出すでしょう。
よほど、映画づくりへの自信と勇気、心臓に剛毛を生やしたような人物でないと、監督および役者さんは務まらないでしょう。ちなみに監督は、シェークスピア劇など、歴史物への造詣が深いケネス・ブラナー氏。キャスティングも的確ですね。
シンデレラ役のお嬢さん。リリー・ジェームズ、よかったなぁ~。探せばこういう女優さん、いるんですね。けっしてグラマーではなく、目、鼻、口のつくりも馬鹿でかくない。いわゆるアメリカ式の美人ではない感じ。調べると、彼女イギリス国籍なのですね。本作の主役として気品もあり、申し分ないと思います。しかし。欲を言えばですよ。ああ、もし神様が魔法を使うことをお許しになるのなら、この「シンデレラ」こそ、あの伝説の大女優、オードリー・ヘップバーン王女様が演じるべきでありましょう。
無い物ねだりはさておき、本作で特筆すべきはケイト・ブランシェットさんでしょう。
エリザベス女王の役さえ演じたことのある、アカデミー賞を受賞した大女優さんですね。
業突く張りでわがまま勝手、意地悪な継母役を、それはそれは、実に楽しそうに、大仰なマイムで怪演しておりまして「ああ、やっぱり、役者さんって、悪役演じるのは楽しいのね」と納得してしまうのであります。
シンデレラといえば、数々の必須アイテムがありますね。本作でも、あの「かぼちゃの馬車」が出てきます。魔法使いのおばあさん(ヘレナ・ボナム=カーター)が、かぼちゃを馬車に仕立ててくれるんですが、それはもちろんCG。だけど、そのあと馬車が舞踏会をめざして王宮に向かうところや、到着してシンデレラが馬車から降りるシーン。これをみると、この豪華絢爛たる馬車は実物かしらん? と思わず見入ってしまいました。それぐらいリアルです。まあ、ディズニー映画なんで、制作費はふんだんに使うでしょうから「リアルかぼちゃ馬車」をつくちゃっても不思議ではないです。
西洋にしろ、日本にしろ、映画で昔話、時代劇を観ることの楽しさ、醍醐味はなんといっても、衣装やお城などに代表される舞台装置、美術ですね。
王子様がお暮らしになっている王宮。舞踏会が催される大広間。クリスタルガラスがキラッキラに煌めく巨大シャンデリア。音楽好きな方ならご存知でしょう。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートが開かれる楽友協会大ホール。あのシャンデリアにそっくり。
シンデレラは子供の頃から動物たちとお話ができます。家で飼っている小さなネズミや、トカゲ、アヒルたちとも仲良し。魔法使いのおばあさんは、彼らをかぼちゃの馬車の従者に変身させて、一緒に宮殿に向かわせます。ここで、あの有名なお約束。
「魔法の効き目は12時までだよ。それまでに戻ってくるんだよ」
素敵な時間が過ぎるのは夢のように早いものです。
深夜12時の鐘が鳴る。魔法の効き目はもう、終わろうとしています。早く帰らなければ。宮殿の大階段を慌てて駆け下りるシンデレラ。その時おもわず残していったのが、あの「ガラスの靴」。
世界中の人たちが知っている、この一連のストーリー展開。お話の先はもう見えている、結末さえ分かっているけど、なぜか物語の世界に引き込まれる。それこそ、本作が優れた脚本と演出手法であることの証明でもあります。
映画の中で、「我が国は小さな国です。国の安寧のためにも、王子に大国の王女をお妃に」と、側近が王様に上申するシーンがあります。
う~む、国の安全保障の問題ですな。日本の戦国時代、や江戸時代はもとより、ヨーロッパの各国は、まさに国の安全保障のため、政略結婚を繰り返してきた、そういう歴史の積み重ねなのですね。陸続きで、列強に挟まれた小国の運命のはかなさ。王族の政略結婚に、国の未来を託さざるを得ない事情。海に囲まれた島国の日本とは、そのあたりの皮膚感覚が違うのでしょう。こういうところをさりげなく描くところなど、本作が大人の鑑賞に十分耐えうる要素を持っているところだと思います。
以前、池波正太郎さんの映画のエッセイで「ハリウッドの大作は、それだけで一見の価値はある」という一文を目にしたことがあります。
このところ、シリアスで、世の中が嫌になるような、ちまちました映画作品ばかり観ていたような気がします。
しかし、本作を見て、救われる思いがしました。
映画は、ほんのひと時でも、現実を忘れさせてくれます。映画は夢の世界を歩いてもいいのです。映画は無限の想像力を働かせていいのです。
美しいものをより美しく映画として撮る。そんな当たり前のことを、僕はしばらく忘れていたようです。本作を見ながら、その美しさに、なぜか思わず涙ぐんでしまった、純情可憐な、お腹突き出た55歳のオヤジなのでした。
では参りましょうか「かぼちゃの馬車」で夢の世界へ。

(なお、本作上映の前に短編「アナと雪の女王/エルサのサプライズ」がご覧になれます。僕は吹き替え版で見たので、神田沙也加のアナ王女、松たか子のエルサ女王に再びスクリーンで出会えました。これはちょっと得した気分ですね。お客さんを映画館に引っ張ってくる手段として、過去に大ヒットした作品のキャラクターを使って新作短編をつくり、それこそ女性向けファッション雑誌の「オマケ」「付録」のように、封切り映画とワンセットで公開する。これは、映画界活性化のためにも、大いに有りだとおもいました)

ユキト@アマミヤ