劇場公開日 1963年6月2日

「川端康成の文学の世界を再現する それだけでなく現代パートとの対比で伝えようとした監督のメッセージこそが主題だったのです」伊豆の踊子(1963) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0川端康成の文学の世界を再現する それだけでなく現代パートとの対比で伝えようとした監督のメッセージこそが主題だったのです

2020年8月31日
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鑑賞方法:DVD/BD

ノーベル賞作家川端康成の初期の同名小説の映画化
特に人気があり6度も映画化されています
本作は4度目の映画化
テレビやラジオでも、アニメでもドラマ化されているようです

映画での主演はこのような顔ぶれ
田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵

その当時の若手随一の演技派、超人気歌手、超美形という若き注目女性が現れると、企画される題材ということかと思います

吉永小百合はその条件を全て満たしているので、本作主演は当然かと思います

本作はほぼ原作に忠実ですが、大きく違う点が一つあります

現代からの回想で40年昔の思い出を振り返る構成になっていて、冒頭とラストシーンのみ1963年の現代になっています
しかも現代は白黒、回想の本編が美しいカラーになっています
現代に登場するのは主人公の40年後、大学の教授となって老人になった私です
宇野重吉が枯れ果てた老人を演じます

現代の主人公の無味乾燥な日々が白黒で表現されています
そこに教え子の大学生とダンサーという現代の踊り子の吉永小百合が、結婚したいと登場して、主人公の回想のシーンに変わり、色鮮やかなカラーになるのです
失われた青春の美しい日々の色彩の美しさです

この構成をとるのは何故か?
宇野重吉を登場させるのは何故なのか?
当時と現代との比較で、過去の差別的な社会構造を感じて欲しいということ
それが本作での監督の主張であるのだと解釈しました

だから、夢で踊り子が汚されるシーンだけでなく、それが現実になるかもしれないという暗示のシーンを追加しているのだと思います

1986年の大ヒット曲「天城越え」
カラオケやスナックでお姉さんがよく歌ってるあの曲は本作とは関係ないのですが、舞台は同じです
天城越えの九十九折り、天城隧道、新緑の伊豆の山々、谷の美しいシーンが楽しめます
但し滝はでて来ますが、浄蓮の滝は登場しません

吉永小百合は出演当時18歳
踊り子は16歳、今の高校1年生の歳
まだ無邪気な子供の部分を沢山残しているという役所はそのまま表現できています
何より目が彼女に吸い寄せられるのは間違い無いところです

現代パートの交差点は駿河台下です
すずらん通り入り口のアーチの端っこだけ写ります

現代パートの吉永小百合が、あっけらかんと大学生と交際し結婚できる幸せそうな姿
身分の違いとかを全く考えることも無い社会が実現されたのだ
(本当に?)
それが宇野重吉が出演している意味だったと思いました

川端康成の文学の世界を再現する
それだけでなく現代パートとの対比で伝えようとした監督のメッセージこそが本作の主題だったのです

あき240