劇場公開日 2014年4月19日

  • 予告編を見る

「「ある一人の人間について知ったうえで、知恵を絞ってください」(少し意訳)」チョコレートドーナツ とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5「ある一人の人間について知ったうえで、知恵を絞ってください」(少し意訳)

2020年4月7日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

幸せ

萌える

「家に帰るのなら、道が違うわよ」このセリフが、こうラストにつながるとは…。

 子を産んだだけで”親”になるわけではない。だから「子育て」は「(親自身の)個育て」とも書くという。
 昔、放送大学で聞いた講義で「子が育つには、母性と父性が必要だ。けれど、母性を男性
が担ってもいいし、父性を女性が担っても問題ないという、(幼児を対象とした)調査結果がある」と聞いた。
 そんなことを思い出した。

そんなことを裏付けるように、ルディとポールの表情がどんどん変わってくる。
 正直、わざと毛むくじゃらのままにしている?と思いたくなるような、むさいルディ。最初の登場で、女郎蜘蛛かカマキリかという目力の勢いでポールを落とす。それが、ラストのシャウト直前の、鏡の前の表情。ちあきなおみさんか?と目を疑った。酸いも甘いも生き抜きながらも微笑んでみせる深みのある女性にしか見えなかった。うっすら無精ひげは健在だというのに。
 はじめは、ルディを遊び用として接近してきたようにみえるポール。マルコに対しても他人事⇒ルディへのご機嫌取り。なのに、いつの間にか”父”そして”人生のパートナー”の顔になっている。

「ゲイカップルが障害児を育てた」という1970年代の実話と、監督カップルが養子を迎えようとした実話をベースにした映画と聞く。

 『きのう何食べた?』のシロさんが常に備えているような老後の心配から、養子を迎えようとしているのではない。
 ルディがマルコを手元で育てたいと希望する理由は「ひとめぼれ」以外には言葉では語られない。でも、表情で語ってくる。
 ”世間並”ではないマルコ。常に母から、ぞんざいな扱いを受けて隅にいるマルコ。ルディは自分を重ねたのではないだろうか。自分の性的嗜好をうまく隠し、社会に居場所を作っているポールに比べ、隠せない?ルディ。自分が親からやってもらいたかったことすべてをやってあげたかったのではないか。ありのままを認めることも含めて。

施設。
 物語の中の施設で思い出すのは、『赤毛のアン』・『あしながおじさん』・映画『この道は母へと続く』…
 今ではそんなに待遇も悪くはあるまい。とは思うものの…。
 漫画『凍りついた瞳』にもあるように、児童福祉は、日本なら18歳で打ち切り。自立を求められ、昔の日本なら、住むにも、就職するにも、保証人を求められた。けれど、身寄りのないものは?今でこそ、お金で解決できる保証会社があるけれど。1980年代には、それゆえに日雇い等での稼ぎがありながらも木賃宿や路上で生活せざるをない人々がたくさんいた。
 マルコの場合は?成人したら、日本なら、障碍者福祉という行政分野に移って、NPO法人系の人々のお世話になるんだろうな。でも、マルコが生きているこの年代・この土地ではどうなる?福祉的援助が続いたとしても、同じ人に支えられてなんていう望みはあまり考えられない。物流の”物”みたいだ。その時々の制度に合わせて配送先が決まる。
 もちろん、ルディ・ポールの方が先に逝く可能性はある。けれど、彼らなら、そのことも見越して、一番負担ないように、マルコの居場所を用意しそうだ。映画『海洋天堂』のように。
 親になるということはそういうことだ。自分が寂しいからとか、見栄とかの為じゃなく、子のありのままを認めて、子と一緒に成長して、子が受け入れやすい準備をすること。
 雨露がしのげ、衣食住が保障される場所があればいいという問題ではない。勿論それは最低限の必要。

裁判。
 ある法学者がその講義の中で「情が切れたときに、法が出てくる」と言った。
 法で解決できる・答えを知ることができることもあるけれど、万能じゃない。
 最近の、野田の虐待事件の裁判でも、相模原の虐殺事件の裁判でもそうだけれど、「それを法に照らし合わせるとどうなのか」しか論議されない。なぜそんなことが起こったのか、最善の方法は何なのかを調べる場所ではない。
 この映画の裁判を見ていると、素人ながら、そこの反論こうすればとかつい口出ししたくなる。「あなたは子どものためにハロウィンで仮装しないのですか?」とか、「この人形をマルコに与えたのは?」とか、8ミリ録画はなぜ証拠として採用されていないとか、診察した医師を証人にしないのかとか。とか、とか、とか。熱くなる。
 マクロな視点ではなく、その証拠が法的にどうかというミニマムな視点。痴漢・レイプ・DVの裁判でも、この小さな論点が、被害者に有利になる反面、場合によってはセカンドレイプにもなる。
 親権をとるためには、法的な手続きが必要なんだけれど、法律では人生は図れない…。

 この映画だけを見ると、麻薬常習者よりもゲイの方が環境に悪いって言っているように見える。けれど、これが、麻薬常習者カップルVS同性愛カップルの親権争いなら、両方却下だろうか。1970年代、今より同性愛へのあたりはきつかった。反対に、ピッピー等の存在により、コカイン・ヘロイン・大麻…麻薬等に対しては今より許容的だった。児童虐待の講義を聞くとほぼ必ずと言ってよいほど最初に説明されるヘンリー・ケンプ医師の『被殴打児症候群』がUSAで報告されたのが1962年。でも、それが一般的に認知されるはもっともっと後の時代…。

 法は、私たちを守るもの。だから守らなければいけないと学んできたはずなのに。

 ゲイカップルへの差別を描いた映画という人もいる。
 でも、私には、目の前の人を大切にするということはどういうことかを、胸に刻む映画だった。

 3人の、お互いを必要とし、お互いの幸せを考え喜び合う家族と、法的に”正しい”とされる人々とのズレや、マルコの顛末を、観客の胸に刻むために、あえてそうしたのだと思われるが、
マルコが天使過ぎて、ダウン症特有の子育ての困難さがまったく描かれていない。子育てを描いた映画ではないのでいいのかもしれないが、その困難さがあっても家族となりたい覚悟が描かれていたら、もっと「マルコのことについて考えてください」が地に足ついたのになとも思う。なので、-0.5。
 尤も、二兎を追うもの一兎も得ず。配分を間違えると瓦解する。
 マルコと過ごした日々をファンタジーとして胸に焼き付けるには、これが一番よかったのだろう。

 愛を知りたい人は観てほしい。

(引用セリフは思い出し引用)

とみいじょん
とみいじょんさんのコメント
2020年4月21日

CBさん。コメントありがとうございました。
感想を共有できて嬉しいです。
CBさんのレビューにお返事しました。良かったらお読みください。

とみいじょん
CBさんのコメント
2020年4月21日

> 自分が親からやってもらいたかったことすべてをやってあげたかったのではないか。ありのままを認めることも含めて

いいレビューですね。ホントにそんな気がします。
ああ、いい映画だった…

CB