鬼火(1963)

劇場公開日:

解説

自己を失い死を決意した男の最期の48時間を描く。63年度ヴェネチア映画祭審査員特別賞、イタリア批評家選定最優秀外国映画賞受賞作品。製作はアラン・ケフェレアン、監督・脚本は「ルシアンの青春」のルイ・マル、原作はピエール・ドリュー・ラ・ロシェルの『ゆらめく炎』(河出書房刊)、撮影はギスラン・クロケ、美術はベルナール・エヴァン、音楽はエリック・サティが各々担当。出演はモーリス・ロネ、ベルナール・ノエル、ジャンヌ・モロー、アレクサンドラ・スチュワルトなど。

1963年製作/フランス
原題:Le Feu Follet
配給:フランス映画社
劇場公開日:1977年8月6日

ストーリー

「人生の歩みは緩慢すぎる自らの手で速めねば……」。アラン(モーリス・ロネ)はアルコール中毒で入院療養中、死にとりつかれていた。壁の鏡には、7月23日の文字。彼の人生最期の日だ。鏡の周囲には、彼を愛さなかった妻の写真、マリリン・モンローの自殺記事の切り抜き、悲惨な事件の切り抜き……。アランは拳銃の弾丸を点検する。翌日、パリに出たアランは旧友を再訪した。安定した家庭生活を送る友、だが、彼はその凡庸さを嫌悪する。エヴァ(ジャンヌ・モロー)らは麻薬に日々を送る退廃。物事を待つだけの希望と虚偽の青春。待ちくたびれ荒廃に絶望を感じるのはアランだけなのだろうか。昔なじみのソランジュ(アレクサンドラ・スチュワルト)が催す晩餐会。彼女の優しさも、アランの孤独感をつのらせるばかりだった。翌朝、療養所に戻ったアランは、読みかけの本の最後の頁を読み終えると、静かにピストルの引き金をひく。「ぼくは自殺する。君達もぼくを愛さず、ぼくも君達を愛さなかったからだ。だらしのない関係を緊め直すため、君達のぬぐいがたい汚点を残してやる」。今、自ら生きたいと思っていたその希望が去り、アランは静かに生きることをやめた。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第1回 日本アカデミー賞(1978年)

ノミネート

外国作品賞  
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映画レビュー

4.5ルイ・マル30才の作家の映画

2022年3月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この映画は、「死刑台のエレベーター」で華々しく本格デビューしたルイ・マル監督の傑作として当然のように1964年頃日本公開するはずだったが、内容のあまりの暗さでお蔵入りになった曰く付きの作品だった。それが漸く10年以上の年を隔てて本邦初公開された。確かに内容は、ひとりの男が自死を決意し、それを実行するだけの暗鬱とした二日間の短い時間を描いた地味な映画であり、主人公を演じるモーリス・ロネの渋い演技も興行的に難しいと思われても仕方ない。
この映画は、単にストーリーを知るだけに観ていては、誰にだってつまらないに違いない。わざわざ劇場に駆け付け、ブルジョアらしきアルコール依存症の男が生きる望みを失っているだけなのをじっくり観たところで何が楽しい。凡そ映画本来の楽しみ方を無視して、この映画は作られている。マル監督は、デビューしてから「死刑台のエレベーター」「恋人たち」「地下鉄のザジ」「私生活」と順調に一年に一作と発表して来て、この時30歳を迎えていた。人生において、もっとも意欲的な姿勢を構える年代である。生きている実証が欲しい時に、マル監督が創作したこの絶望の内容から言えることは、それまでの自分を一度リセットして、純粋に自分の為の映画を作りたかったのではないかと想像する。それはそれまでの自分を殺すこと。

ルイ・マル監督は、「死刑台のエレベーター」「恋人たち」を見て解る通り、最新の流行を取り入れ贅沢な生活を送るブルジョアを登場人物にしてきた。その彼自身も企業経営者の子に生まれた富豪であったが、映画を学んで僅か23歳で記録映画「沈黙の世界」で成功を収め、25歳で処女作「死刑台のエレベーター」で俊才を証明する。あまりにも順調過ぎる経歴と評価だ。贅沢な生活を知る点ではルキノ・ヴィスコンティ監督に準ずるし、25歳にして代表作を手掛けたところはオーソン・ウェルズの早熟さに似ている。才能があることは明白だが、この恵まれた環境に対して、このままではいつか創作活動が枯渇する恐怖心があったのではないだろうか。
フランソワ・トリュフォー監督とは真逆の出自を持つルイ・マル監督は、ヌーベルバーグではないと私は思っている。ドキュメンタリー映画を出発点にしたマル演出の特徴は意外とオーソドックスなもので、モンタージュに特に斬新さは無く、題材の異色さにマル監督の特徴がある。それに、音楽の趣味が良いことも挙げられるだろう。この映画は、モノクロ映像の美しさと、死を覚悟した男の最期の私生活を見詰めた演出タッチ、それに合った静かで物憂いエリック・サティの音楽が奏でられた世界観を観る映画である。

マル監督についても、この映画の主人公についても、全てが満たされた人生程つまらないものはない。人間は何か一つ満たされないものがあって生きて行く目的が出来るのではないか。この映画を創ることで、マル監督は自殺することなく再び映画を創っていく。その意味で、これはマル監督の人生観を反映した作家の映画と言えるだろう。マル信者を自認する私には、とても興味深い傑作であった。マル監督のある意味分身と思われる主人公を演じたモーリス・ロネの名演と共に。

  1978年 4月27日  名画座ミラノ

尊敬する監督はと聴かれたら、チャップリン、フォード、ルノワール、ヴィスコンティ、フェリーニ、デ・シーカ、ヒッチコック、レネ、ブレッソン、ドライヤー、ベルイマン、クレール、ラング、クルーゾー、トリュフォーと挙げられるが、好きな監督なら、マル、キャプラ、ルビッチとなる。何よりユーモアが大好きだし、マル監督については、どんな作品でもすんなり映画の世界観に入っていける演出タッチが一番自分に合っている。観ていて安心できるのだが、このような暗い題材でも何故かそれは当て嵌まる。

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Gustav

3.0鬱というよりは厭世

2021年3月13日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

フランス映画なんで、やっぱりそれ相応に会話が多めなんだけど、はなからけっこう眠たい状態で見始めてしまった、、ので、細かい見落しはありそう。

主演の人、典型的な昔のフランスの甘いマスクって感じなんだと思うんだけど、ちょっと甘ったれた感じに見えてイライラしてしまった(腹痛のせいもあると思う。ごめん。)

主人公は一応、アルコール依存症ってことになってるんだけど、今みたいな専用のリハブもない時代だから、精神病院に入ってて。でも、入院というより入居に近い生活。豪勢なマンションを数人でルームシェアし、小間使いも雇って、部屋の中から鍵もかけられて、みたいな。当然、居心地がいい。医者に退居、いや退院を迫られても、のらりくらりと言い逃れる日々。

でも、旧友たちを訪ねに街へ行く気力はある。冒頭シーンと会話から察するに、どうもEDらしくもある。本人もそれを気にしてる。でもって、知り合いたちの生き方がどれもこれも気に入らない。老けるのが嫌。大人になるのも嫌。

たぶん、鬱というよりは、気難し屋の厭世家で、ついでにちょっとピーターパン症候群でEDの人ですね。フランスはアモーレの国だから、EDを深刻に捉えたんでしょう。依存症もそうだけど、医学が進歩してよかったな。「休みなさい」「人生は楽しいものだよ」なんて、医者じゃなくたってパンピーだって言えることだもんね、、

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yolanda

4.0人間らしい陰鬱

2015年5月3日
iPhoneアプリから投稿

サティの曲が静かな狂気を含んでいて全体を覆う物悲しさに妙にあう。でもどこか私はこの作品から、ひどく陽気な人生の素晴らしさを感じた。

「僕は人生が好きだ。
君の中の代え難いものが好きだ。
君の中にある人生が好きだ。」

の台詞がすき。

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marica
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