ユーセフ・シャヒーン : ウィキペディア(Wikipedia)
ユーセフ・シャヒーン、ユースフ・シャーヒーン(アラビア語, Youssef Chahine, 1926年1月25日 - 2008年7月27日)は、エジプト・アレキサンドリア出身の映画監督。エジプトを代表する映画監督である。
人物
両親はレバノン人。アレキサンドリア大学で学んだ後、アメリカ合衆国に渡り、パサデナ・プレイハウスで演技を学ぶ。
エジプトに戻った後は映画製作に取り組むようになり、1950年に映画監督としてデビュー。
『アレキサンドリアWHY?』(1979年)で第29回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。
カンヌ国際映画祭のパルム・ドールにも3度ノミネートされている。
1997年に第50回カンヌ国際映画祭において、『炎のアンダルシア』により50回記念特別グランプリを受賞。
2008年7月27日、脳内出血で死去した。 。
主な監督作品
- 放蕩息子の帰還 Awdat al ibn al dal (1976年)
- アレキサンドリアWHY? Iskanderija... lih? (1979年)
- エジプトの物語 Hadduta misrija (1982年)
- アデュー・ボナパルト Adieu Bonaparte (1985年)
- Al-yawm al-Sadis (1986年)
- アレキサンドリア-今も昔も Iskanderija, kaman oue kaman (1989年)
- Al-mohager (1994年)
- キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒 Lumière et compagnie (1995年) オムニバス
- 炎のアンダルシア El Maseer (1997年)
- El Akhar (1999年)
- Silence...We're Rolling (エジプトの銀幕・スターの戀) Skoot hansawwar (2001年)
- 11'0901/セプテンバー11 11'09'01 - September 11'' (2002年) オムニバス
- アレキサンドリア-ニューヨーク Alexandrie... New York (2004年)
- 47年後 47 Ans Après (2007年) オムニバス『それぞれのシネマ』の一篇
- Heya fawda (2007年)
外部リンク
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