コラム:若林ゆり 舞台.com - 第82回

2019年9月25日更新

若林ゆり 舞台.com

「ラ・マンチャの男」との出会いは、父がきっかけだった。

「父が当時、オフブロードウェイで開幕して間もなかった『ラ・マンチャの男』を見て。英語が分かるわけでもないはずなのに、何か感銘、感動の波みたいなものを舞台から受けたらしくて。その場ですぐ菊田先生に国際電話をかけて、『これを染五郎にやらせてください』と言ったそうなんです。不思議な縁ですね」

1970年、ブロードウェイのマーティン・ベック劇場にて。写真提供:東宝演劇部
1970年、ブロードウェイのマーティン・ベック劇場にて。写真提供:東宝演劇部

ミュージカルといえば楽しいものとされていた時代。「ラ・マンチャの男」は異色で、宣伝部でさえ戸惑ったという。観客も同様だ。しかし、「再演はないな」と思っていた翌年、ブロードウェイから「ソメゴロー・イチカワを主演に迎えたい」というオファーが到来! これで風向きが変わった。

「当時、僕が出演していた劇場に新聞社の外信部から電話がありまして。『ブロードウェイの主演予定者に名前があるが、行くのか?』と聞かれてね。『行きます!』と即答しちゃいました。その時、ちょうど菊田先生もいらしたんです。『先生、ブロードウェイからオファーが来ました』と言ったら、『おめでとう!』と言って握手して下さったんですが、その時の先生の顔はいまだに忘れられません。『良かったね』という言葉と、『俺より先に!』というやっかみが入り交じった顔でね。その頃、先生は『スカーレット』というミュージカルを作って、ブロードウェイに乗りこみたいと意気ごんでいらした最中だったんです」

難題は、英語のセリフだった。その時、父がひらめいた。「以前、歌舞伎の『勧進帳』を教えたブロードウェイのアメリカ人俳優が、今日本に滞在中だ。彼に習えばいい!」という。これまた縁。それにしたって無謀だ。出ずっぱりの2時間あまり、膨大なセリフを全て英語で話し、感動を呼び起こさなくてはならないのだから。

「日本で、日本語でやるのも非常に難しい。それを英語で、本場で、アメリカ人キャストの中で演じるなんて、今思えばよく言えたなと思いますよね(笑)。まさに“インポッシブル・ドリーム(見果てぬ夢)”ですよ(笑)。今は笑って言っていますけど、『できない!』と思ったこともありました。当時は芸術座で『春の雪』という芝居に出ていたんですが、芝居が終わってから帰宅して、夜10時過ぎから、長い時は明け方の4時くらいまで先生とマンツーマンで英語のセリフをやりました。できないと言ってもやるしかない。ただ、僕が不可能を可能にできた理由が1つだけあるんです。それは僕が、3歳の頃から歌舞伎の修行をしていたから。歌舞伎の修行っていうのは、まねるんですよ。それで、とにかく耳から入ってくるものを必死でまねた。だから、何とかできたんです」

2012年、博多座の舞台より。写真提供:東宝演劇部
2012年、博多座の舞台より。写真提供:東宝演劇部

ブロードウェイの“ソメゴロー”は喝采を浴びた。ブロードウェイで彼を演出したのは、日本版も手掛けたエディ・ロール。元々振付家で、従者サンチョ役だった彼が、“染五郎キホーテ”とともにたった1日だけ、サンチョを演じてくれたことがあったそうだ。

「僕(の扮するキハーナ)が舞台上で死ぬ場面、エディが耳元で『旦那様……死んじゃ嫌だ』と言ったんです。日本語で、ですよ!? ブロードウェイの舞台で! 信じられないでしょうけど、1カ月間日本で稽古をして『ラ・マンチャ』を僕に植え付けてくれたエディ・ロールが……! 僕はこの気持ちを味わうためにブロードウェイに来たんだな、と思いました」

今、日本ではミュージカルが見事に根付き、花開き、人気を誇っている。この盛況も、パイオニアである白鸚の努力があればこそ。

「いやいや、僕はパイオニアになるなんて思ってなかった(笑)。そんなことを考える余裕はありませんでしたよ。シェイクスピアの『ハムレット』をやったのが17歳。それからいろんなジャンルの芝居をやっていく上で、かなり長い間ギアチェンジはマニュアルでした(笑)。マニュアルをせっせと毎月毎月動かして、先月まで国技館で相撲をとっていたと思ったら、今月はヤンキースタジアムでメジャーリーガー相手に野球をしていた(笑)。無我夢中で、あっと言う間に50年経っちゃった。いろいろな思い出がありますけど、良い思い出ばかりじゃない。辛いこともありました。挫折したことも別れもあった。そんな苦しい時にも、『ラ・マンチャ』にずいぶん僕は救われてきたな、と思います。この作品はもう、何ものにも代えがたいですよ」

2019年公演より。写真提供:東宝演劇部
2019年公演より。写真提供:東宝演劇部

過去を振り返るより「いま」が好きだ、と白鸚は言う。では今、どんな思いで「ラ・マンチャ」と向き合っているのか。騎士道のクエスト=「見果てぬ夢」を追い求めるドン・キホーテの勇姿と、白鸚の生き様が、どうしたって重なって見えてくる。

「どんなに辛く苦しいことがあっても、それを辛く苦しいままにするんじゃなくて、苦しさを勇気に変えて、悲しみを希望に変える。これが俳優だと思っています。『ラ・マンチャの男』は、いわゆる正義の味方の話ではなく、作者のセルバンテスの決して恵まれてはいない人生、つまり『正義は必ず勝つ……はずなんだけどな。夢はきっと叶う……はずなんだけどな』という話なんです。夢なんか、そうそう叶うものじゃありませんよ(笑)。でも本当の夢というのは、夢を叶えるために頑張るその人の心意気なんです。お客様が劇場を後にするとき、舞台から伝わってきたセリフを思い出して、『ようし、また明日から頑張るぞ!』と思えるような、そういう作品です。僕が50年続けてこられたのは、1ステージ1ステージの“いま”を大切に、お客様に少しでも夢や希望や勇気をお渡しできるように。そのことを忘れずに、ただ演じ続けてきたからだと思っています」

「ラ・マンチャの男」は、10月4日~27日に東京・有楽町の帝国劇場で上演される。通算上演1300回を達成するのは、10月19日の17時公演。詳しい情報は公式サイト(https://www.tohostage.com/lamancha/)で確認できる。

筆者紹介

若林ゆりのコラム

若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。

Twitter:@qtyuriwaka

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