「時間が経っても唯一に新しいもの」ビフォア・ミッドナイト shelovesyouyyysさんの映画レビュー(感想・評価)
時間が経っても唯一に新しいもの
いい話し相手とは何かについて考えてみた。私が考える良い話し相手は、決して個人的な経験と日常を話さなくても何時間も話が続く人である。人と対話をしていると、ある時点で話の種がなくなり気まずい瞬間が来る。そういう気まずい時間が苦手な私は、仕方なく私の最近の日常や経験を言うようになる。例えば、実験ペアが最近優しくしてくれてうれしいとか、昨日はこういう夢を見たけど面白かったとかの、どうでもいい話を続けていく。そういうふうに対話をしてから家に帰ると、「この人と対話をしたのではなく、一人で日常を纏めただけだったなー」という考えをする。(だといってそういう対話が嫌いとは思わない。ただし、面白くないだけだ。)
昔、ある先輩と二人で居酒屋に行ったことがある。仲のいい先輩であり、学業的な面でとても尊敬している先輩だった。二人で飲みに行ったのは久しぶりだったが、その日、居酒屋で7時間程度対話をした。その7時間の間に交わした対話を忘れられない。7時間の間に日常や個人的な経験に関する話は全然しなかった。つまり、話の種がなくなって、気まずい時間から逃げるための会話は一瞬もなかったのである。頭の中では話したいことが絶え間なく浮かび、口ではそれぞれの自分たちの考えが行き来、7時間はまるで30分のように短かったのである。そのときに初めて会話の楽しさを分かった。私がある主題に関して言い出すと、その先輩は心置きなく自分の考えを話した。私はまたそれを聞きき、気になる疑問について質問し、こういうパターンの繰り返しで対話が成立していた。(会話の主題は哲学的な疑問や宗教的な問題など、ごく普遍的で広域的なテーマであった。)
その先輩が本当にいい対話の相手だなーと思ったのは、あの長かった会話の中で「恋愛」という単語が出てきたときである。「恋愛」は非常に個人的な経験についての話であり、なので私は恋愛話をするのが好きではない。それで「恋愛」という単語が出てきたときには、どうしたらそれについて話さないことができるのだろうかと、一瞬悩んだのである。しかし、その先輩は「恋愛」については一切言及しなかった。その代りに、「愛」について話をした。
素敵な人だな-と思ったのは、その時である。その先輩は自分がしてきた「恋愛」に関しては一切話さないで、変わりに自分が考える「愛」について話した。同じく私もその先輩に私の恋愛については話さないで、私が考える「愛」について話した。ピリッとした経験だった。普通、愛について話をしていると、結局は経験からくる恋愛話にそれてしまったが、その先輩とはただ愛そのものについて話したのである。つまりその先輩は、「恋愛」という極めて個人的なことから、「愛」という全ての人の共通的で普遍的なものに会話を成立させることができる人であるのだ。大人しくて配慮深い、素敵な人であった。(その配慮は、個人的でかつ大事なことを話さないようにする、私に対する配慮と、その先輩が経てきた恋愛の相手に対する配慮であろう。)
私の考えをそこまで他人に言ったのは初めてだった。私は自分の考えの底を見せるときの他人の反応を見るのが好きでないため、通常の私の考えを口で表現してこなかったが、その先輩の前だけでは違った。私の考えのすべてを聞かせてあげたかった。7時間も足りなかった。夜を明かして対話をしたかった。こういう人ならずっとそばにいたいと思った。
ジェシーとセリンは映画で絶え間なく対話をする。この映画での対話は、ビフォー・サンセットとビフォー・サンライズでの浪漫と熱情に満ちた対話とその様子が違う。ジェシーの息子に関する心配をはじめ、アメリカのシカゴへの引っ越しの問題まで、非常に現実的で不可避な対話が続く。言い争いが伴い、自分の言うことが正解だと叫んで相手を非難するような、とげ立った対話が表れる。(そのせいで浪漫の場であったホテルルームは、けんかの場である激闘場に変わったのである。)
しかし、時間というものの前で愛を常に新しくさせるために、楽しい対話は強力な力を持っていることを分かるようになる。石垣の道を散策しながら交わした対話や、エンディングでのタイムマシンの作動法についての対話は非常に愉快で愛らしい。時間の厚さに従う愛と才知が対話に現れる。楽しい対話をすることで、この人と一緒に過ごす時間がどれだけ楽しいのか、この人をどれだけ愛しているのかを分かることができる。
結局、厚い時間に垢が表れた二人にとって重要なのは、どれだけ楽しい対話が可能なのかである。時間が経つと人はお互いに慣れる。相手の習慣、顔、身振りについて慣れてしまい、まもなく飽きるようになることで、時間の厚さを無惨に覆ってしまう。しかし、時間が経っても唯一に新しいものがあるとしたら、それは「対話」である。世の中のどこにも同じ対話はなく、対話のように人の可変的でかつ広義的な姿を現しているものはない。そのため、私は楽しい対話を愛するのである。
久しぶりにその先輩に会いたいと思った。また、居酒屋とかに行って、何時間でも対話をしたい。私の考えを聞かせてあげたい。
あ、いい対話の相手があるというのは幸せなことだ。