劇場公開日 2001年2月10日

回路 : 映画評論・批評

2001年2月1日更新

2001年2月10日よりニュー東宝シネマほか全国東宝洋画系にてロードショー

ネットを介して現れる幽霊の正体は?

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カラの洗濯機が回っているとか、フタの空いたコピー機が勝手に動いて黒い紙を次々に吐くとか──そんな「空虚+間合い=恐怖」という図式が黒沢清映画にはある。同様に本作では死者の世界の画像がいきなりパソコン・モニターに映しだされる。光量の低いイヤな感触の室内映像。これは、死の無言の重圧が無方向で生者に迫り、やがて地上全体が無人世界と化してしまう「壊滅映画」だった!

劇中で出会うことになる加藤晴彦と麻生久美子がそこから脱出できるか否かが作品の焦点となる。成行きがドラマチックな悲愴感を伴うのは、監督が東宝という看板を意識したからだろう。だからこれは実は恐怖映画ではない (麻生久美子が出社しなくなった花屋店員の住まいを訪れたとき、応対した彼が突然首を吊っているくだりは確かに怖いが)。むしろ特撮から生じる画面細部のゴシック感覚をここでは堪能したい。人間が瞬時に黒いチリとなりこの世から消える刻々。画面合成した飛行機が轟音を立て低空通過する瞬間。何という豪華絢爛な終末論映画 だろう。でも哲学はない。その意味では、世界の終末を低予算で効率的に描いた前作「大いなる幻影」を美しく娯楽化したのが本作だといえるだろう。

阿部嘉昭

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