コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
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無口で不器用な少女が親戚に 預けられた日々
親戚の家でも 心を開けない、ネクラな少女。
あまり馴染めなかったのか。。。
しかし 親が迎えに来た日に 実は
そこの生活が気に入っていいて 戻りたくないと 駆け出す。。。
静かだけど、ジーンと心に響く
寡黙な少女という設定だけに主人公のセリフが極端に少ないのですが、それでも何故か彼女のこころの声がはっきり聞こえてくるのですよね。そして親戚夫婦が自分たち身に起こったある哀しみを抱えながらも、そんな彼女を一定の距離を保ちながら受入れ、認め、成長を見守る姿が印象的で、その中で彼女が漸く自分の居場所を見つけてゆくそのプロセスが、静かに、詩情豊かに、描かれています。
いろいろな事情で親と暮らせない子ども達と、隣り合う保育士たちの生活を8年にわたって記録した「隣る人」という日本のドキュメンタリー映画(2011年)や「万引き家族」(2018年)を思い出しました。これらの映画で描かれた家庭ほど、コットの置かれた環境はひどいとは思えませんでしたが、それでも血の与える父性と母性、環境の与える父性と母性、子どもたちにとっての本当の幸せは、どっちがよいのだろうと考えさせられる部分は彼女の場合にも確実に存在していて、現状の制度は、どこか血に偏っているのかもしれない。そう思います。
最近日本でもよく目にするようになった実の父母による虐待死の事件をみると、血の父性・母性の限界を、社会の仕組によって補完する制度設計が大切ではないか。最近特にそう思います。
静かだけど、ジーンと心に響く作品。そして子どもの幸せとは何かを見つめ直す意味でもとても良い作品だと思いました。
愛してしまった、愛を知ってしまった。
貧乏な大家族に生まれ、寡黙な性格の9歳の少女が、一夏の間親戚夫婦のもとで過ごす話。ミニシアターでの上映にも関わらず、多くの映画好きの方が絶賛されていたので、これは見なくてはと慌てて鑑賞。公開からかなり時間が経過した平日の昼間でしたが、中々の集客。昨年の鬼太郎といい、映画はクチコミによって左右されるなぁと身に染みて感じます。
そんなクチコミを信じて良かった。映画好きのみなさん、ありがとう!と心の中で叫ぶほど、大好きな作品でした。評価は4だけど、詳細にすると4.3で比較的4.5に近い点数。今年はミニシアター映画強すぎ!?9歳は環境によって人格が形成される、多感で大事な時期。親戚夫婦どころか、実の両親に対しても警戒しっぱなしのコット。自分はお父さんとお母さんに迷惑をかけてはいけない。そんな少女が次第に心を許し、立派な大人へと成長していく様は、まるで絵本のようにシンプルな展開だけど、心の暗い部分が全て浄化されたような気持ちになりました。
人に迷惑をかけずに生きれる人なんて、誰もいない。自分も笑っていいんだ、楽しんでいいんだ。コットを演じた新鋭・キャサリン・クリンチの演技はオスカー級。子どもらしさと大人っぽさ。その両方を兼ね揃えた見事な表現力。下を向いて恐る恐る歩いていた少女がひと夏の間で、前を向いて全力で走るようになっている。90分あまりですっかりコットの親気分。立派になったもんだ、泣いちゃうよぉおお。。。
親戚のおじさんがものすごくいい味出している。言葉には出さないけど、誰よりも思ってくれている。おばさんはまるで聖母のような優しさだけど、おじさんは良い意味で人間味のある優しさで、不器用でも、その分胸にグッとくるものがある。「瞳をとじて」も良かったけど、本作のラストもやばい。なんちゅう終わり方してくれるんだ全く...。どうにか幸せを掴んでくれ。気づいたら手を合わせて願っていました。
物静かで、エピソードとしては物足りなさはあるものの、コットの成長物語、そして教育の在り方について、ものすごく丁寧に描かれていた、素晴らしい作品でした。こういう映画が見たかった。大規模公開映画の派手なアクションもいいけど、単館上映の優しい人間ドラマも最高だね。
美人すぎる小学生
コットみたいな娘ならいくらでもオレが面倒をみる!以上!というのが素直な感想だが、無論ペドフィリアではないので安心してもらいたい。子どもなのに美人すぎるキャサリン・クリンチの透明感に全部もっていかれた。郵便受けまでの並木道をコットが駆けるシーンでは「フォレスト、ラーン!」と言いたくなった。
アイルランド人はカトリックだから避妊しないのか、その結果の子だくさんが家庭の経済的な問題の一因ともなっているようだが、それにしたって親が子どもに冷たすぎ。ビッグダディを見習うべき(参考にならない)。
アイルランドに惹かれて観たけど、、、
予告で観たストーリー以上でも以下でもなく、まんまwww
ということで期待した涙活もロクに出来ず、いろんな人の『熱いものが込み上げました』レビューを読むとまたしても“あたしは冷たい人間なのではないか?”と疑ってしまうけど、それはそれとして。
あんなに自分という存在を大切に扱ってくれる人たちとひと夏過ごしてしまったら、今後のコットな生活がどーなってしまうのか心配……
幸せをイメージできることって大切
1981年、アイルランドの田舎町、大家族の中で暮らす9歳の少女コット。親の愛情が足りてないのは世界標準。
夏休みを親戚夫婦の農場で過ごしたコット。
いきなりバスタブ🛀の温かいお湯で落涙。
優しくされると弱いなぁ。
そこからは伯父さんと伯母さんの優しさにふれ涙し続けることに。
そしてラストで思いっきり嗚咽を漏らした。
そう、館内が嗚咽で包まれた。
愛情を知ることって、幸せをイメージできることってホント大切なこと。
ないものねだりだけど、こんな親戚がいたら家族を持つことに怯えなくても良かったのでは、こんなに遠回りすることもなかったのではと。
親がクズでもまっすぐ育つ子どもはいる
子だくさんとクズ親の相関関係ってあるんだろうか。個人的な偏見なのだが、子どもが多い家庭にはダメな親が多い気がしてしまう。子育てが大変だということも影響している場合も多いし、そんな物語を読んだり観たりした印象の可能性もある。
本作の親は子だくさん。新たに子どもが産まれるから、末女のコットが叔母夫婦に預けられる話。アイルランドの風景がとても綺麗で静かなのがとても印象的。主人公のコットももの静かな子で、自己主張ができない。原題もクワイエット・ガールだしな。
そのコットが叔母夫婦から愛情を受け、1人の人間として尊重されることで成長する姿が描かれる。やはりとても静かな物語。盛り上がる箇所は少ない。途中は静かすぎてちょっとしんどかったくらい。
ただ、終わり方がいい。いや、正直言えばもう少しわかりやすくしてもいいとは思う。でも、そうしてしまうと余韻がかなり異なってしまう。これはこれでいいと割り切るしかない。
ダメな親だろうがまっすぐに育つ子どもはいるってこと。コットがもっと自分を出せる人生になってほしいし、コットと叔母夫婦に幸せな未来があることを願ってしまう。
珠玉の名作
目立った抑揚はなく、静かに力強く訴えてくる映画でした。ワンカット、ワンカットが、とても丁寧に撮られていると思う。アイルランドの静謐な空気が感じられます。
ラストシーンも凄く良いです。
観終わって、今一度予告編を観るとこみ上げてくるモノがあります。
良かったね、
真の意味でのお父さん。でもあのエンディングは・・と最初思いましたが、子どもにとっては思い通りになる事は少ないのだと、次第に思い当たりました。
秘密の花園系自然治癒モノと考えても、静かさが際立つ作品でした。“沈黙の機会を逃した”いい言葉と思います、気まずい沈黙の時間、それは決して不要な時間ではないと感じます。
イヌと仲良くなるシーン欲しかった、ヨーゼフの如く。
タイトルなし
ひたすらコット(キャサリン)を映す。うーん。かわいいのは確か。演出が彼女のかわいさを強調しすぎ頼りすぎだと感じました。彼女の少ない言葉と表情からその心情を思わなければならないんですが、それにしては演技経験不足に思える。
アイリンおばさん、どこかで観たことがあるような素敵な人。
秘密を持つことで心の陰影がより濃く深くなる。少女の心の成長
少女の名前はCáit。発音としてはコットというよりはコーットに近い。アイルランドには割とある名前でpureという意味を持つようだ。
本作はまだこの何にも染まっていないpureな少女の心の動き、心の成長を丹念に丹念に描く。博打好きで粗暴で世渡り下手な父親と、生活に疲れきった母親。姉たちにも邪険にされ心の拠り所がない。極端にいうと牛と同等の扱いをされることにより本能的な危険からの逃避、隠れることだけが心の大半を占めている。
でもショーンとアイリーンと暮し、気を配ってもらい、構ってもらい、愛情を注がれることによって心の様相が変わっていく。そして農場の自然に触れ、人間の赤ん坊や牛の仔と接し、人の死をも体験することによって心は豊かになっていく。つまり心のひだが深くなるというか陰影が濃くなっていくのである。
最後に重要なのは秘密をもつことである。両親のもとに帰る数日前、コーットは水を汲もうとして泉に落ちてしまい風邪をひく。このことはコーットとショーンとアイリーン3人だけが知り両親には秘密である。夏休み前のコーットは秘密はいけないという母親の教えを機械的に繰り返すだけの子どもだった。でもショーンとアイリーンの秘密に触れ、そしてついにはその2人とも秘密を共有することになった。人の心には、他のひとにはうかがい知れない密やかな影があり、それだからこそみずみずしく奥深い。まるでアイルランドの大地のように。
温かな眼差し
預け先で、コットに初めて会った時のアイリンの温かな眼差しに早くもウルウルしてしまった。
余計なことを言わずに、子どもにとって必要な衣食住を整えていくアイリン。寡黙だが、コットをよく見て包み込むショーン。
親でなくても、信頼できる大人がいれば、子どもは成長していくのだと、強いメッセージを受けとった。
ラストシーンで、思わず抱きつきパパと何度も囁く姿に遂に涙腺崩壊。追いかけてくる父親の姿に心配になったが、コットは今までのように言いなりにはならないだろうと思った。
コットは確たる自分を見つけ成長していった「はじまりの夏」だから。
アイルランド語
映画の内容はほかの皆さんがたくさん書いてくれているので省きます。
アイルランドの映画なので当然英語だと思っていたが、
「ありがとう」や「おやすみ」が「thank you」や「good night」
と聞き取れないのは何故だろうと思いながら観ていました
そしたらなんとアイルランド語だったのですね
アイルランド語自体の存在を知りませんでした。。
そして最後のシーンがっても良かったですね
個人的にはあのまま・・・と思っちゃいました
想像以上の作品でした
説明はなくても、登場人物たちの気持ちがひしひしと伝わってきて、自然と感情移入できました。
ひと夏とはいえ、キンセラ夫婦の親としての資質が素晴らしく、子育ての勉強にもなる作品です。
厳しいのも愛情。特にショーンおじさんの不器用な愛が私には刺さりました。
コルム・バレード監督は長編初監督だそうで、鑑賞前は、お手並み拝見ぐらいの軽い気持ちでいましたが、本当に恐れ入りました。
この映画、大変な掘り出し物です。
本当は★7を付けたい❗
コットは9歳の少女。
アイルランドの田舎町で、酒とギャンブルに溺れ家庭を顧みない父親、大家族の中で子育てに埋没している母親と暮らしているが、家でも学校でも居場所がなく孤独に苛まれている。
家庭の事情は異なれど、似たような少年時代を送っていた自分にはこの時点で心に刺さってしまった。
1981年の夏休み、母が出産するまでの間、コットは親戚夫婦(ショーンとアイリン)の農場へ預けられることになった。
ここでの生活により、他人から愛されることを知り、他人の痛みや苦しみに触れることで、内気なコットは自分の気持ちを表せる人間に変わっていく。
夏休みが終わって、両親がいる家に送り届け、農場に戻っていくショーンとアイリンが乗った車を、コットが追いかけるラストシーンで胸がつまってしまった。
ショーンに抱きつき「パパ」とつぶやくコットの姿は感動を通り越した一服の画となる。
追ってきた父親の怒りの表情から、次の展開はこちらに委ねられるのだろう。
幸せなコットの日常を願うところである。
キャサリン・クリンチのみずみずしい透明感のあるコットの演技が冴えわたった。
画面がスタンダードサイズで、先日観た「PERFECT DAYS」と一緒であり、ともに“木漏れ日“が表現され、小津作品にも通じるものを感じた。
心が洗われるというのは、こういうことなのかな
主人公のコットは、おとなしいとか内気というより、いつも周りの顔色を伺って生きている子という感じ。そういう行動が学校や家で良く思われない悪循環。
のどかな田舎町に預けられ、いろいろな経験と愛情で、ほんの少しずつだけど前向きな子に成長していく。
3人の間に大きなきっかけがあるわけでもなく、それぞれの小さな歩み寄りで、ショーンとアイリン夫妻もほんの少し癒される。
すごくロケーションが素晴らしい。
キラキラとした木洩れ陽が鬱屈としたコットの日々を解放するかのよう、そしてラストはウルッとくるほどに美しかった。
父親のワンカットが意味深だけど、幸せな結末でありますように。
コット役の子、顔と声と体がアンバランスなほど美人な子だなぁ。
じゃがいもスープ美味しかった。
静かで、温かい映画
アイルランド×田舎というテーマに惹かれて鑑賞…🇮🇪
chatherine clinchさん演じる主人公コットの美しさ、透明感、繊細さに引き込まれます。
仔牛に粉ミルクをあげるシーンで、人間が粉ミルクを飲んで、この子には母乳をあげたらいいというコット…。なんて優しい子
最後のショーンと別れ際に抱きしめ合うシーンはとても好きです。
1980年代のアイルランドの田舎のインテリアや洋服も可愛いくて温かくて、好きでした。
アイリンやショーンに出会って、コットが掬われて、本当に良かった…。コット、いい子すぎるよ…。
切なく、心を掴まれる
タイトルシーンによれば、英語のタイトルは「a quiet girl」。
まさにそのタイトル通り、言葉少なに愛を紡いでゆくような静かで美しい映画だった。
ほんの少し交わされる言葉はゲール語(?)で我々には理解できないが、コットの表情がどんどん豊かになってゆき、アイリンおばさんや(特に)ショーンおじさんとも心を通わせてゆく様子が本当に美しい。
全体のストーリーも、ラストもまた意外なものではないが、切なく、心を掴まれる…
実家に留まるかぎり「はじまらない」のでは?
映像が美しかった。
きれいに終わらせようとしないのも良かった。
最後の2回のDad...
一度目が本当の父、二度目がショーンを指してるとハッキリわかった。
あの二言ですごい女優さんと思った。
コットは内向的という設定のようで、実際そうだとも思うけれど、きちんと自分の言葉で語れるし、それは夫妻の元に預けられてから身についた資質、という感じでもなかった。
ただ、彼女の言葉をまともに取り合う人がいなかったから、あえて口にしなかったという感じ。
近所のお爺さんの通夜あと、性悪ババアに根掘り葉掘り聞かれたことを確認されて「バターかマーガリンか聞かれた」と答えるあたり、思いやりも分別もある。
この映画は、夫妻に預けられてコットが成長する、のではなく、
夫妻に預けられて初めて尊重されたコットが、初めて素の自分を出せる、物語だ。
だけどそれは、あの実家に戻れば継続できるものではない。
実家にコットを送り返して、明らかにこの家庭環境ではコットは幸せでないとすぐにアイリンもショーンもわかったはずだけど、波風立てないためなのか、牛の世話を理由に帰るとこからも、二人にとってコットは家族ではなく「預かった子」だったんだなと軽く失望してしまった。
赤ちゃんもいて大変だろうからしばらく預ろうか?くらいのこと言ってほしかった。
夫妻の元で初めて一人の人間として尊重され安心感を得た面はあるだろうけれど、
実家に戻れば、コットと向き合い、ありのままのコットを慈しんでくれる人はいない。
夫妻はそんなことすぐにわかったはずなのに…
はじまりの夏って邦題は良いのかな?
一瞬映った原題は失念してしまったが、そっちの方が良かったように思う。
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