華麗なるギャツビーのレビュー・感想・評価
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か、悲しい、、でも良い映画
レオ様かっこいよすぎ
ピーターパーカーの印象が強すぎて途中
なんで糸出してレオ様を助けないんだー〔笑〕
なんて思ったりしてしまいました(冗談です)
原作も読んでみようかなと思いました
どうしてもオリジナルと比べてしまう
オリジナルのギャツビーが好きなので、
どうしても比べてしまいはじめはディカプリオのギャツビーがわざとらしく感じてしまった
初めて現れるシーンなどディカプリオが花火しょってて
ちょっと笑ってしまったけど
みすすめていくうちに意外と違和感なく見れていた…!
パーティーシーンがお金かけすぎ&派手すぎてすごく胡散臭かった…
なんかすごい違和感を感じたのですがどうしてでしょう
リメイクで見なくてもいいかな!と思ってしまいました
悲しい、儚い
他の人も書いているようにパーティや、車、服装などのシーンなどが1920年代の設定なのに、今原題よりも豪華絢爛に見え、最初は昔なのに今よりもお金持ちそして発展してるようにも見えました。又ニューヨークのビル街などがアメリカは1922年でもこんなに近代的だったのか?と少し疑わしい気持ちになりました。1922年の日本だったらどんな生活してたんだ?まるで現代とほとんど変わらないじゃないかとは思いました。
けれどもそうも思っていてばかりでは映画が楽しめないと思い、徐々にそのパーティでの違和感のあるシーンには目をつぶり、ストーリーに集中していくようにしました。ストーリーは悲恋、悲哀?な話です。切ない。一言でいえば。ただギャツビーにも不安定な部分があり自分が招いた結果だったのだろうとは思ったけど、ストーリー的には悲しいのでそこに美が生まれる。ただ悲しい話です。
悲しいのに美しいと思うのはなんだか矛盾していますね。けれどもみんな失恋などは悲しい出来事なはずなのに、恋愛小説や歌ドラマなどでは悲恋な恋も美しく描かれる。なんでなんでしょうか。
それは置いといて、始まり方と終わり方が印象的です。前半は豪華絢爛近未来を思わせるような、服飾のシーンで、後半に急激に悲劇は訪れる。あっという間に幕は閉じてしまうけど、最初映画は暗い画面の中から緑の光がぼーっと浮き上がって始まってくる。終わり方はそのみどりの光がどんどん小さくなりやがて消えてしまう。緑の光はまるで、ギャツビーが思うデイジーの様。ギャツビーの恋は叶わず、最後は緑の光とともにデイジーは去り、ギャツビーの意識もこの世から消えていく。そんな悲しい光に見えた。だからその終わり方が自分の悲しさをえぐられるようなそんな光に見えた。
そしてその印象的な緑の光で始まり緑の光で終わり、豪華絢爛の後の悲しく、物悲しい最後それがあっという間に緑の光の間に起こり、まるですべてが夢だったかのような終わり方のように感じられた。鳶―まぐワイヤ扮するニックも最初はカウンセラーに話していたのに、最後にはその話は小説になっていた。まさか、それまでもすべて造り話だったのか?とも思えるような気がしてしまった。作品のことについてはあまり調べていないので、それすらもニックと言う小説家の造り話だったとまでは調べていないんだけどまるでそのようにも感じられて、一体あの豪華なお城は何だったのか?ギャツビーとはいったい何だったのか?と、少し自分だけタイムトラベルかパラレルワールドにでも遭遇したような、あの出来事全てが夢幻だったんだギャツビーは本当にいた人物なのかただのニックの小説の物語の主人公なのか?と勝手に思い少し混乱してしまった。それほどあっという間にあっけなく終わってしまった。前半のパーティシーンが嘘のような静けさとともに終わる。そんな感じでした。
終わり方は儚い。
哀しい結末
ニックの回想物語。
1920年代 ニューヨーク ロングアイランド
豪邸が建ち並ぶ街にニックは移住した。
ニックは管理人用のコテージに住んでいたのだが、隣はギャツビー邸であり、毎夜パーティーが繰り広げられていた。
ある日ニックにギャツビー邸から招待状が届きパーティーに参加した。
そこには数々の著名人がいた。
絢爛豪華なパーティーは招待状無しで誰でも参加できたのだが、その目的は?
ギャツビーの経歴に揶揄する者も多く謎に包まれた男である。
ギャツビーはニックに近づき従姉妹のデイジーとのお茶会をセッティングするよう頼む。
ギャツビーとデイジーは過去に恋人同士だった。
戦争で引き裂かれ、デイジーは大富豪のトムと結婚したのだ。
トムには愛人がいた。デイジーも薄々気づいていた。
ギャツビーとトム…デイジーはどちらを選ぶ?
ギャツビーの真実が明かされた時…
彼の貧しい生い立ちや家出後に助けた船長との旅。しかし船長が亡くなると遺産は全部家族へ渡った。ギャツビーは密造酒など不正な仕事で資金を得ていた。
ラストは。
トムの愛人だった女の亭主に撃ち殺され
1人寂しく死んでいく…
全ての罪をギャツビーに被せトム夫妻はバカンスへと旅立つ。
弔問客は誰も居ない。
ニックは絶望していた。ニューヨークにも人の情けにも…
ニックはアルコール依存症で療養生活を送る。
ギャツビー…貧しかったからこそ頑張れた。華麗な経歴はデイジーと同じ土俵に立つ為に必要だった嘘。
デイジーを想う一途な男…ギャツビー。
純愛映画でもある。
先入観を巧みに利用した映画。
序盤の謎めいたギャツビー。そして、豪華で華やかなパーティーとは裏腹に、蓋を開けてみれば富豪とは思えない清純、純愛的な展開が待って居ました。
すぐそばで彼の人柄を見てきたニックのギャツビーに対する思いや台詞に感動させられました。
たったワンシーンのセリフで良くも悪くも映画の印象を代える、記憶に残す、稀な作品だとも思います。
というか、ディカプリオの映画はハズレが本当少ない!気がします。
女性を見る目を磨いて欲しい。
デイジーのどこが良いのかがちっともわからなかった。可愛いけれど、そんなに人生を賭けるほど魅力的?
パーティーシーンの花火や、シーツを2階から次々に舞わせるシーンが綺麗でとても印象に残っている。
全体的になんだか空虚で心が潤わなかったが、ディカプリオの演技は好きだし、今回も繊細な物哀しさと自信ありげな振る舞いを両立させていた。
空洞だけの"狂乱"の奥に…。
結局ニック・キャラウェイだけが"彼"を知る者になって、愛するデイジー・ブキャナンは"愚かな狂乱"の一部になった…。だけどそれが"愚か"なのか括ることが全然出来ない…。きっと"ジェームズ・ギャツビー"も同じことが言えるかも。過去の"愛"を追い求め、その為だけに全てを捧げる…。それを愚かと言う人もいるかもだけど、だとしてもあの生き様を最期まで見て、愚かだなんて思わない。だって"愛"は理屈なんかで表すことはできないし、その時誰かを好きになったら、想いは燃えて止められないし、胸を痛めて苦しめて、些細なことで嬉しくなる…。そんな厄介で制御できない愚かなものが"愛"だから…。
正直ラーマン監督作は『ロミ+ジュリ』以外見てないけど、これほど哀しく真っ直ぐな"愛"をこんなに熱く感じたのは、間違いなく監督のおかげ。賛否両論の対象らしい"豪華絢爛な装飾"と"響き渡る派手な音楽"。この二つがあるからこそ躊躇ゼロで星5にしたから。
まあ唯一不満があるなら、『アビエイター』の頃のレオにギャツビーやってほしかった。でも映画嫌いじゃないし、今度は3Dで見たい!
ストーカー的ディカプリオがスゴイ!
フィッツジェラルド原作の小説「グレート・ギャツビー」を
「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマン監督が映画化。
レオナルド・ディカプリオと、トビー・マグワイアの
2大スターでおくる ラヴ・ストーリー(?)
1920年代、禁酒法時代のアメリカ。
作家志望のニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)は、夢を求め ニューヨークの街へ来やってきた。
引っ越してきた家の隣には、毎夜~絢爛豪華なパーティーを開いている謎の大富豪ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)の豪華な屋敷が建っている。
ちょうど 港を挟んだ向こう岸には、ニックのいとこ デイジー(キャリー・マリガン)が、夫のトム・ブキャナン(ジョエル・エドガートン)、娘と共に暮らしている。
夫のトムには愛人がいて、そのことを感じ取っているデイジーは、
心を痛めていた。
ある日ニックは、ギャツビーからパーティの招待状を受け取る。
でも他のパーティの出席者は皆、招待を受けたことはなく 噂を聞きつけて勝手にパーティにやって来ただけで、ギャツビー本人をも知らない。
噂だけがひとり歩きし ギャツビーは謎の多い人物として知られていた。
実は、ニックに招待状をわざわざ渡したのにも理由があった。
それは、向こう岸に住む、デイジーとお茶会がしたいというのだ。
そのため いとこであるニックに、お膳立てをして欲しいと・・・。
謎の多い、素性もわからない男にデイジーを会わせていいものか?
ニックは悩んだ。
ジェイは、自分の経歴などを話し信用を得て 最終的に ニックからOKをもらう。
ニックの自宅でのお茶会当日。
そわそわと落ち着かないジェイの元に、デイジーの乗った車が到着する。
あまりにも親密そうな2人の姿を見て、ニックは何かあることは感じていた。
しかし、親密になるにつれて デイジーの夫トムはジェイを怪しんだ。
そしてトムの口から暴かれた真実に、ジェイは取り乱してしまう。
デイジーも混乱し、その場から立ち去るが・・・・・。
バズ・ラーマン監督といえば、「ムーラン・ルージュ」で絢爛豪華な映像美の中、悲恋の物語を描いた監督です。
今回は、「華麗なるギャツビー」ですが・・・
私は今まで、この作品を観たことがなくて(もちろん原作本も見てないです)
何の予備知識もないまま劇場に向かいましたwww
というか・・・・
レオナルド・ディカプリオ!!!
やっぱすごい役者だな~って再認識したw
初めて観た作品は「ボーイズ・ライフ」だけど、この時の演技力の凄さも ディカプ~すご!って思ったし。
ジェイ・ギャツビーという男は、夢の中で生きていたんだな~って、なんだか共感できる部分が多い役柄だったかな。
お茶会の日、5年振りにデイジーと会うシーン。
ディカプリオが スゴく良かったです!
泣き所じゃないんだろうけど(w) 泣いちゃいましたねー。
思いの丈が伝わる演技が、半端なかった!!
ここから下は、ネタバレ注意
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
正直言って、内容的には・・・厚みもなく、
傑作!って感じではないです。はい。
とにかく、ディカプリオが凄い!って感じかなーw
ジェイの生い立ちなど語られるところは、簡単にサクサク語られて、
「え?そんなんでいいの?」って感じだし。
音楽とか・・・この時代にヒップホップみたいな曲って・・・?
んま~派手にしたいのはわかるけど、チョッと時代とそぐわなくない?って思ってみたり。
ま~バズ・ラーマン的演出なんでしょうけどw
今回のディカプリオの役どころは、一歩間違えれば
ストーカー的「カンチガイ野郎」にもなりかねないけど
観客に そぉ思わせないのは、ジェイのひたむきな「愛」なんでしょうか。
この時代は、政略結婚は当たり前。貧乏人と貴族が一緒になるなんて考えられない時代だったんでしょう。
そんなジェイを、ほんのチョッと応援したくなってしまいます。
戦後~失った5年間を取り戻したくて、デイジーを説得するも
時間が止まっていたのはジェイだけで・・・
デイジーも時の流れには逆らえず・・・。
最後、デイジーを含む 上流階級の人間には
嫌悪感を抱きかねないエンディングで後味が悪かったかな。
こんなのありかよ!
所詮~金持ちなんてこんなもんかよ!・・・って感じ。
劇場を出て、重苦しい空気に包まれながらチャリこいで帰ったよ。
とにかくディカプリオ好きは、外せないと思うので観て欲しいですね。
ディカプリオで観る、2時間30分という感じ。
あの演技力・・・やっぱり彼は、ただ者ではないです。
ぼやっとしてる。
原作読んでも思ったけど階級差がピンとこないのでなんかぼやっとした印象を受ける。
事故の場面が華やかで独特でよかった。
ディカプリオの可哀想な天才ハンサム役ならキャッチミーイフユーキャンの方がいい。
とりあえず第一に、デイジーがかわいすぎた。衝撃的なかわいさ。笑 C...
とりあえず第一に、デイジーがかわいすぎた。衝撃的なかわいさ。笑
CMで見た、豪華絢爛なパーティーや、暮らしぶりが印象的だったから、まさかこんな内容とは、、、とても悲しい気持ちになった。ギャツビーが主役かと思ったら、ニックだったのも意外だったかな。
デイジーもその旦那さんも、最低の極み。ギャツビーが純粋すぎたのかな。
ニックが終盤に言った、君の周りはクズばかりだ、価値があるのは君だけだ。って言うセリフが印象的。あんなにたくさんパーティー参加者がいたのに、花はニックからの一本だけなんて、、、淋しすぎる終わりでした。
なるほど
ドロドロ?
ってみせかけて実は儚く
最後にはギャツビーに同情してしまっていた
大好きな彼を待つのに疲れ結婚してしまったが、結婚して徐々に夫を愛してしまったデイジーだったが、
そんな大好きだった彼、ギャツビーが目の前に現れた。
ギャツビーも今までの努力は君のためだったと伝え、思いを伝え、今の夫との結婚をやめるように仕掛けたが、デイジーはそれほど勇気もなく、過去にばかりとらわれていなかった
ギャツビーがデイジーを想う気持ち、今までの努力や考え方。
デイジーがギャツビーを想う気持ち、そして今の生活が終わってもいいのかとギャツビーと一緒になる怖さ。
うまく書かれていて、とてもよかったとおもう。
あいら・ふぃっしゃーが好きなので
あっけなく死んでしまったのが少ししょっくである。
華麗なるギャツビー
華麗なるギャツビーは私の主観ですが傑作です。
一人の男の愛、そして人間の卑怯で臆病な面を映し出した作品かとおもいます。
L.ディカプリオの演技は莫大な富をもちながらも姿を表さない有名人。彼はこの作品の中でありとあらゆるものを手に入れていたが、唯一手にできないものがあった。そのどこか儚げながらも魅力溢れる後ろ姿は彼にしかできない演技であると思いました。
またT.マグワイアの第三者としての目線でみれるのも、おもしろかったと思います。彼だけがギャツビーの唯一の”友”と呼べる存在であり、彼だけがギャツビーを愛していたと思いました。
みんなでわいわいと見る映画ではありませんね。
男性がひとりで見たり、女性が男性の恋愛観の一つとしてみるのがオススメかとおもいます。
おとなの映画です。
本当に愛しているのは自分自身。
舞台はゴージャスで役者勢も美しく、素敵な映像でした。
内容については、切ないというよりも悲しい気持ちになりました。
ギャツビーも、デイジーも、トムも、皆1番愛していたのは自分自身なのだと感じました。
自分以外を愛して欲しくなかったギャツビー、自分は守られる場所にいたいデイジー、秘密を隠すために罪を着せるトム。
他人のためではなく、愛する自分のために。
そして2本の手では持ちきれぬ以上の欲に、自分を見失っているようにも感じました。
人間味ある作品でもありました。
ゴージャス!
予告が豪華だったので見ました。
私には縁のないお金持ちの人の話を見るのは楽しかったです。
豪邸や衣装や車を見るだけでも楽しい。
これを見た後にリメイク前の華麗なるギャツビーを見たのですが、こっちの方が断然いいです!!!
トビー・マグワイアの演技が良かったです。
デイジー・ブキャナンの少女のような無邪気さもぴったりでした。
ただ、罪をなすりつけたあげく死んでしまったラストは虚しかったです。
過去は戻らない。
レッドフォード氏の旧作が懐かしい^^;
当時(それ以前から)華麗なる~っていうタイトルは多かったが、
まさにその華麗をまとった美青年をレッドフォードが体現した。
華麗なお顔立ちというのは、華麗な衣装も良く似合うのねぇ。
さて。話変わって、今回の主役は…あのディカプリオ。
最近では、某局女子アナがやらせた「大物俳優の顔マネ」が
脳裏にこびりついて離れない。だから美青年のイメージが遠い~
けれど、演技はさすがの年季モノで切なさが際立って出てくる。
主役は彼でも、牽引するのは隣人、T・マグワイア。
この人は本当に語りが巧い(爆)
日本でならNHKでナレーションを受け持ってもいいくらい巧い。
彼を語りに起用したのが大正解で、
派手派手な監督B・ラーマンが描く落ち着きのない1920年代が、
何とかそれなりに観られた感じがする。
せっかくのチャールストンにも全く時代性を感じられず、
豪華絢爛さはかなり発揮されていて良かったのだが(3D用?)
ドラマとしての雰囲気やノスタルジックな味わいがほとんどない。
ラップが流れた時にはどうしようかと思った^^;
ただ、物語は原作により近いのだそうだ。
というわけで派手派手世界の中、浮いた存在になるギャツビーが
前半の華麗さと打って変わり、後半は苦しみと孤独を深めていく…
タイトルとは裏腹にかなり切なく空虚な物語である。
原作者フィッツジェラルドの半自伝ともいわれており、当時の彼が
どれほどの贅を尽くし、その後の大恐慌と共に崩れ去っていったか、
彼の若き日の大成功とその後の悲劇が何故かギャツビーと重なる。
まぁ人生…いい時も悪い時もあるとはいえ、
あまりに高い社交界の花を愛してしまった故の悲劇に他ならない。
アメリカンドリームを体現してしまった男には、
退くどころか諦めることもできない、ただただ哀れな姿が残る。
女の私からすると、やはりこれは再燃できない愛だろうな…。
そもそもデイジー(C・マリガン)という女は、上流階級の娘だ。
縁あって若い頃、ギャツビーにのめり込んだが、結局は金持ちの
トムと結婚する。ギャツビーが成り上がるのを待てなかった訳だ。
価値観の違いほど夫婦間の妨げになるものはない。
生きてきた土壌が違う二人は愛に対するベクトルもかなり違う。
後半で、デイジーがとる行動のひとつひとつがギャツビーの哀れを
際立たせるのは、愛人にのめり込んで浮気放題のバカ夫トムが持つ
莫大な財産や地位、世間体、それらが愛なんてものより必要なの♪と
涙を流すデイジーの顔にしっかりと書いてあるからである。
過去は過去。もう取り戻せない。というのは私も本当にあると思う。
結婚しなかった二人には、結婚しなかったなりの理由があるのだ。
それでも一途にデイジーを求め続けるギャツビーの真摯な求愛劇に
(たいへん失礼ながら)
こうして粘着ストーカーが生成されるのかしら?と考えてしまった。
彼らを冷静に見つめるニック(マグワイア)を通して、
バカげた狂騒劇を観せられてきた観客も、後半では彼と同じように
ギャツビーの波乱人生に対する想いがジリジリと胸に迫ってくる。
派手派手から一気に奈落の底へ転落する様は、
考えてみればラーマンだからこそ描き出せた光景なのかもしれない。
決して面白い話ではないが、
ひとりの恋する青年が一途に求めた初恋の相手との結婚。っていう
時と場を変えれば、いつでも成り立ちそうなドラマティックな恋愛。
そこに世相を絡めて一気に書き上げたというフィッツジェラルドの
才能と、お祭り騒ぎのあとはどうなるか、を描き切ったラーマンとの
コラボレーションが142分を飽きさせずに魅せてくれた。華麗で空虚。
(トムもデイジーも責任放棄するとは。人間としてどうよ~と思うけど)
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