劇場公開日 2015年8月5日

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「当テーマパークに年齢制限ありません」ジュラシック・ワールド ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0当テーマパークに年齢制限ありません

2015年9月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

怖い

興奮

え~毎度、おなじみの「ジュラシック・パーク」シリーズ、恐竜アトラクションムービーでございまして。もう、ほとんど説明の必要もございません。
①子供達、恐竜テーマパークへいく。
②恐竜、脱走する。
③子供達、怖い目に遭う。
④脇役、恐竜に食べられる。
⑤子供達、ヒーローに助けられる。
⑥メデタシめでたし。
という一連の流れ、これはもう、完璧な「お約束」「予定調和」ムービーでございます。
最初っから結末はわかっているのに、何故か、観客はお金を払って観に行くわけでございますね。
要はどのように、我々観客を怖がらせてくれるか? そのオバケ屋敷的演出を楽しみに、みなさんご覧になるわけでして。そういう意味では期待を裏切らないですね。
恐竜のテーマパーク「ジュラシック・ワールド」の作り込み、恐竜たちのリアルさ。僕は2Dで鑑賞しましたが、これはやっぱり3Dのほうがより楽しめるだろうな、と思いました。
こういうジャンルの作品に、人物描写うんぬんを語るのは、野暮ってぇもんなんですが、あえて申しますと……
主人公の兄弟、ザックとグレイ、映画は主に、この二人の目線で描かれて行きます。このあたり、製作総指揮、スピルバーグ氏の子供目線尊重の姿勢は引き継がれておりますね。
兄のザックはハイティーンで、恐竜よりも、女の子の方に関心あり。メカには強く、クルマをいじったりするのが好き。でもまだクルマの免許は持ってません。弟のグレイは完全な恐竜オタク。今回のテーマパーク行きを楽しみにしていました。
彼らの両親は実は離婚寸前。この辺りの設定も、現代アメリカ社会の典型的な一例なのでしょう。観客が「ああ、ウチもそうよね」という共感を得られやすい設定になっております。
母親の妹クレアは、恐竜テーマパーク「ジュラシック・ワールド」の運営責任者の要職を務めています。兄弟にとっては叔母さんにあたります。このクレア叔母さん、いわゆる一昔前のバリバリのキャリアウーマン像でして、そこそこの年齢なんですが未だにシングルです。
本作でのヒーロー役、として登場するのが、彼女の下で働く軍事のプロフェッショナル、オーウェン。
いま、恐竜の一種、ラプトルを飼育し、手なづけるプロジェクトで実験中。プライベートでは、パーク内の寂れた所にボロ屋を手作りし、住んでいます。休みの日は、油まみれになって、レトロなバイクを修理したりするのが楽しくてしょうがない。
ちなみに日本語版の吹き替えは、玉木宏氏が演じております。もちろん、彼、いい声の持ち主なんですが、いかんせん、逆に存在感がありすぎる。すぐに玉木宏と分かってしまい、そうすると、僕なんかはどうしてもあの「のだめカンタービレ」の千秋真一を思い出すのです。まあ、これはこれで面白い想像かもしれない。
のだめの千秋先輩が恐竜を手なづけて、タクトをもって「指揮」するようなものです。
さてテーマパークは、観客へ常に新鮮な楽しみを提供しなければ、飽きられてしまいます。運営責任者であるクレアは、経営陣として、以前から新種の恐竜づくりを重要な課題と位置づけてきました。いまやDNAをハサミとノリでつぎはぎできる時代です。
一度やり始めたら、もうやめられない、止まらない。もっと刺激の強い、もっと凶暴な恐竜を!! 経営陣とお抱え科学者たちは、史上最強の「ハイブリッド恐竜」を生み出します。これをお披露目したら、みんな度肝を抜く! 話題沸騰、来場者アップは間違い無し! と期待していたら、予期せぬ出来事が。
この最強のハイブリッド恐竜が、柵を越えてパーク内に逃げ出したのです。
この日の来場客は2万人を超えていました。
この人たちをどうやって安全に退避させるか?
クレア叔母さんは、ふと気になって、園内フリーパスを渡していた二人の甥っ子たちに連絡を取ってみます。多くの人たちが避難する中、兄弟たちは、危機が迫っていることも知りませんでした。ガラスボールの様な乗り物(ジャイロスフィアと言うらしい)で園内を散策中。おまけに普段から立ち入り禁止の区域にまで入り込んでいる。管理センターのモニター画面では、逃げ出した恐竜の方へ兄弟はどんどん近づいています。このままでは二人が危ない。クレア叔母さんとオーウェンは、彼らを救助に向かうのですが……。
本作はいうまでもなく、「アトラクション映画で何が悪い」と開き直った作品でもあります。それをいまさら、ちまちまと、なんらかの文明批判めいたものを、作品の随所に「スパイス」として持ち込んでいるのが、かえって「ウザい」と感じる部分もあります。
本作での製作総指揮スピルバーグ氏が監督した、あの名作「E・T」では、ストーリーとメッセージ性が実によく調和しておりました。
子供が宇宙人と出会うことによっての、人間としての成長、そして大人たちへの不信と反発。住む星が違っていても、「友情」や「愛」は普遍なのではないか? といったメッセージが込められておりました。
本作では、科学者たちが、生命倫理のタガを外し、「ハイブリッド恐竜」を生み出してしまいます。人間の勝手によって、都合よく「操作された命」であっても、やはり彼ら恐竜も動物であり、一つの命に変わりはありません。
命に対して、人間の立ち位置とはどうあるべきでしょうか?
大風呂敷を広げるなら、西洋文明とは人間が自然を征服し、屈服させることの歴史でもありました。しかしながら、東洋的な文明、思想では、自然との調和や畏怖の念、というものが、大切にされてきました。ハリウッドのヒットメーカーに多大な影響を与えた宮崎駿氏「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」といった作品は、その精神が根底に流れております。絶対的な悪役は存在せず、善悪は相対的なものと位置づけられています。人間というものは、広い世界の中で、一人ぼっちでは、なんともか弱く、頼りない存在として捉えられています。
また、この二つの作品では、勧善懲悪的なヒーローが存在しません。トトロは子供達のヒーローかもしれませんが、それでも彼らは、あくまで「オバケ」であります。その不思議な力で、庭に植えた種を芽吹かせたり、ネコバスを走らせたりします。
また、「千と千尋」の舞台においては、八百万の神様の湯治場、という、およそ一神教の価値観では理解できない様な設定です。
大風呂敷を広げすぎましたが、本作「ジュラシック・ワールド」では恐竜対人間、自然対人間、の西洋的な二項対立の図式が少なからず感じられました。
製作スタッフはコンピュータを駆使して、恐竜を、より怖く見せようとします。より凶暴なアクションシーンを演出しようとします。
その精神の根底に流れるのは、恐竜たちの立場を尊重するのではなく、あくまで「見世物」として、人間が恐竜を支配しようとしているように思えるのです。
本作のスタッフたちは、「コンピュータグラフィック」「3Dモデル」を自由自在に操ること、その造形を支配することへの快感に酔っていないでしょうか?
本作終盤での、恐竜対恐竜の対決シーン、および捕食シーン、それは僕の目には正直かなり”過激だ”と感じました。いまのコンピュータゲームに慣れた世代には、こう言った「殺し合い」シーンは、何の違和感もないのでしょうか?
いま、話題のR15+指定の「テッド2」が公開中ですが、あれを年齢制限しているのなら、本作の「残虐」な恐竜の殺し合いシーンのある本作は、年齢制限しなくてもよろしいのでしょうか? 幼い子供達に見せても良いのでしょうか? と僕などは思ってしまうのです。
まあ、それぐらいリアルで、迫力ある演出であることは間違いなく、そういう意味でアトラクションムービーとしての出来は、極めて優れているということでしょう。

ユキト@アマミヤ