劇場公開日 2013年10月26日

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「【600万人のユダヤ系民族処分に関わったアイヒマンは”思考しない、凡庸な小役人”と見抜いたユダヤ人哲学者がシオニズム思想からの糾弾に屈せずに、”思考する大切さ”を貫いた姿勢を描く。】」ハンナ・アーレント NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5【600万人のユダヤ系民族処分に関わったアイヒマンは”思考しない、凡庸な小役人”と見抜いたユダヤ人哲学者がシオニズム思想からの糾弾に屈せずに、”思考する大切さ”を貫いた姿勢を描く。】

2021年9月14日
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ー アイヒマン逮捕にモサドが関わった経緯については、脚色はあるものの、「アイヒマンを追え」で描かれている。
  今作は、その後裁判に掛けられたアイヒマンの姿を見、言葉を聴いたユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントが深い”思考”をして、ある結論に至る過程と、それによりシオニズム思想を持つ同胞たちから糾弾されながらも、自分の哲学者としての態度を貫く過程を、描いた作品である。ー

◆感想
 ・アイヒマンがイスラエルで裁かれる裁判シーンで、当時の実際の映像を絶妙のタイミングで挿入することで、
 ”アイヒマンは、”思考”しない只の凡庸な小役人であった。”
 と言う事を、観る側に対し、伝えようとする構成テクニックの妙。
 機械の如く、アイヒマンの口から繰り出される
 ”私は、命令に従っただけだ・・。伝達者だ。”
 というフレーズ。
 ー 今では、アイヒマンは只の小役人であり、悪の凡庸さを持った許されざる人間だったという説も認められるようになってはきたが、当時はそうではなかった。ー

 ・ニューヨーカーの特派員として、現地で裁判を傍聴したハンナ・アーレントが
 ”この男は極限状態の中、思考しなかった”悪の凡庸さ”の象徴だ。”
 ”ガラスの中の凡庸な幽霊だ。”
 と気付き、逡巡しながらも原稿に認めていく。
 ー ハンナ・アーレントが、哲学者として見抜いた事を逡巡しながらも、そして自らがユダヤ人でありながら、解釈の仕方によっては亡き600万人のユダヤ系民俗を冒涜するリスクを分かった上で、自分の考えを貫いて行く姿。ー

 ・その記事がニューヨーカー誌に発表された途端に、長年のシオニズム思想を持つ友人達や、ユダヤ系の人々や、ナチの行為を糾弾する人々達からの、脅迫紛いの多数の手紙。
 そして、大学からも辞職勧告を受ける、ハンナ・アーレント。
 だが、それに対し、敢然と”私は辞めない!”と言い放ち、満員の聴衆が見守る中、彼女が凛とした態度で、自説を述べていく姿。
 ー このシーンは、白眉である。
   ハンナ・アーレントが、満員の聴衆に雄弁に語った
   ”思考しない凡庸な悪”
   ”思考することの大切さ”についての数々の言葉。ー

<一部の人間が憮然として席を立つ中、多くの若者達からハンナ・アーレントに贈られる万雷の拍手。
 けれど、長年の友人からは厳しい言葉を受けてしまう。
 ユダヤ人哲学者として、ハンナ・アーレントが悩みつつも、”どのような状況であれ、思考する事の大切さ”を貫く姿勢に敬意を抱いた作品。
 言論の自由、思考の自由についても、考えさせられる作品である。>

NOBU