劇場公開日 2023年10月27日

  • 予告編を見る

「クストリッツァとアンゲロプロス」アンダーグラウンド(1995) 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0クストリッツァとアンゲロプロス

2022年11月16日
iPhoneアプリから投稿

テオ・アンゲロプロスが張り詰めた氷のような静謐の中で厳粛に歴史を辿る映像作家だとすれば、エミール・クストリッツァはパッショネイトな喧騒の中で酔っ払って転げながら歴史を駆け抜ける映像作家だといえる。巨大な歴史遊覧船がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争という暗礁に乗り上げるという顛末まで含めてアンゲロプロスの『ユリシーズの瞳』と本作は酷似している。思えばフェリーニ的祝祭に興じる人々が川にせり出した島ごと切り離されて沖合に流れていくラストシーンなんかはもうそのまんま『シテール島への船出』のラストシーンと同じだ。

民族も国家も喪失した彼らが行き着く場所はもうどこにもないのかもしれない。たとえどれだけ酔っ払おうが騒ごうが個人的な人間関係の再生手続きを行おうが、歴史のダイナミズムはそれとは関係なしに人々を引っ張り回し続ける。それゆえに「この物語に終わりはない」。スタイル的には陰陽真逆な二人の作家が歴史的彷徨の果てに全く同じ問題圏に座礁してしまったあたりに、フィクションに対する現実の途方もない巨大さを感じた。そうとわかっていながらなおかつそれをフィクションの中に、しかもきわめてアレゴリカルな形で落とし込もうと試みる二人の気概にはただただ感服するばかりだ。

本作の全編を貫くカオスな様相は、クストリッツァなりの歴史に対するオネスティの表れなのではないかと思った。途方もなく巨大な歴史の波濤を、できる限り腕を大きく広げて、できる限り抱き止め、できる限り映像に刻印する。それゆえ展開されるカオス。丹念に執拗にある一点を見つめ続けることで歴史のほうにその暗部を吐き出させるアンゲロプロスのやり方とはこれまた対照的だ。スマートさでいえばアンゲロプロスに軍配が上がるんだろうけど、私としてはアレもコレもと手当たり次第荒唐無稽にひっ捕まえていくクストリッツァの焦りにも似た作劇も愛おしいし尊敬できる。というかそもそも、どれだけ無茶苦茶やってもどっかで一本芯が通ってればそれで全部オッケーなのがフィクションなのだし。

『白猫・黒猫』でも思ったことだが、クストリッツァは本当に動物に演じさせるのが上手い。動物たちにそんな気は毛頭ないんだろうけど、たとえばイヴァンが飼っていたサルなんかはもはや立派なキャストの一人だ。あと動物の羽や毛を雑巾代わりに使うシーンがもう一度拝めるとは思わなかった。『白猫・黒猫』では肥溜めに落ちた半グレのオッサンがその辺にいたアヒルで体を拭いていたシーンが、そして本作ではクロが猫で自分の靴をゴシゴシ磨くシーンが。不謹慎といえば不謹慎だけど単純に映像として面白すぎるから困る。

因果